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2022年05月20日22:25

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僕にとっての生産は philosophieren だ

これまでの私は
消費ばかりしていて
生産していなかった。

資産とは
資本を生むものであり
資本を消費するものではない
と慶應大学経済学部卒の中田敦彦は言う。

持ち家は資産ではない、
なぜなら
持ってるだけで
固定資産税がかかり
資産を消費するだけで
資産を生まないからだ。

この話を聞いて
僕は
母からの遺産である
京都の家と土地を売ることにした。

これで
年間約12万円の
固定資産税は消えた。

けれども
持ってるだけで増える資産を
持ったわけではないので
今度は蒜山高原の古民家の固定資産税が
かかることになったが
こちらは古民家(築年月不詳)なので
家の価値はほぼゼロ
(かえって後から建てた離れと物置の方が固定資産税が高い)

土地も
京都の100分の1くらいの価格なので
固定資産税も
年間3万円いかない(2.5万円ちょいくらい)。

けれども
京都では美容室が
なんとか稼働していたが
蒜山では開店休業状態で
不成立だ。

妻の気力も
萎(な)えつつある。

なので
神話の国
美作國蒜山高原の
古民家での生活は
ひとり私に懸(か)かっている。

私は京大に19年も居て
大学院の教育学研究科の「研究者養成コース」で
修士課程(博士前期課程)から
博士後期課程へ進学し
そこで学術論文を7本書き
博士論文審査願いを提出するための要件に
あと「査読論文(学術誌の査読審査に合格した論文)1本」
という「ギリギリ(あと一歩)」のところまで
漕(こ)ぎ着(つ)けていたのだが

結局
ラストチャンスの1年は
妻の病状が限界を越えそうであったので
妻の健康を優先し
蒜山高原の古民家に
転地療養して

古民家のリフォームも
妻の健康を考えて
シックハウス対策をして
その結果
京都の不動産(家と土地)売却益は
全部なくなってしまった。

それでも妻の症状は改善せず
(より良い環境であるはずの
 蒜山高原へ来ても
 パニック性不安鬱病は出ているのだから
 もしも
 京都に居て博士号を取得することに専念していたら
 本当に妻の命は尽きていたであろう)
この状態を改善せんと
日々考えつつ行為している。

それでも
僕が出来る
一番僕らしい行為は
philosophieren(哲学すること)
だ。

日本人が哲学に疎いとか
需要がないとか
関係ない。

僕が僕であるために
philosophieren
(シェリングに言わせれば
 freie GeistesTat=自由な精霊の行為)
しかない
のだから

それが生活の足しにならないとか
生産的でないとか
食えないとか

とういう雑念こそ
煩悩だ。

悟りは
在(あ)る→為(な)す→生(な)る
なのだ。

意識に現れるが
意識が生み出したのではなく
意識に於て生み出された表象を
あらゆる思考に先行する
「存在」
として
出発点とし

これ
(この表象(Voestellen)、
 この存在(あらゆる思惟に先行する存在)こそが
 「精霊(ルーアッハ→プネウマ→スピリトゥス→ガイスト系列)」
 なのである)
が「為す」
「freie Geistestat(自由な精霊の行為)」
の邪魔をせず
加工せず
捏造せず

その「行為」の
「生産行為」の
「為すが儘(まま)」を
観察し

この
「行為」を
「体感」し

この「行為」を
「概念化すること=positive philosophieren(積極哲学すること)」

認知することが
悟りの行為
であり

僕が成そうとしている哲学だ。

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最終更新
令和4(2022)年5月20日 22時31分
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