「九月病」というものがあるそうです。ざっくり言えば、連休明けに体調が悪くなったり気分が落ち込んだりする「五月病」みたいなもので、欧米では夏の長期バカンス後に同様の体調不良を起こすと、こう呼ばれることがあるということです。
心身共に休むことに慣れると、いきなり仕事や勉強の本気モードに突入することには無理が生じてしまうことがあるようです。
この「九月病」に対する治療法として作られた動画ではないと思われますが、「九月病」の症状にも十分対応できそうな動画を見つけました。
https://www.youtube.com/watch?v=OimK07JWHNU
モンテーニュという人は、動画でも紹介されていたとおり、16世紀に生きた人ですが、その考え方は21世紀の今日でも少しも古めかしさを感じさせないところがあります。現に拙日記でもたびたびこの人の名言を引用してきました。
個人的にとくに納得の名言には、以下のようなものがあります。
・私が猫を遊ばせてやっているとき、ひょっとすると猫のほうが、私を遊ばせているのではないだろうか。
・結婚は鳥かごに似ている。外にいる鳥は必死で中に入ろうとし、中にいる鳥は必死で逃げ出そうとする。
・善行は、お返しができる程度なら、快く受け取られる。その限度を超えると、感謝どころか増悪が返ってくる。
・人生の価値は時間の長さではなく、その使い方で決まる。長生きをしてもむなしい人もいる。
・誰もがその収入を公表はしない。ただ収入によって得たものを見せびらかすだけである。
・心は正しい目標をなくすと、偽りの目標にはけ口を求めるものだ。
・真実でさえ、時と方法を選ばずに用いられてよいということはない。
・暗記することは真に知ることではないのです。それだけなら、記憶の中に託されたものを後生大事に守っているだけなのです。
・家中の者に称賛される男は少ない。
・物財の貧困は容易に癒されるが、魂の貧困はけっして癒されない。
・愚者が賢者から学ぶことよりも、賢者が愚者から学ぶことのほうが多い。
・子供の教育については、勉学の欲望と興味を喚起することが一番大切である。でないと結局、本を背負ったロバを養うことになる。
・この世には、勝利よりも勝ち誇るに値する敗北がある。
・いつかできることはすべて、今日でもできる。
・怒りは奇妙な用法を有する武器である。他のすべての武器は、人間がこれを用いるものだが、この武器はわれわれを用いる。
・すばらしき結婚は、盲目の妻と、耳の不自由な夫の間で生まれる。
・人間はその身に降りかかることよりも、それをどう受け止めるかによって傷つくことが多い。
・男が女に「いつまでも愛しつづける」と誓う前提には、「女がいつまでも愛すべき存在でありつづけるかぎり」という条件がついている。
・自説に固執し、夢中になることは愚鈍さの最も確かな証拠である。
・我々は他人の知識によって物知りにはなれるが、賢くなるには、我々自身の知恵によるしかない。
・各人はその考え次第で幸福にもなり、不幸にもなる。他人が見てそう思う人ではなく、自分でそう思う人が幸福なのである。
・臆病は残酷性の母である。
今日はこれらの名言を遺したミシェル・ド・モンテーニュの430回目の命日です。
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