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2022年08月07日21:00

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「2045年8月15日」を考えてみる

今日のテーマ…「2045年8月15日」を考えてみる、ということで…

戦後77年。

今日はまず、「8月15日」を、「四半世紀ずつ」に分けて考えてみたいと思います。

まずは、「1970年8月15日」。

「戦後25年」だったこの当時。

「戦後25年」という時代は、やはり今でいう、「昭和の振り返り」と似たものを感じたんです。

YouTubeを探してみましたが、おそらくこれが一番近いだろうと思って、載せてみることにします。

昭和44年。1969年8月15日当時の「全国戦没者追悼式」の映像です。

まず、ナレーションにもあるのですが…

「銀座は、戦争を知らない若者たちでいっぱい…」

このナレーターの方ご自身も、当然「戦前生まれ」の戦争経験者なのでしょう。

「今の若いもんはもうあの戦争を知らないんだからなぁ…」

よく、朝ドラでも、こういうセリフが出てきたことがありました。

1970年頃の当時の若者たちにとっては、戦争なんてどこ吹く風だったんでしょうし。
「戦争?へっwww知らねーよwwそんな昔の事なんて。」

こういう時代だったんじゃないかと思うんですよ。

1969年当時の映像の中に出てくる「戦没者の妻」や「駆逐艦の乗組員たち」という方々。

まあおそらくは、当時で50歳前後の世代だろうと、推測できます。

実際、映画『この世界の片隅に』の主人公「すずさん」が、この世代にあたるわけなんです。

主人公のすずさん。

劇中に生年は出てきませんが、劇中のセリフからの計算上で、大正14年の、1925年生まれと推測できたんです。

この1970年当時の若者からすれば…

「悲しみに暮れるのは、戦争を経験した40代、50代以上の"親世代"ばかり。今の大学生、新社会人世代は、もう戦争なんて知らないから。」

まとめると、こんな感じだったんじゃないかと思うんです。

ちなみに、【全国戦没者追悼式】は…

昭和27年。1952年5月2日に、「新宿御苑で昭和天皇・香淳皇后の御臨席のもとで行われたのが最初である」(wikiより)とあります。

第2回は昭和34年。1959年3月28日に。

第3回は、昭和38年。1963年8月15日。(於日比谷公会堂)

第4回は、昭和39年。1964年8月15日。(於靖国神社)

第5回は、昭和40年。1965年8月15日に日本武道館にて行われるようになり、現在に至っています。

そして、「1995年8月15日」の当時は…

「戦後50年」だったこの当時。

わたくし「高校1年」でしたが、やはりテレビの特集が半端なかった記憶があります(;´・ω・)

「戦争経験者が70代以上となり、国民の大多数が戦争を知らなくなった今…」

こんな言い方をされていたんですよね(;´・ω・)

時は、「Windows95」発売当時のインターネットの「黎明期」でもありました。

現代に通じる「SNS」というものは存在していませんでしたが、「ポケベル」や「PHS」の全盛期でもあり、「携帯電話(今でいうガラケー)」の普及率が右肩上がりの時代でした。

そして一昨年「2020年8月15日」は…

「戦後75年」ともなると、もう「戦争経験者」も、国民のわずか一握り。

「全国戦没者追悼式」での、「戦没者の母」の参列は、2010年を最後になくなり…

そして、昨年の「全国戦没者追悼式」にて初めて…

「戦没者の妻」の参列も、なくなったそうです。

とうとう、戦争関係者の世代はここまで来たか…という印象でした。

一昨年や昨年は、「コロナ禍(か)」で参列者を大幅に縮小していましたため、3年前、令和元年の2019年のデータを参考にしますと…

「戦没者追悼式に参列予定の遺族は5391人。このうち、昭和に過半を占めた「戦没者の妻」は5人まで減り…」とあります。(一昨年の日経の記事より)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO48574440V10C19A8MM0000/

コロナ前の令和元年の2019年までは、例年6,000名程度の規模で開催。

コロナ禍に入った令和2年の2020年は1400名程度。

令和3年の2021年は200名にまで人数を抑えて開催。

2019年当時の画像を見れば、マスクなし、というのも、もはや"遠い昔"のような気さえしてしまいます(´-∀-`;)

それでも、やはり、戦後から遠くなればなるほど…「きちんと歴史を振り返ろう」という機運が高まるといいますかね…

「戦後25年」は元より、「戦後50年」当時と比べても、現代社会は「戦争の事をきちんと知っておこう」という思いが強くなっているんじゃないかと思うんです。

「昭和は遠くなりにけり」とはよく聞かれる言葉ですが、あれ実は元々は、「明治は遠くなりにけり」というのを、「昭和時代初期」に言われたものが転用された言葉だったそうです。

そして本題の「2045年8月15日」はというと…

「戦後100年」

さあ、果たして「日本」および「世界」はどんな姿になっているのか…

「日清戦争」(勝利)
「日露戦争」(勝利)
「太平洋戦争」(敗戦)となり、「戦争をしない国」と『日本国憲法』で定めたこのニッポンという国。

「戦争経験者」の方々が「戦争は絶対ダメ」と、メディアで発信し続けられる内はまだいいんです。

だけど、"23年後"の「2045年」には、確実に「戦争経験者」はいなくなるわけです。

そういう時代に、その時代の「若者(大学生・新社会人)」は、どんな認識を持っているのか…

これ。言ってみれば、これから、2025年ころにかけて生まれてくる世代に、そのまま直結してくる問題なんです。

怖いのは、これから23年という時代を経て…

「戦争は絶対ダメ」→「最終手段として、戦争もやむを得ない」という考え方が徐々に増えてくるのではないかという「懸念」なんです。

「核保有国」が「核廃棄」をしない・できないのは、「最終手段としての核兵器使用」を視野に入れているからなんです。

なので、どれだけ「被爆国ニッポン」が、口酸っぱく世界に訴えても届かないのは、こうした背景があるからこそなんです。

なので、これから先、世界に訴えていきたいのは「核の先制使用禁止」という原則です。

「余程のことをされない限りは、絶対に核の使用はしない」ということなんです。

本来なら、「余程のことをされても核の使用は絶対ダメ」というのが「理想論」ではあるのですが、現代社会はこれが有益…いや、やむを得ない理屈になるのかなとも考えたんです。

「2025年」
「2030年」
「2035年」
「2040年」
「2045年」

という年月を経て、「戦争は絶対ダメ」→「最終手段として、戦争もやむを得ない」の「世論」がどう変化していくか。

私自身、「極左論者」ではありませんので、軍備増強に異論があるわけではありませんが、これからの四半世紀において、「最終手段として、戦争もやむを得ない」の世論が増えていく懸念はあるわけなんですよ(・_・;)

これからの「23年」。

「日本が戦争をしないで(巻き込まれないで)いられるか」は、そこにかかっている気がします(~_~;)
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