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2023年07月25日10:46

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島村盛助「火取蟲」について

島村盛助「火取蟲」について


159.不二道
島村大左衛門君行名徳行性温厚篤實
ニシテ義侠心ニ富ム君天保十四年六月
武蔵國須賀村ニ生ル中年病魔ニ犯サレ
藥石効ナク将ニ瞑セントセシ時夢ニ冨
士嶽ヲ見ル醒メテ淺間神社ヲ念ス數月
ニシテ病癒エ是レ神靈ノ加護ニヨルコ
トトナシ神道扶桑教丸寶講員トナリ大
ニ修行ス功ヲ以テ大講義教職ト為ル偶
々郷里ノ教會ハ元山重講ナルコトヲ追
想シ信徒ヨリモ亦山重講ニ改稱セラレ
ンコトヲ勧告セラル依テ山重教會ナル
モノヲ再興シ誠意之レガ教導ニ努ム昇
進シテ権大教正トナリ享年七十六病ヲ
以テ遂ニ逝ク扶桑教頭ヨリ島村大我命
ノ名ヲ賜ハル
   大正八年九月建之 (4/20)


209.姥圦
貴重な偶然の出会いは日々の必然の積み重ねの結果、というおはなし。
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最新戯曲「花と遍路」では、四半世紀こだわり続けてきた権現堂川を初めて主題にしました。利根川と江戸川の分流地点、すなわち利根川東遷のポイントは、400年以上続いた厭になるほど複雑な利治水事業のカナメなのです。新作は工事の際に亡くなった巡礼母娘の死因について相反する2説がある話。いっぽうは志願した人柱、もう一方は働く土方らを軽んじて怒りをかい川に放り込まれたとするという、いずれにしても無情な説話ののち、今では川べりは様々な花の名所として賑わっている、三権現の合祀された寺には隠れキリシタンのマリア地蔵まで建っているという、まあ来生浄土の実話浄瑠璃です。
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ところで、現在目前に控えている公演「火取蟲」は宮代町明治期の文人島村盛助による短篇小説です。近所の話ばかり書くのですが案外どこだかハッキリとはさせない。本作には「二里ばかり距たつた奥州線のある停車場」「細道は遠野良へ通う」というふたつしか、場所の特定に役立つ描写がありません。幸い遠野という地名は少なく、近隣では杉戸町の大字にあるだけで、その近くが舞台なことは分かる。そして遠野から久喜駅はほぼ8キロなのでまず間違いなかろう。ところが、用水への入水心中の話なのでどの用水か、という問題に躓きました。いちばん近い北側用水路(権現堂川用水路)もだいぶ離れている上に、駈け落ちで駅に向かう路々衝動的に飛び込んだという位置関係でもない。悩んだけれども、明治と今では用水の流路が変更になっているか、近くにある神扇落としという排水路のことも広い意味で用水とも呼べたので実は悪水に身を投げたか、と考えてみたのですが、どことなくコジツケぽいというかピンと来なかったのです。
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ところでところで、また別件で「南側用水路」のことを調べていて、その起点に当たる久喜市琵琶溜井の駐在員さんにお話を伺いました。週2日だけのボランティアというので留守番みたいな人だろうかと思ったら、葛西用水がらみの歴史と現状にきわめて通じている研究者の方でした。面目ない。つい口をすべらせて葛西用水とは関係ない北側用水のことを言うと、「北側用水路建造の始まりは元和9年(1623年)に浅間川の姥圦といういずれも現存しない地名で」と何も見ずにスラスラお答えでして(やべえこの人はモノホンだ)と舌を巻きました。ここはついでと、火取蟲の舞台は久喜駅から8キロの遠野あたりを想定していまして、というと、しばし黙っておもむろに、その周辺で奥州線の停車場と云ったら久喜よりも栗橋の方がしっくりきますね、明治当時栗橋と杉戸はいずれも北葛飾郡で馴染みがあるのに対して、久喜は南埼玉郡で感覚的には遠いです、と仰る。えええええ!退出してからマップで検索すると遠野と栗橋駅間は12キロ、ということは遠野から4キロ地点が舞台ということでだいぶ話が変わってくる。4キロ地点には何があるか。拡大してみると、マリア地蔵が現れた。…あれ???駈け落ちは驛に向かっているのだろうと追うと、道は…権現堂堤の上を通る。そして、入水したであろう用水は、母と娘が亡くなった地点、現在名「巡礼樋管」しか存在しない…あれれれれ?!?!
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つまり文人島村盛助はハナから想像で物語を作ったのではなく、享和2年(1802年)の母娘死亡事件と文政3年(1820年)のマリア地蔵建立を知っていて、それを結びつける意味で火取蟲を書いた可能性がある、ということです。すさまじい。(7/13)


218.推理
下総の名物は成田の不動、佐倉宗五郎、野田の亀甲万(病牀六尺)
これを書いた翌日に子規は、行ったことのない名所の俳句などは軽薄になるからやめとくがいい、ところで余はまだ吉野に行かないのだが軽薄でもいいから作ってみたく十句詠んだ、やっぱり軽薄かなあという変化球の日記をつけています。引用がはばかられるレベルの軽薄さでしたので各自ご確認ください。5月14日の項です。
そんなことを書こうとしたのではなかった。島村盛助は明治44年に書いた農村小説「火取蟲」で豊富な現地方言を使っているのですがそれは普段の作風と少し違う気がしていて、もしやと思って長塚節が入った全集を借りてきたところ(同じ本に子規も入ってた)、推理はどビンゴで「土」は明治43年から連載が始まっていたのでした!(7/25)
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