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2021年02月03日19:50

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楽観的は「論理」だが悲観的は「性格」かも。

■島崎遥香の重すぎる恋愛観に明石家さんまがタジタジ 「勘弁してください」
(しらべぇ - 02月03日 15:01)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=202&from=diary&id=6399811

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毎度用いる喩えだが。
靴の会社がアフリカの某国にリサーチをかけた。
AB2名の報告内容は全く同じだが、結論は真逆のものを出してきた。

A「この国の人は靴を履いてない。だから靴は売れません」
B「この国の人は靴を履いてない。だから靴は売れまくります」

ABともに出した結論について「論理的間違い」はない。Aは「靴を履く習慣や文化がない人に靴を売るのは困難である」という結論。Bは「靴を履いてないんだから靴の必要性さえ理解してもらえば売れる」という結論。

Aは悲観的でBは楽観的だと思われる。どちらも任意に選べるのならBを選べばよいんだが、なぜかAしか選べない性格の人に出会うこともある。


「いずれ別れが来てしまうのに、なんで付き合うんだろう」
⇒同様に考えるなら、究極は「いずれ死ぬんだからなにをやってもムダ」ということ。それは論理的には間違いではないが、わざわざその選択を選ぶのなら止めようがない。「付き合ってる間は幸福感が得られる」という事実を無視、軽視して「いずれ別れる」を重視した結論を出していると言える。

どちらの選択をするかはそれぞれの人が決めることであるが、私個人としては「わざわざつらく苦しいほうにフォーカスした選択肢をとる気が知れない」としかいいようがない。

論理的に考えれば楽観的選択肢を選ぶほうが断然「幸せになれる」んだが。おそらく悲観的な人は「不幸になりたくない」なのだろう。

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