やっぱり難しい、です。
大阪 ザ ・シンフォニーホール
センチュリー第254回定期演奏会
秋山和慶指揮 日本センチュリー交響楽団
(コンサートマスター 後藤龍伸)
ソプラノ:高橋 維
モーツァルト:モテット「踊れ、喜べ、幸いなる魂よ」K.165
マーラー:交響曲 第4番 ト長調
ぐすたふくんにとっては、マーラーの交響曲の中で4番と7番が長年の鬼門。しかし、7番は高関さんの「笑ってお開き」という言葉から「20世紀に蘇ったディベルティメント/セレナーデ」として、無条件に楽しめるようになって、克服。だから、現在はこの4番が難物として残っている。
このことは2020年8月の沼尻/京響の演奏のことを書いた日記にも書いた(
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1976714908&owner_id=28135846)のでこれ以上は繰り返さない。ただ、今日の演奏から受ける印象は、前回のものとは異なり、その早目のテンポと外連味のない表情付けからか、とても心地よく耳あたりの良い組曲のように感じる。
やはりそれは、ひとえに三楽章の扱い、そしてその後に降り立つ女性の声質によるところが大きいだろう。帰宅して、手持ちの4番の三楽章以後を聴き比べて、よりその思いを強くしました。
今日の秋山さんの棒は、三楽章にことさらの力点やドラマツルギーを置かないように聞こえる。だから、女声も「突然雷のような価値の転倒が起こ」るときには降り立たない。四楽章の冒頭、シンフォニーの音楽の進みを邪魔しないように、静々と舞台袖から登場する。
そして、その女声の声質は軽やかにして繊細。確かにそれは、僕がこの曲の女声に求める「子供でも大人でも、女性でも男性でも、それどころか人間ですらない」ものに近いものではあったものの、いかんせん量的に不足。残念ながら、オーケストラに拮抗できているとは言えなかったです。
この質感の声が、オケよりも前に出るほどの量を纏えるなら、と思わざるを得ないが・・・この曲にぴったり合う「声」って、この世に存在するのだろうか?、とすら思いました。
ただ、秋山さんがこの曲の美しさと聞かせどころを熟知しているのは流石。三楽章結尾の、彼岸の水平線を見通すような透明なppの響きは絶品。それをライブで聞かせてもらえたことには、素直に感謝、です。
ログインしてコメントを確認・投稿する