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2023年01月23日15:04

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「信長、鉄砲で君臨する」

 「信長、鉄砲で君臨する」(門井慶喜著 祥伝社 令和4年2月20日初版第1刷発行)を読みました。

 この本は、鉄砲伝来から普及までを、織田信長に絡めて書いたものでした。特に、鉄砲が伝来した頃の状況が詳しく書いてありました。

 鉄砲は、ポルトガルの商人が乗った中国のジャンク船が種子島に漂着し、そのポルトガルの商人から伝えられたということになっていますが、この本では、正規の来航ではないので、漂着という体裁をとったものだとしています。この島へ初めて来る船は、正式な停泊許可をもらうのが面倒なため、その手間を省くために、ときどきそのような手を使っていたということなんですね。

 それはともかく、そのポルトガルの商人から、種子島の領主の種子島時尭(ときたか)は2丁の鉄砲を買い求めます。

 しかし、鉄砲が非常に高額だったため、種子島時尭はその追加の購入を諦め、製造することを家臣に命じます。

 そんなことで、2丁の内の1丁は製造の見本とするために島内に残しますが、もう1丁は種子島に来訪していた本土の紀伊国の根来寺の僧に贈呈しています。

 間もなく、種子島ではその製造に成功し、その技法は根来寺にも伝わっていきます。

 そうして、鉄砲は、急速に、種子島では勿論のこと、根来寺、国友村、堺などの各地で作られるようになっていったとのことです。

 そうした状況のなか、信長は、早くから鉄砲に目をつけ、当初は、多くを根来寺から買い付けていたということです。

 こうして、鉄砲は国内で作られるようにはなりましたが、その普及には問題がありました。

 それは、火薬の問題でした。火薬は、木炭、硫黄、硝石の3種を混合させて作るわけですが、硝石は国内では産出しないので輸入しなければならなかったからです。鉄砲は、火薬が無ければ、弾丸も出ませんから、玩具も同然ですものね。

 その点、交易も手がける堺が有利になってきます。鉄砲の製造元にもなった堺は、硝石の独占的な輸入ルートも確保するようになり、鉄砲とセットで高額で売ることが出来るようになったわけですね。

 堺は、信長が堺を支配する条件として(信長が求める矢銭を支払う代償として)、信長が鉄砲を火薬とセットで堺から独占的に買い求めることを要求し、信長はそれを認めます。

 そうして、堺は、信長に大量の鉄砲と火薬を売ることによってますます裕福となり、信長は大量の鉄砲と火薬を手に入れることによってますます強くなっていったわけですね。

 そのようなことで、鉄砲はますます普及していきますが、信長は、本能寺に於いて、鉄砲の名手でもあった明智光秀が率いる鉄砲隊によって滅ぼされてしまうわけですね。

 本書は、以上のような流れを詳細に書いていました。特に、鉄砲が種子島に伝来した頃の状況が詳しく書かれていました。







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