今日の日曜美術館は,現代美術作家オラファー・エリアソン。
単に美術の観点からではなく,科学や工学,テクノロジーを積極的に作品に導入することで,時間の流れという目に見えない物を可視化し作品にする。
太陽光を利用した照明器具は,IKEAで商品化されたりしている。
その展示会のメイン作品となるのが「ときに川は橋となる」というインスタレーション作品。
鑑賞者ひとりひとりの自由な見方を大事にするという作者自身の考えから,その作品タイトルの意味は明確に語られなかったが,この「時に川は橋となる」という言葉は,私に大きな刺激を与えた。
作品と同じくらい,いやひょっとしたら,この言葉それ自体が作品よりも大きな刺激となった。
私なりに,この言葉の意味を解釈すると,このようになる。
川と橋は,真逆のもの同士だ。
川は一定の形をとどめず,常に流れ,移りゆく。
橋はそんな川に流されないよう,堅固な造形を持つ。
川は西と東といった地理を分断する。
橋は,その分断された西と東をつなぐ。
川は流れの方向を持つ。
橋はその流れの方向と90度転回させた向きに架けられる。
かように川と橋は交わることはない。
というのが,川と橋の関係だ。
しかし,見方を変えれば,まさしく「時に川は橋となる」のだ。
橋が西と東の地理の架け橋となるように,川は上流と下流の地理をつなぐ架け橋となる。
更に言えば,時に「橋は川にもなる」。
川の上流に降り注いだ雨のひとしずくは,山腹に浸みわたり清流となり,土中の栄養分を一杯に含み,下流に届けるように,橋はその川によって分断された場所同士を結びつけ、物資のやり取りを行う。
川と真逆の存在,常に流れゆき,一定の形をとどめえない川に対峙し,その川の流れとにらみあい,抗うかのように確固として存在する橋。
両者がその対峙をやめたとき,時間と空間は,現実世界での意味とは全く違った意味合いをもって、私たちの眼前に広がる。
あらゆる芸術作品は,見えないものを可視化し,聞こえないものを可聴化し,触れられないものを感じさせる役割があるのだと思う。
見えないものが見えたとき,聞こえないものが見えたとき,触れられないものにふれたとき,現実世界での見方とはまた違った「ありえねぇ見方」も可能となるのだ。
そのとき,世界は,全く違った意味を持って私の中に広がりゆく。
川と橋が,その新しい世界を届けてくれる。
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