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2018年04月13日05:08

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風わたるあさぢが末(すゑ)の露にだにやどりもはてぬよひの稲妻 藤原有家朝臣

風わたるあさぢが末(すゑ)の露にだにやどりもはてぬよひの稲妻
 藤原有家朝臣
 摂政太政大臣家百首歌合に
 新古今和歌集 巻第三 秋歌上 377

「風が吹きわたる浅茅の上葉に結ぶ露にさえ、それがこぼれるまでも光を留めえない宵の稲妻よ。」『新日本古典文学大系 11』p.121

建久四年(1193)、六百番歌合「稲妻」、二句「あさぢがうへの」。
摂政太政大臣 藤原良経。
あさぢ 背の低いチガヤ。チガヤはイネ科の多年生草本。
稲妻 維摩経・方便品にも「是身如電、念々不住」とある。風に散る露よりさらにはかない稲妻。
「秋月」の歌でなく配列不順。

藤原有家(ふじわらのありいえ 1155-1216)、平安時代末・鎌倉時代初期の歌人。
和歌所寄人・新古今集撰者。新古今入集十九首。千載集初出。勅撰入集六十六首。
隠岐での後鳥羽院による『時代不同歌合』では藤原長能と番えられている。
http://bit.ly/WZIIT6
http://bit.ly/VP5Iaq

https://katawareboshi01.g.hatena.ne.jp/mori-tahyoue/20110903
「浅茅」は土地一面に生えた背の低いチガヤ。平安朝中期以後の詩歌や物語では、浅茅の原といえばすなわち淋しい荒れ果てた場所というのが常識になった。浅茅が宿も同じ。阿浅茅の葉先に結ぶはかない露に宿ることさえもせず、たちまち消えて跡形もない日暮れ時の稲妻よ。歌の主題は人生の短さ、無情をうたって観念的だが、新古今歌人は観念を具体的映像で描き出すすべに長じていた。

こぬも可なり、夢の間(あひだ)の露の身の、逢(あ)ふとも宵(よひ)のいなづま。 閑吟集
室町歌謡。中世以来日本の歌謡には命のはかなさ、世の頼み難さを唄う流れが一貫している。つまり無常思想。これを多様な素材に託して唄う。前出の「風渡る浅茅が末の露にだに宿りも果てぬ宵の稲妻」の「宵の稲妻」も、無常迅速の形容句として後代大いに愛用された。右の歌謡ではそれが不実な男を待つ女のつぶやきになっている。来ないならそれもいい、どうせ命は露のはかなさ、逢う瀬も同じよと。

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