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2020年06月20日21:20

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東方キリスト教思想におけるキリスト J. メイエンドルフ 教文館 1998年06月01日

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p.77
「能動者エネルゴーンはひとり、すなわち受肉した御言である。活力エネルゲイアは一つである。しかし、御業タ・エネルゲーテンタ、すなわち活力によってなされることがらは多様である(41)」。…能動者の一性――キリストの唯一のヒュポスタシス=本性――が活力の一性を引き起こすが、そこにおいて人間性と神性との「本来的な諸特性」に相応する御業が、神的あるいは人間的という異なった範疇に配分されうることを妨げることはない(43)。…
…カルケドン派の論理は、キュリロス神学の救済論的着想、そして当然、先在の御言と受肉した御言との同一性とを認めるものの、救いの人間側の側面をも気遣うものである。したがって、御言の一つの「状態」として、「エン・テオーリア」(知的理解の上で)のみ把握され、人間的実在なしの「人間的行為」の内に表現される人間性では満足することはできない。
p.78
確かに、セウェロスはその実在を認めているが、それはあくまでも「エン・シュンテセイ(合成の内に)」のことであり(44)、「フュシス」もしくは「エネルゲイア」という語によってそれを示すことは拒絶する。…だが、真に人間的な「エネルゲイア」なしの《人間本性》が、果たして真の《人間本性》であろうか。
…しかしながら、カルケドン派の多くの人々が「ヒュポスタシス」のという語の使用に施した解釈――それを「プロソーポン」との単なる同義語とみなす――は、カルケドン宣言は実際のところキュリロスに忠実なものであったことを単性説派に納得させるものにはなりえなかった。…確かにカルケドン宣言は非常に強くキリストの一性を強調し、ついでながら「合一」――[二つの]本性の――という語を用いている。しかし、厳密に言って、そこで「ヒュポスタシス」という語は、「プロソーポン」と並行した形で、「二つの本性の独自性の遭遇する武威」(tes idotetos hekateras physeos kai eis hen prosopon kai mian hypostasin syntrechouses)を表わしている。
p.79
したがって、カルケドン公会議は「合一のヒュポスタシスは御言の先在するヒュポスタシスであった」とは言っていない。…
…聖バシレイオスによれば、「本体」あるいは「本性」という語は「共通のもの」に適用されるのに対して、「ヒュポスタシス」という語は個体を示す。
p.80
カッパドキア三教父が「ウシア」と「フュシス」を同一視することで採用した聖アタナシオスの教説によれば、神的な「ウシア」は、プラトン主義的な意味で、具体的な現実を表す。つまり、三つのヒュポスタシスにおいて唯ひとりの神が存在するのである。セウェロスによれば、キリスト論において「本体」と「本性」とを同一視することは、三一神全体が受肉したと想定することになる。したがって、カッパドキア三教父の三一神学の用語はそのようなものである以上、キリスト論に応用することはできない。
p.82
 五四三年に公布されたユステニアヌス帝のオリゲネス派に対する勅令は、パレスチナのマル・サバのラウラ(修道院)で生じた混乱に直接起因している。五三一年に聖サバス自身が皇帝のもとに赴き、オリゲネス派の旗頭ノンノス修道院長の一派に対処するため皇帝が介入することを要請した(1)。
p.83
 四〇〇年の教会会議報告書簡の中で、アレクサンドリアのテオフィロスは、オリゲネス派にとって、「生ける神の御言は人間の肉体を受け取られたのではない」こと、「神の姿形であられ、神と等しいものであられた」キリストは「神の御言でなく、天界から降って来て、永遠の威厳を捨てて、人間の肉体を受け取った魂であった」ことを既に指摘している(2)。
p.89
彼の創造観は、創造を神と共に永遠のものとみなし、ニカイア公会議後の神学が確立することになる御子の永遠の誕生と時間内での世界の創造との区別を排するものであった(14)。…
…神は継続する一連のの世界を創造され(16)、その永遠の一性(henas)は知的な次元でのものである。神が創造されるのは理性的で同等の存在だからである(17)。知的なものらの多様化、更に物質化は、それらのものらの自由意志によって、また転落の結果として生ずる。この多様化と物質化の経過が、等しく堕落した理性的な存在とみなされる天使、悪霊、人間、そして天体そのものに充当される(18)。
p.94
したがって、知的なものらは、今日まさしくキリストがそうであるように、「本体によって御言と一つに結ばれ」、その創造的な力さえも受けることになろう。実際のところ、エウァグリオスは次のように述べている。
p.95
「知性(精神)が本体的な知識を受けるであろうとき、[知性(精神)は]神とも呼ばれるであろう。[知性(精神)は]多様な世界を作り出すこともできるであろうから(26)」。
 パレスチナの新ラウラのオリゲネス派の修道士たちが「イソクリストイ」(キリストに等しい者ら)とか「プロトクティステス」(元に創造された者たち)と一般に呼ばれていた理由がはっきりと分かる。…スキュトポリスのキュリロス〈五五七年頃没〉によれば、彼らは、人間の最終的な運命は、万物復興において、「キリストとの同等性」を得ることにある、と実際に主張していた(27)。
p.98
人間――堕落した知性――は、その原初の状態、すなわち、純粋に知的な働きの状態へと戻るよう招かれている。
p.99
彼にとって、イエスは《*》知性(精神)にほかならず、彼と同等になるよう人間は招かれているからである。…祈りは、創造された知性(精神)の最終的目的であり、原初の一致への「万物復興」のときに、彼らに賦与されるであろうところの「非物質的で一様な知識の前奏曲」である(同上85)。
p.100
今日ではメッサリアネ派<シリア語で「祈りの人」を意味する>の文書ではないかと疑問視されている、この『霊的講話』集は五世紀初頭のものと考えられるが、エウァグリオスの著作と同様に、非常に一般的なものとなっている。
p.101
しかしながら、批判的研究によって、『単性説派駁論』と『ネストリオス派駁論』の著者である同時代のエルサレムのレオンティオスとを区別することができるようになった。
p.102
レオンティオスは、聖サバスに反抗したパレスチナのオリゲネス派の旗頭であった著名な修道院長ノンノスの第一参謀であり戦友であった。
p.103
 1、キリストにおける二つの本性の合一と、人間における魂と肉体の合一の対比。…しかし、厳密にいって、キリストにおける神性と人間性との合一が本性的な(physike)合一であることを示すためである。魂も肉体も自立した形では存在せず、むしろ唯一の人間本性の二つの部分をなしている。同様に、合一の後、キリストは「一つの本性」であり、その[二つの]要素は切り離しえないものである(42)。レオンティオスは「本性的な合一」という考えを斥けないだけでなく、魂が「自立した非物体的な本体」(ousia asomatos autokinetos)であること、また魂と肉体は存在論的にそれぞれにおいて完全なものであること(ouk atele kath'heauta)を解明する(44)。したがって、この類比は受肉に関する単性説的な考えよりも二性説的な考えに相応しいものである。このような考えに対して直ちに向けられた反論は、それが二つの「ヒュポスタシス」の合一を前提とする一方、キリストの人間性の先在をも前提としている、というものであった。実際のところ、後に見るように、レオンティオス自身が「ヒュポスタシス」を「自己による」(kath'heauton)実在と定義しているのである。『エピリュシス』の中で、この反論に答えて、キリストの人間性の先在は存在論的に可能である(ouk adynaton)とレオンティオスは認めている。一つのヒュポスタシスは先在する諸実体から非常にうまく形成されうる――例えば、復活における肉体の魂の再合一がそれである。
p.104
エウァグリオスによれば、この堕落した状態こそが《厳密にいって「人間」なのである》。…彼はそれを救うために来られたのだからである(46)。したがって、それが彼のもとに先在したのではないことは確かである。しかし、カタ・ヒュポスタシン(kath'hypostasin)並びにカタ・ウシアン(kat'ousian)永遠に御言と合一された知性(精神)としてのキリストの先在を、レオンティオスは否定しないのである。
 2、「本体的な合一」(henosis ousiodes)あるいは「本体に則した合一」(henosis kat'ousian)という、キリストにおける神性と人間性の合一の定義。…更に、「ヒュポスタシス」としての合一を含意する、後の二つの場合は、キリスト論上の本質的な定義である「本体に則した」合一という考えに付け加えられたものとしてのみ用いられている(48)。
p.105
セウェロスと単性説派にとっては、キリスト論において「ウシア」という語は抽象的な意味をもつものであり、彼らは、既に見たように、キリストのうちに「本性的な」(physike)合一、すなわち、実存として具体的な合一において結ばれた二つの本性を認めていた。…これに反して、エウァグリオスの思想体系においては、「本体的な知識」(gnosis ousiodes)はまさしく純粋な知性(精神)らの原初の状態であり、彼らの御言との合一を表現するものであった。…いずれにせよ、レオンティオスが合一の「主体」として御言の名をだすことは決してない。この「主体」は常にキリスト、もしくは、もっと多くの場合、「主」である。この「主」が、「マリアから[生まれて]出現し、御言の内に、御言に即して神とも呼ばれ、また神の子とも呼ばれたのである(49)」。
p.106
彼にとって、「受苦」の主体は、「御言の意志によって」(boulomenou tou Logou)苦しむところの肉である(50)。そして、レオンティオスによれば、「肉」が「人間性」と同義語ではないことは確かである。彼は、その後直ちに、肉を「理性的な魂」に対置させているからである。…
…先に見たが(52)、テオドレトスはテオパスキスムス派に対して、御言の本性的な不受苦性とともに、魂の不受苦性をも引き合いに出していた。…更に、レオンティオス自身が、自分は若い頃ネストリウス派であったと、我々に告げている。
p.107
 しかしながら、レオンティオスにとって、キリストは本体的に、御言と結ばれた(kat'ousian)堕落しなかった知性(精神)であり、《人間本性》を《*》修復するために自発的にそれをまとったとすれば、いったいどのようにしてカルケドン宣言をそのようなキリスト論のうちに取り込むことができたのか。…
 例えば、レオンティオスにおいて、「ウシア」という語は、まず第一に、「何であるか、どうしてかということではなく」、端的に「実在すること」を意味する(54)。…また、他の諸々の存在から区別され、あるいは異なっている点において、個別な存在の「本体」について言うこともできる。ただし、この場合、「ウシア」は「フュシス」、すなわち「本性」と同義語になる。「フュシス」という語の固有性は、区分とか数(dieremenon)ではなく、実に、相異(to parellagmenon)を示唆するところにある(55)。したがって、ここから直ちに、レオンティオスにおいては、本性の二重性が神性と人間性との間、御言と知性(精神)=キリストとの間に存続する相異を保ち続けるにもかかわらず、どうして「ヘノーシス・カタ・ウシアン」(henosis kat'ousian)という用語が「実在の合一」を意味しうるのか理解される。
p.108
 更に、「ヒュポスタシス」という語は、区分(to kechorismenon)、個体(to atomon)、固有性(to idion(56))、そして「ある何ものか」(ton tina)をも指し示す(57)。こうして、「ヒュポスタシス」という語は本性によって同一の諸存在を指し示すことができ、したがって、異なった諸本性から構成されているが、「他のものらの内にある或るものら」として実在する諸存在をも「ヒュポスタシス」のうちに数えることができるのである。例えば、人間はそれぞれ、魂と肉体という二つの異なった本体によって形成されてはいるが、一つのヒュポスタシスである(58)。死後、魂が肉体から離れることで、二つのヒュポスタシスが出現するが、復活において、それらは再び一つのものへと結合される(59)。したがって、ヒュポスタシスの特徴は「それ自身で」存在すること(kath'heauto to hypheston)にある(60)。こうして、「多くのキリストの一つの形相」(eidos Christon)が実在するにもかかわらず、キリストのうちには「一つの本性」が存在するということができる(61)。とはいえ、ひとりのキリストが存在するのであり、このキリストを指し示すに相応しい唯一の語は「一つのヒュポスタシス」である。「一つのヒュポスタシス」は、それぞれが完全な一つの本性であるところの諸部分から形成される個体全体である(62)。
p.109
 ということは、言うまでもなく、レオンティオスにとって、唯一のヒュポスタシスは先在した御言の唯一のヒュポスタシスではなく、受肉の瞬間に形成され、御言との「本体的な合一」の内にあり、その諸部分である諸本性から構成された「キリスト」のヒュポスタシスである。
p.110
「ヒュポスタシスなしの本性はない」(ouk esti phusis anhypostatos)という公準をそろって認め、キリストのうちに一つの本性と一つのヒュポスタシスがあること、あるいは二つの本性と二つのヒュポスタシスがあることを認めるよう帰着させるネストリオス派とエウテュケス派の直面しているジレンマを論じる中で、レオンティオスは新しい考えを導入する。「或るものの内での」実在という考え方がそれである。それを彼は、「一つのヒュポスタシスの内における」実在を問題にするときには「エンヒュポスタトン」(enhypostaton)という語で示し、「一つの本体の内における」実在を問題とするときには「エンウシオン」(enousion)あるいは「ウシオーデス」(ousiodes)という語で示している。
p.111
バシレイオスと二人のグレゴリオスにとって、ヒュポスタシスは三一神を観想するにあたっての直接かつ具体的な[三つの]対象、アタナシオスの影響下にあって、いささか困難を感じつつも、彼らが存在の一性を認めたところの[三つの対象]であった(68)。バシレイオスにおいては、本体とヒュポスタシスとの定義はしばしば「共通性」と「個別性」という考えに限定されたものであったにしても、ナジアンゾスのグレゴリオスによって用いられた表現は[三位]の実在の様態をよりよく映し出すものであり、いずれにせよ、単に「諸関係」として解釈することを排するものである。[三つの]ヒュポスタシスが神性を所有しており(ta on he theotes)、[三つのヒュポスタシス]のうちに神性が存在するのである(ta en hois he theotes(69))。
 このような《レオンティオスのものとは全く異質の》眺望の内にレオンティオスの「エンヒュポスタトン」が組み込まれるとき、キリストのヒュポスタシスは先在し人間性を受け取られた――この意味でエンヒュポスタトンである――御言のヒュポスタシスそのものと別のものではないと認められるようになるとき、カルケドン宣言の言う本性の二重性はキリストにおける主体の一性を消滅させるのではないこと、その主体は《先在する》御言であったことを、キュリロスと一致し、全く明白に定義することになるとき、レオンティオスの果たした真の貢献がキリスト論の歴史の内に相応しい場を占めることになろう。
p.113
一部の者らは、先在した御言が苦しみを受け、十字架につけられ、死にえたとする、その大原則そのものをも否定した。彼らは受苦の主体として、「キリスト」あるいは「肉」、あるいは更に御言の「人間性」をあげた(1)。…したがって、アレクサンドリアのキュリロスは、ネストリオスに対して、「テオトコス」という語が《*》神学的な意味で完全に有効であることを主張し、異端宣告文の第十二条において「御言が肉において苦しまれた」と表明するに至ったのであり、逆に《*》コンスタンティノポリスのカルケドン宣言の主要な支持者であったアコイメトイ派の修道士たちは(2)、テオパスキスムス的な表式に反対しただけでなく、「テオトコス」という語さえも敬虔な迂言法であると、つまりネストリオス自身が受け入れた意味で解していた。
…問題とされたのはキリストの自己同一性そのものであり、カルケドン公会議によって宣言された「ヒュポスタシスに即した」合一の性質であった。また、「本性」と「ヒュポスタシス」という語がそれぞれ真にことなった現実を指し示すものなのか、それとも結局のところ「ヒュポスタシス」は本性的な実存の現れにすぎないのかが問題とされた。神的本性が不受苦であることは万人の認めるところであるから、受苦の主体、「ヒュポスタシス」は、その神的本性において不受苦であり続けられた御言の[ヒュポスタシス]であったと言うためには、「本性」と「ヒュポスタシス」との間に実際上の区別を認めざるをえなくなる。
p.115
実に、既にナジアンゾスの聖グレゴリオスが、それを救いに関する自分の教説の本質的な要素としている。彼は言う、再生するために「我々は受肉し、死にふされる神を必要としていた」(edeethemen Theou sarkoumenou kai nekroumenou(5))。彼は「神の血」(haima Theou)とか「十字架につけられた神」(Theos stauroumenos)といった表現を何の苦もなく用いている(6)。…
…困難にしたのは、本性によって不受苦の神に帰された「受苦性」という考えであった。
p.116
というのも、アンティオケイア派では常に、受苦は「肉」に帰されてきたからである。…しかし、モプスエスティアのテオドロスにまで遡るものである彼らの受けた教育は、「神が肉において死なれた」と言うこと、その言外の意味として、キリストの唯一のヒュポスタシスは受肉の瞬間に出現した新しい「合一のヒュポスタシス」ではなく、御言のヒュポスタシスそのものであったと言うことを一貫して禁じてきた。つまり、ここでヒュポスタシスという語は、キリストの具体的な存在を指し示すだけでなく、永遠のものであり、かつまた受肉した御言の位格として先在する自己同一性をも指し示している。キリストの死の主体は先在するこの御言である。なぜなら、キリストのうちには、御言の位格としての主体のほかに別の主体は存在しないからである。
p.117
実に、この二重の同一本体性がキリストにおいて完全に現実のものであるなら、合一の後も二つの本性もしくはヒュポスタシスが存在することになる。同一の本性が神と被造物とに対して同一本体であることはありえないからである。
p.118
「ヒュポスタシス」という語に関して言えば、彼によれば、それは「切り離された」(kata meros)実在を意味する。それは主に、キリストの人間性が神性から「切り離された」ものとして実在することは決してないこと、したがって二つの本性は具体的で唯一つのヒュポスタシスもしくは本性を形成していることを強調するために用いられる。…
 カルケドン派が合一の「ヒュポスタシス」と御言の先在するヒュポスタシスとの同一性を公式に受け入れるまでは、単性説派との対話における真の進展は成し遂げられない。
p.119
ビザンティオンのレオンティオスは、魂と肉体をそれ自体で完全な(ouk atele kath'heauta)存在論的な実体と考える一方、「ヒュポスタシス」を「自らによる」(kath'heauton)実在と定義している。論理的に、彼はキリストのうちに二つ、もしくは三つのヒュポスタシスを認めざるをえなくなる。御言とキリストを同一視することを拒否するからである。エルサレムのレオンティオスの方は、このようなキリスト論上の存在論的前提を激しく攻撃している。…

 「終わりの時に、御言は、その人間本性よりも、更に代々よりも先に存在しており、肉を欠いたものである、ご自分のヒュポスタシスと本性とを肉で覆われて、ご自分に固有のヒュポスタシスの内に人間本性をヒュポスタシス化された(te idia hypostasei enhypostesen(11)」。

 したがって、キリストの人間性は固有のヒュポスタシスを有していない。それは、受肉した御言、キリストであるところの全体の一部(meros)として実在している。つまり、個別化されてはいるが、人間のヒュポスタシスがそうであるように特殊化されてはいない。

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■【世界の街角】気分はローマ時代へタイムスリップ!世界遺産の町スプリットでローマ宮殿跡の旧市街を歩く
(GOTRIP! - 07月13日 06:30)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=206&from=diary&id=5704483

クロアチア第2の都市スプリット。アドリア海に面したプロムナーデには大きなヤシの木が並び、行きかう人々の活気に満ち溢れています。プロムナーデから一歩町の奥に入ると、そこは歴史ある旧市街。スプリットの旧市街はローマ時代の宮殿跡が発展したもので、散策しながらかつての面影をいたるところで見つけることができます。

スプリット旧市街の基となった宮殿を建設したのが、古代ローマ皇帝のディオクレティアヌス。

ここでディオクレティアヌス皇帝について少し説明をしましょう。彼は下層農民の出身でありながら、実力を着々とつけて皇帝の座まで上りつめた人物。自らをジュピター(ローマ神話の最高神)の子と崇め、キリスト教に対する最後かつ最大の迫害を行った事でも知られています。



そんなディオクレティアヌス皇帝が皇帝の座を退いたのが305年。彼はその後、晩年を過ごすための宮殿をスプリットに建設しました。この宮殿が、現在のスプリット旧市街の始まりとなります。



宮殿の壁がまるで城壁のように町を囲んでいる旧市街。東西南北に「銀の門」、「金の門」、「青銅の門」、「鉄の門」という4つの門があり、中に入るとそれまでの街並みとは一転して歴史情緒あふれる光景が広がります。



旧市街で最もにぎわうのが、12本の石柱に囲まれた広場「ペリスティル」。すぐ横には大聖堂がそびえるほか、皇帝の私邸だった建物ともつながっています。昼間の美しさはもちろん、夜も周辺一帯がライトアップされ、神秘的な光景で多くの人々を魅了するのです。



皇帝私邸の玄関だった建物内では、運が良ければクラッパという伝統的な男性アカペラ合唱を聞くことができます。伸びやかに響く声を聞きながら美しい広場を眺めれば、とても贅沢で満たされた気持ちになれますよ。



ペリスティルからほど近い場所には、皇帝がジュピターを祭るために建てた神殿があります。神殿前にあるスフィンクス像は、彼がエジプト遠征の際に持ち帰ったもの。旧市街のなかに11体あると言われているので、興味のある方は探してみると楽しいかもしれません。



歴史あふれる細い道があちこちに張り巡らされ、まるでローマ時代にタイムスリップしたかのよう。旅情あふれる光景が続き、道に迷うことさえ楽しくなるほどです。



町の中心にあるナロドニ広場は、ローマ時代というよりも中世の趣。ヴェネチア統治時代に町の政治の中心出会った場所には、カフェやレストランが並びます。



広場の隅には美しい時計塔が立ち、ひっそりと時を刻み続けています。

時間に余裕があれば、町から少し外れた場所にある「マルヤンの丘」にも登ってみましょう。アドリア海に臨む旧市街を一望でき、絶景スポットとしても人気の場所です。

ローマ皇帝の宮殿跡が発展して今の姿となったスプリットの旧市街。色々な場所を巡りながら、つかの間のタイムスリップを楽しんでみてください。

Post: GoTrip! https://gotrip.jp/ 旅に行きたくなるメディア



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