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2019年08月25日00:44

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やっぱり“本業”なんで… 映画「天気の子」(観覧日:8月18日)

筆者自宅アパートがある千葉市では、これまでのところ猛暑日衝撃はないみたいですが、結局はしっかりと暑かった今年の夏。まぁ、例によってというか、先週あたりまでの一番暑い時期というのは、日陰とか夜中であっても、熱風が吹いてるような感がげっそり
来年は、このような時期にオリンピックとかパラリンピックとかをやる…と言っているわけですが、たしか、1964年のときは、「このように暑い時期にやるのはふさわしくない」と言っていたはず。これだけ科学等々が発達した時代に、なんで気合が全てみたいなノリになるのか、個人的には魔訶不思議なんですけどね…


さて、これまで「ナントカ予報士晴れ」とやらで生計?を立ててきた当日記筆者。
その「ナントカ予報士」にも、会員組織がありまして(医者や弁護士などと違って、所属が必須なわけではない)、会員向けメーリングリストmail toでは、案の定…というかたびたび話題に登場するとなると、当日記ではやはり無視するわけにはいかないのであります。

ということで、何はともあれ、先日、久〜しぶりに映画館に行って観てきた、この映画カチンコ

フォト

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はい、お察しの通りの「天気の子」であります。
行ってきたのはお盆休みの終わり頃。劇場公開からそろそろ1か月というところですから、大混雑というほどではありませんが、日曜日の夕方という微妙な時間帯、かつ千葉市内であるにも関わらず、場内はまずまずの入りになっています手(チョキ)。そういえば、グッズ等々がほぼ全て売り切れで入荷待ちの状態だったようで、公開直後はもっと盛況だったのでしょう。

ストーリーはすでにあちこちのガイドやらなんやらにも出ていますし(ほぼ同時に小説版も出ましたし)、一方で、あれこれ書くとネタバレのそしりを受けかねませんので、ここではあまり触れないことにしますが、



……

………

やっぱり陽菜ちゃん可愛いわ…ハート達(複数ハート)
祈ると100%晴れさせることができるという能力を持っているけれど、それだけにちょっと影の部分をもつ女の子。この子が中学生exclamationという設定に、いまどきのオジサマは少々びっくりするわけです。自身がどうだったかはとりあえず置いといて(笑)、いまどきの女子はやっぱりすごかったり。
そこに惹かれる帆高くんも、出会ったときのひと夏は“家出して東京に出てきた“というシチュエーション。そして、ふたりがひと夏を過ごす東京は、雨ばかり続くという徹底的な冷夏雨。この、雨ばかりという天候は、ラストシーンの3年後の状況になっても続いていますが、陽菜ちゃんはそれだからこそ現実世界に存在できて、帆高くんとの”その先ぴかぴか(新しい)“が始まろうとする所でエンディングを迎えます。



まぁ、3年間毎日雨ばっかりといったお天気の設定は、さすがに物語だから…という気はしますが、ちゃんとお天気の部分を学者さんが監修しているあたり、リアリティーにもきちんと対応している感があります。
いわゆる“地球温暖化“は、今得られるデータからのシミュレーションによると、極端なお天気が増える(スーパー台風台風とか記録的大雨雨の頻度が増す)などと言われています。ほんとかな?という懐疑派の考えもありますが、いずれにしても「杞憂に終わるかもしれないし、やっぱり本当にそうなるかもしれない」ということは肝に命じておかねばなりません。「天気の子」では、このうちの「本当にそうなるかもしれない」寄りで背景が描かれているようです。


そんなわけで、かわいい…とか、陽菜ちゃんと帆高くんのある種壮絶なロマンスであったり、とある編集プロダクションの個性的な大人たちとか、直接的にストーリーや人物像を語る?のではなく、ここではやっぱり当日記筆者の“本業“でもあるお天気に絡めてつらつらと書いていこうかと^^


【読んで字のごとく、“気”である…】
そのまま“そらの気持ち”といったところでしょうか。
陽菜ちゃんの“晴れ女”の能力にしてもそうですし、「やっぱりお日様が見えるのが気持ちいい…るんるん」と思う人々の心もまたしかり。クライマックスに近づいた所での帆高くんの心の中もそうだったかもしれませんね。

学問的には、本当に温暖化した時の“地球としての辻褄合わせ”(なんとかして冷やそうとする…)というのが、現時点でよく言われる説のようです。が、映画を観ている最中は、やっぱり登場人物の心の動きに連動しているように感じられるのでしたぴかぴか(新しい)


【厳密に晴れさせる!】
理科で習う天気記号には、マル印だけの“快晴”とか、マル印の真ん中に縦線1本の“晴れ”というものが書かれています。
が、業界的お仕事用の天気図に書かれる“天気”には、「晴れ」を直接に言うものは、実はありません。「雲に覆われている範囲が一定程度未満で、雨や雪が降っておらず、見通しが一定程度以上ある」という観測結果が、“晴れ”の正体。風の強弱をとりあえず抜きにすれば、「晴れ」って、意外に“一言では言い表せない”ものだったりします。
ですので、俗にいう“天気雨”は、雨の仲間ですし、冬場の風花は、やっぱり雪の仲間。

映画の中の陽菜ちゃんは、一時的とはいえ、“雨を完全に止ませてから”晴れ間を呼び込むわけで、厳密に言っても“文句なしの晴れ晴れ”。100%の晴れ女さん、その看板に偽りはないようです。陽菜ちゃんの弟くんが被っている、てるてる坊主が一緒にいるというのも、物語そのもののピュアな部分だけでなく、こういった“理屈の上でもピュア”であることを表してるんだろうなと^^


【自然というものは…】
よく、なにかが寂れてしまった跡などを指して“自然に帰る”と言ったりしますが、ラストに近い、3年後に再び帆高くんがやってきた時の東京は、都心部はほぼ水没し、23区でも北部の住宅地でやっと陸地がある…といった姿になっています。
そこに住むゆかりのひとを訪ねた帆高くんの前で、おばあさまが、もともと今の東京の都心部あたりは、昔々は海だったから、元に戻っただけかも…と。
ある種、なるようにしかならない面があるのが自然。しかし、過度な人為的な改変を避けるだけで、ずっと持続させることができるのも自然。
このやり取りを経た後に迎えたラストシーンは、ちゃんと真っ当に生きてきたひとには、しかるべき時期にしかるべき結果が付いてくることを言っているかのようですぴかぴか(新しい)


お偉い方々の評論ペン(単に映画やアニメとして、だけではなく、民俗学とか児童福祉とか、はては鉄道だったり)が多々見られるのも、この内容ならではのことかもしれません。当日記は、あくまでも道楽つれづれな路線ですが、こういった脇道から突っつける映画、筆者も楽しませていただきました。
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