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2021年06月27日16:25

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自分の財産(としての宗教体験を踏まえた哲学を活かした生き方)で生きる

私は
「哲学では食えない」
という常識を
覆したい。

というか
「食えない哲学」
であっても構わない
と思ったから
医学ではなく
哲学を選んだのだが

祖父母も
両親も
居なくなり
子も居ず

夫婦二人だけ
と成った今
(これまでは
 「頼る宛(あて=見込み、目当て)」
 としての父母や妻が存在していた
 のであるが
 蒜山高原で生活する事を決めた今
 妻の収入だけでの生活が見込めない以上)

私の
「財産(内在超越。資本主義的に言えば「商品」)」
としての
「宗教体験(内在超越)を踏まえた哲学思想」

販売出来なければ
(この「商品」が売れなければ)
生きる道が
閉ざされる。
(でも
 単に資本主義社会のシステムに
 無抵抗に呑み込まれる
 のではなく

 資本主義社会のシステムを
 踏まえた上で

 資本主義社会のシステムから
 自立したあり方を
 生きてみたい
 と思っている。)

今度こそ
自分自身の
生活力(自立力)
が試される。

というよりも
むしろ
自分自身の「財産」
としての
「宗教体験を踏まえた哲学」

「力(実効力)」

試される。

シェリングは
大学教授であったから
生活力を
自分自身の教授職で
得ていた。

カントもヘーゲルもフィヒテも
そうであった。

けれども私は
「大学教授(大学の先生)」
という職業
「ではない」
思想表現の「道」

選びたい。

哲学者としての
マルクスは
自分自身の哲学を表現するために
大学教授ではない道を
生きたけれども

生活は
エンゲルスに
依存していた。

それではいけない。

資本主義社会に
「染まってしまう」
のではなく

資本主義の社会システム
から
独立して

しかも
カントから始まった
研究者のありかた
としての
大学教授
(それは結局は国家公務員であったり
 公立や私立の大学に所属して
 国家や、それらの大学の方針に従わなければならない
 「労働者階級」以上の権利を持たない立場の存在)
からも
独立して

自立的に
社会に関わって

自分自身の宗教体験に基づいた哲学

生きてゆく「システム」を
構築したい。
(シェリングの積極哲学を
 深く理解すれば
 そういう「生き方」を
 学び取る事が出来る。)

そのために
知っておくべき
「現実(の事実)」
がある。

今更では
間に合わないかもしれない。

けれども
「必要は発明の母」
と言うように

「そうする以外に
 道(方法)が
 無くなった場合」
人は
その道を
歩かざるを得ない
のであり

その事態(新しい現実・窮地)

自分自身の人生を
決定するだろう。

そして
その「道」は
(これまで見えなかっただけで
 あるいは
 これまでは存在しないかのように
 隱れた存在(潛在)であっただけで)
そもそも私に
最初から(生まれた時から)
「用意されていた道」
だったのかも
しれないのだ。

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最終更新
令和3(2021)年6月27日 17時35分
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