神様を疑うことは罪でしょうか?不信仰でしょうか?創世記15章で初めて神様はアブラハムと契約された。言葉=聞く、幻=見る。我々は見て信じる習慣がある。見る=概念が固定、聞く=想像が膨らむ。「信仰は聞くところから始まる」(ローマ:10章17節)神のことばを毎日聞いていますか?神との関係なくして契約を結ぶことはできない。カインと神様が会話の後、アブラムまで会話はなかった。その最初の会話でアブラムは「あなたは私に何をしてくださるのですか?」神様は怒らずにアブラムに答えた。疑いと不信仰は違う。「神様、どうして私はこんな試練に合うのですか?」は不信仰ではない。
神様のタイミングと私たちのタイミングは違う。聖書の中で似たようなことが2度出てきたら、対比することが重要。結果が見えなくても、暗闇の中を歩んでいてもがっかりしない。2つに裂かれた動物の間を火が通った=神様が遠った。契約が履行されなければ、その人は2つに裂かれる(当時の文化)。万物の創造主、神様が契約を結ぶ必要はない。これは人間を祝福するため。
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