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2019年11月26日05:04

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「隠された生きづらさを表明していこう!」大喜利

ただちにこれを「甘え」とは言わないんだけどちょっと引っ掛かるところはある。

これは試みだということなのだから、今ただちにこれをどうこう言うべきじゃないのでしょう。
そもそも「生理の理解を深めるために発案した」と言ってるのだから本質的にはこれは“挑発”なんですね。
だから生理バッジの是非自体はいま僕にはわからない。
ただちょっと引っ掛かるのは「こうやって世の中はいい方向に変わっていく」とか本気で思ってんの?ってこと。
油断?
そう、ちょっと油断し過ぎではないのかな?って思う。


たとえばです。
#MeTooに始まったのが#KuTooまでなって最近は眼鏡でしょ?
でも「職場の眼鏡の是非」とかは世の中を巻き込んでシャカイモンダイにするようなことなのか?
いやいやそこまで言わなくとも、その戦略は本当に有効なのか?
なぜならそのテーマに関わり合いの無いひとびとは、本質的にはそのテーマに関心がないから。
大抵のことはただネタとして消費されるだけだから。

マイナーなテーマ(つまり小ネタ)ほど誰も問題の本質までは考えない。
そういう場合、表層的な共感と表層的な反発はいずれも問題の本質を覆い隠してしまう。
逆に無駄なヘイトを呼び寄せてハナシはどんどん横道に逸れる。
反論反論に終始して議論にもならず、そのうち意見は対消滅してすべて消える。
特に世の中は変わらない。
…ということも、もうかなりわかってきたんじゃないかな?

「細かすぎて伝わらないネタ」ってヤツ。

ネタであってもいったん話題にあげることで、それを証跡としてヤツラに突き付けよう。
そうでもしないとオッサン達の脳は永遠にあたしたちの話を素通りさせ続けるから…
そういう戦略だったらOKですけど。
そうでなかったら「それはあんたらの職場で解決してください」で終わりかねないんじゃないかな?


生理バッジの話だった。
生理の話はマイナーではないね。
ただ生理のしんどさはひとによってぜんぜん違う。
だから「生理でも頑張って働いてきた」とか「甘え」とか、さっそくうしろから撃ってくる先輩方がいて(たぶんこいつら、生理の軽いタイプの女だ)
そもそも生理を知らないし知ろうとも思ってない鈍感なオッサン以外にも敵は居る。
意外にも味方のなかに。


なんていうかな?
ひとびとの… というか日本人の社会に対する向き合い方は“共感”が原動力なんですよ。
共感ドライブ。(感情と言ってもいいけど)
もう一方にあるのが“論理”
論理ドライブ。(理屈と言ってもいいけど)

近代社会が立ち上がった西洋は異種・他民族の世界だったから「人間はみなそれぞれ違う」が前提だった。
だから「他者とは理解しあえない」
だから「他者との違いを許容する」しかない。
一緒に暮らすならば。
そういう理屈の上で何とか折り合いをつけていくしかないというのが“近代社会”の大前提なんだよね。
理屈が先。
「とはいえ、まあ同じ人間ではあるのだからなあ」っていう感情はその後で無理やり導かれる(色々と血が流れたからね)
これが論理ドライブ的な考え方の基礎。

日本はそもそも単一民族の世界だったからここは理解できなかった。
黙ってても伝わる社会だったから。
共感でハナシは済んじゃったから。
理屈抜き。
でもこれには弊害があったわけですよ。
ひとびとが共感ドライブであるかぎり、共感できないものには鈍感ですからね。

最近流行っている“マイノリティの生きづらさ問題”の本質はこういうところにある。
大抵は鈍感ゆえに隠れてきた問題なんだよね。
日本は特にそれがキツイ社会だった。

日本人は“公共”の意味を「みんな平等に我慢すること」だと思いこんでいる。
「ひとはみんな同じ」だから
「みんな同じく我慢する」ことには案外耐えられちゃう。
だもんで「みんな我慢してるわよ? なんであなたは我慢できないの?」になっちゃう。

共感ドライブでは想像力が働かない。
「誰もがそれぞれの何かしらを抱えて生きているハズだから、誰もが他者に対して寛容になればいいのに」にはなかなか辿りつけないんだよね。


(そしてやっと話が戻ってくるんだけど)
だからね。
「他人に理解されない知られざるハラスメントを発見する」大喜利というか、
「オレの、アタシの心に秘めた生きづらさをバンバン表明していこう!」ブームというか、
最近のあまたの“マイノリティの生きづらさ問題”はタダの流行りに過ぎないと思ってる。
たぶんネタだと思う。
日本人が大喜利好きなだけだよ。

そういうことがわかっていないで
世間の風潮に乗っかって、今まで黙ってたあなたがたの我慢・不満をブチまける大会になってるのは…
ありゃ?これじゃ「〜甘えだと思う」になってしまうな。
言い換えよう。
他者の善意を疑いもせずにあなたがたの生きづらさを無防備に曝け出すのはちょっと「リスキー」かも知れないぞっていうことかな?

たぶんみんな本質的に寛容になってるわけじゃない。
「いまはブチまけてもOKみたいな空気になってるから、わたしもここらで一回ブチまけておこう」が一時的に盛り上がってるだけだと思います。

空気は変わる、コロコロと。
でも世の中はそんなに簡単には変わらない。
どころかたぶんこの後、反動くるよ。 僕らの社会の常として。

あなた特有の“生きづらさ”はあなたの“弱み”でもある。
もうじきこの国が弱ってみんなの余裕が無くなったときに、合理主義がまた戻ってくる。
「いやだから、それはアナタのモンダイでしょう?」
「それを選択したあなたの自己責任でしょう?」
そうやって梯子を外されても耐えられるか?
いい方向に社会が変わるまで踏ん張り続けられるか?

そういうリスクもちょっと心の片隅に留めて、粘り強く取り組んでくれたらといいと思います。
根っこはみんな同じなんだから、生きづらいみんなが同じ孤独で繋がればいいのに



生理バッジ導入に異論反論 番組では「甘え感じる」意見も
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=145&from=diary&id=5877901
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