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2022年12月11日14:13

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世界に誇れる原一男6時間12分の壮挙。私の令和3年日本映画ベストワン候補「水俣曼荼羅」。

 12月7日(水)に私にとってバリバリの新作ピンク、昨年の令和3年2月公開「たわわなときめき あなたの人生変わるかも」を観る。

「たわわなときめき あなたの人生変わるかも」(古澤健)
古澤健のピンクデビュー作「たわわな気持ち」の続篇とのことだが、残念ながらそっちは未見である。構成は男女優各3人のピンク定番である。自主映画監督・松本奈菜実と海外でそれなりに著名監督の山科圭太、出演者コンビのあけみみぅと川瀬陽太、ロケ場所アパートの隣の住人・並木塔子とそこに通い詰めてくる市会議員の千浦僚(私の昔の知人だがこんなところで活躍とはビックリしたぁ〜)の6人である。なかなか味のある人間模様を繰り広げるのだが、濡れ場の必然性がほとんど無く、ピンクだから無理に絡ませているとしか思えないのが難点。終盤は撮影中の映画と現実が入交り、宇宙と一体化したSEXとか、動物たちの転生先へのワープとか、判じ物みたいなゲージュツ調ピンクが、突如21世紀に現れたチグハグさを感じた。(あまりよくなかった)

 12月8日(木)に令和3年11月公開のキネマ旬報日本映画第5位、文化映画第1位「水俣曼荼羅」を観る。

「水俣曼荼羅」(原一男)
 鬼才・原一男が20年に亘り、水俣病にフォーカスした6時間12分、「病像論を糺す」「時の堆積」「悶え神」3部構成の超巨大ドキュメンタリーである。題材は全く異なるが、ワン・ビンの8時間15分「死霊魂」3部作と肩を並べる世界的壮挙だ。

 水俣病は、すでに患者認定制度が法制化され、表面上は救済制度が確立されている。にもかかわらず、その認定が狭き門で、未だに認定を巡っての訴訟が絶えない。最高裁判決が出ても、認定は勝訴者に止まり、一向に認定の狭き門は進展を見ない。映画はその問題点を追求すると共に、患者達の苛烈な実像に肉薄する。

 20年の水俣病に関する総括の記録は圧巻であるが、それだけではこの映画を評するには不充分だ。原一男ならではの独自の視点について語らねばなるまい。

「ゆきゆきて神軍」「全身小説家」に見られるように、原一男映画の特長は、「容赦の無さ」であろう。アナーキスト奥崎謙三にせよ、フィクションに全霊を賭ける作家の井上光晴にせよ、ドキュメントの対象となった存在は、容赦という物を許さない人物だ。そして、その対象を追い続ける原一男の視点にも容赦が無い。

 以前、私は原一男と河瀬直美とのトークショーを観たことがある。フィクション映画としての河瀬映画は認めないとの、辛口批判(じゃあ、あんたの「またの日の知華」は何だよと突っ込みを入れたくなるが)に始まり、「につつまれて」から「垂乳女」に至る河瀬直美の自伝ドキュメンタリーを巡る論議になるのだが、舌鋒鋭く河瀬直美のプライベートを、丸裸にするような感じで迫るのだ。その光景自体がドキュメンタリーにしたいくらい、興味深く面白いと同時に、原一男の容赦の無さに、私は舌を巻いたのである。

 当然ながら「水俣曼荼羅」でも、公開討論の場における患者や支援者が、政治家や行政官に迫る姿は容赦が無い。「ニッポン国VS泉南石綿村」でもそこらあたりに原一男の視点は向いていたが、ここではその激烈さがさらに徹底して追い続けられる。

 水俣病問題がズルズルと長引いているのは、当初は抹消神経の問題だとされていたのが、脳障害との新たな学説が提示された点にある。

 脳梗塞で障害者となった私には、結構タイムリーな内容であった。そうか、脳から来た障害に対し、抹消神経のリハビリで対応しても、こちとら後期高齢者でもあるし、回復には限界があるんだなあと、感じ入った次第である。

 話が脱線した。映画に即して語ろう。問題はこの脳障害学説が、学界の主流ではない点である。司法は判決でこの学説を認めても、それ以前の抹消神経学説をよりどころとした認定・補償に則ることに、行政はこだわり続けるのだ。

 脳障害学説の中核となる大学教授は、温厚な語り口ではあるが、他の学者達を御用学者と断じ、やはり容赦が無い。当然、原一男のカメラは食い入るようにそこに迫っていく。

 鋭く患者・支援者に迫られる政治家や行政官は、まるで他人事のように上っ面の対応であり素っ気ない。よく考えればそれも当然で、一生を病と向き合い続けてきた患者に対し、彼等にとっては人生の通過点の一頁に過ぎない。自身の当選や役所の面子に関われば、その行動は容赦の無いものになろうが、ここはそういう場ではないと思っているということも、期せずして浮彫りにした。

 支援者の一人が天皇陛下と対面したことに、批難を浴びせる者がいたが、彼は陛下にオーラと誠実さを感じたという。これも当然で、天皇は一生を逃げも隠れもできない(そこが勝手に投げ出しちゃう者もいるイギリス王室と異なる)地位に置かれており、それはある意味で容赦の無い立場に置かれていると言えなくもない。

 作詞に挑戦した坂元しのぶさんを始めとして、本人の了解の下であろうが、悲惨な我が身を堂々と曝け出す凄まじさ、その描写の徹底ぶりは、共に容赦がない。過去の原作品「さようならCP」という前例もあるにせよ、やはり強烈だった。

「水俣曼荼羅」は、やはり原一男ならではの水俣総括として、大傑作であると絶賛したい。有力なベストワン候補である。(よかった。ベストテン級)

 12月9日(金)に2021年8月公開の外国映画(なぜかキネ旬封切映画一覧表では洋画分類)「映画 太陽の子」を観る。

「映画 太陽の子」(黒崎博)
NHKの日米合作ドラマに、異なる視点と結末を加えた劇場版だそうだが、ナレーションの一部に英語が入るけれど、何で外国映画扱いになるかよく判らない。そんなことはどうでもよく、原爆開発寸前まで行った若き学者が、アメリカに先を越され広島・長崎の惨状を目の当たりにし、自分達が全情熱を傾けていた物の結果に呆然とする内容はあまりに真っ当過ぎて、可もなく不可も無しといったところか。手前味噌だが、電力安定供給の端くれに、それなりの情熱もあった私が、福島の惨状に呆然とした心情に被らないでもない。最近の若い俳優陣で、戦前の風景を再現すると、シラけることが多いのだが、さすがNHK、そこは美術・装置も含めて良く創られていた。もはや昔の撮影所システムに近い技術をコンスタントに有しているのはNHKくらいなのかもしれない。(まあまあ)

 続いて12月9日(金)に令和3年11月公開の日本映画「土竜の唄 FINAL」を観る。

「土竜の唄 FINAL」(三池崇史)
お馴染み潜入捜査官アクションシリーズ完結篇であるが、ここまで荒唐無稽にしちゃってイイの?いやイイんだヨと、言いたい楽しさに溢れている。冒頭で例によっての下ネタ、いつもながら生田斗真が裸に向かれ、局部にチーズを塗りたくられて、鷗につつきまわされる。このナンセンスな出だしで、一気に抵抗なくハチャメチャ世界に引き込む三池崇史は、いつもながらの練達の職人芸だ。生田斗真と兄弟盃を交わした若頭・堤真一との友情は、かなり前に、労働組合に潜入したスパイと活動家の友情をショーン・コネリーとリチャード・ハリス競演で描いたマーティン・リット監督「男の闘い」という佳作があったが、それを懐かしく思い出させてジンと来た。(まあまあ)

 12月10日(土)にピンク映画「熟☆ギャル☆白書 極楽仁王勃ち」を観る。

「熟☆ギャル☆白書 極楽仁王勃ち」(渡邊元嗣)
いくら若いころからおばさん顔だったとの前提にせよ、佐倉萌が整形して立花はるみに変身するなんてありえねェ〜設定に、幽霊話を絡ませた渡邊元嗣(脚本・山崎浩治)のまたしてもブッ飛び映画だ。さすがにピンクのベテラン、濡れ場への移行も、さあここからは見せ場ですよと、スムーズに転換していく。佐倉萌に裸の出番はあるのと思っていたら、ちゃんとレズシーンが容易されていた。竹本泰志が死神を快演。立花はるみが愛しい男の匂いの沁みついたハンカチをリボンに作り変えた小道具も洒落ていて、あいかわらず遊び心も満杯だ。(まあまあ)

 前回日記から10日(土)までに観た自宅観賞作品は次の6本。

「たわわなときめき あなたの人生変わるかも」「水俣曼荼羅」
「劇場版 太陽の子」「土竜の唄 FINAL」
「熟☆ギャル☆白書 極楽仁王勃ち」「ラスト・クリスマス」

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