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2018年11月30日23:46

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【禁煙ゲーム×バツ:確かに美味かったのだ。】

愛煙セラピー「3269」:確かに美味かったのだ。



美味かった記憶を
錯覚だったと
思い込まなければ
いけないから
怒るしかない、
タバコの有害性の
せいにしなければ
やってられない。

しかしなぜなのだ?

美味かったのだろ?

飯が美味かった
その記憶も錯覚だと
思い込めるのか?

ああ、
飯は栄養になるが
喫煙は毒でしかなく
比較の対象にするのは
間違っていると。

なるほど、
わからなくもないが
美味かったのだろ?

錯覚だとしよう、
しかし実際に
美味かったから
誘惑するんだろ?



キチガイではない、
このしつこさは
大事なことなのだ、
なんたって脳に
嘘をつこうとしている
ではないか。

欲求を抑えるために
嘘をつくことが
悪いのではない、
それをするのなら
すべての物事が
納得できる考え方で
統一する必要がある。

自分が嘘に耐えられず
物事も嘘に耐えられず
我慢の限界がきて
本能が暴走するのだ、
それが一本吸ったら
喫煙者に戻るという
迷信の根拠。



同情してくれる、
理解してくれる人が
いるうちはいい、
世の中が平和で
禁煙ゲームに
苦悩していられるうちは
慰めてもらえば
満足はできるだろう。

しかしそうやって
遊んでいたところで
最後は虚しさに気づき
もうどうでもいいと
自暴自棄になることも
なくはないわけだ。

いいのだよ、
嘘をつこうが
楽しいのならそれで。

悔いのない人生を
歩めるのならそれで。

しかし
美味かった記憶を
捨てなければいけない
考え方にどうして
共感できるのかと
疑問には想う。



【愛煙セラピー「3269」】 

『確かに美味かった!
至福を感じていた!
ではなぜその感覚が
嘘だったと
思い込む必要がある?
束の間の一服が
錯覚による癒しなら
人生そのものがまず
錯覚でしかない。』

2018/11/27
愛煙セラピスト
志村嘉仁

う〜ん見事な極論。

共感してくれている
人たちさえも
首を傾げそうなことを
表に出すとき、

「極論の前にすでに
納得できる答えを
提示している」

わけであって、
つまり人生という
一つの錯覚世界を
いかに楽しむのか、
それを思考するのは
本来はわくわくして
仕方がなくなる
ことでしかない。



レオ八先生との対談インタビュー
http://core.leo-can.com/wp-content/uploads/2016/02/shimurasenseiinterveiw.mp3
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