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2018年01月05日13:59

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32歳から始まる東京生活 4.『それじゃあ、今日はメインでやってみます?』


 4.


「木原《きはら》さん、今日はよろしくお願いしますね」


 中瀬《なかせ》さんは1トントラックを運転しながら俺を見ていう。

「今日の現場は簡単な方です、ちゃちゃっと終わらせちゃいましょう」

「了解です、頑張ります」

 中瀬さんの顔色を伺いながら頷くと、彼は朗らかな笑顔を見せた。

「木原さん、九州から来たんですよね。ボク、趣味が魚釣りでして、結構行くんですよ、門司の方なんか特に」

「そうなんですか。僕も友人に誘われて結構いきました。イカ釣りなんかは特に」

「お、いいですね! 福岡のイカ刺しうまかったもんなぁ。九州はやっぱり豚骨ラーメンですか?」

「ええ、まあそうですね」


 ……いい人だな。


 6歳年下の中瀬さんは常に笑顔で、顧客に対しても信頼が厚い。人間性が高く、俺の稚拙な質問にもすぐに答えてくれる。

「木原さん、施工は何回目ですか?」

「サブでいえば、5回目ですね」

「そうですか。それじゃあ、今日はメインでやってみます?」

「いいんですか?」

 驚きながら中瀬さんを見ると、彼は再び笑顔で頷いた。

「もちろんです。新卒なら1年は掛かりますが、木原さんならすぐメインでできるようになりますよ。大丈夫です」


 ……よし、頑張ってみるか。


 現場で使う資材を頭に詰め込みながら、動きをインプットする。

「大丈夫です。今日は担当も新人の方ですし、俺がサポートしますから、気楽に構えて下さい」

「あ、ありがとうございます」


 ……こんな人も東京にはいるんだな。


 赤信号の時にブラック珈琲を啜り心を落ち着かせる。ここは成長できるチャンスだと思い、積み込み表の道具を再度、頭に入れ直した。


 ◆◆◆
 

 地元の九州を離れて、5週間。
 
 未だ慣れない都会での生活も、日々の流れを追うことはできるようになった。もちろん、仕事が効率的にできるわけではなく素人のままだが、50はいる人間の顔と名前が一致するくらいにはなっていた。

 俺の仕事は葬儀の花屋、今年で8年目だ。それでも都会のやり方に馴染めず、日々勉強の毎日を過ごしている。

 それは一重に東京では貸し斎場が多く、祭壇自体から花屋で組まなければならないからだ。心機一転した俺は、葬儀屋に就職した気分で日々の施行にあたっている。

「木原さん、ちょっと葬儀者さんに挨拶してきますね」

 会場に到着し、中瀬さんはトラックから降りた。


 ……初めてのメインでの施工か。


 改めて積み込み表を眺めイメージを膨らませる。

 施工は基本二人一組だ。この一か月、サブとして現場を回ってきており、いわれた通りに動くだけでなく、メインの動きを目で追い続けてきた。


 ……早く施工を一人でできるようになって、花を挿せるようになりたい。


 東京は時間との勝負だ。精度ももちろんだが、瞬発力を生かした対応ができなければ客がつかない。うちの会社は顧客だけでも10は超えているので常にスピードを意識しながら、効率的な段取りを組まなければならないのだ。

 花を挿すために来ているのだから、途中段階で躓くことは許されない。


「木原さん、もう会場を使っていいみたいです。行きましょう」

「了解です!」

 俺は積み込み表を握り、トラックの裏に回った。

 いよいよ、施工開始だ。

 
  ◆◆◆


「木原さん、僕が荷物をじゃんじゃん降ろしていくので、後はよろしくです」

「はい!」


 ……ミスは許されない。


 三脚をセットし、スクリーンをはめ込み天井へ上げる。天井を傷つけないよう、そっとだ。

 時計を眺め、時間を意識する。15時に搬入、喪主が来るのは16時。1時間で全てを終了させなければならない。中瀬さんなら楽にできるだろうが、何もかもが初めての俺にできるだろうか。


 ……悩んでいる暇などない。


 せっかくくれたチャンスだ。やれることは全力でやろう。

「中瀬さん、中心はここでいいでしょうか」

「大丈夫です」


 中心を見て、五尺《ごしゃく》テーブルをセットする。写真台に額と写真を同封し、再び中心を合わせる。

 一番大事なのは、中心だ。中心がずれれば、全てをやり直さなければならない。これができなければ施工をメインでやることなどできるはずがない。


 ……幕を張るのは大分慣れたな。


 松本さんとの練習が蘇る。彼との特訓で、なめらかに幕を張ることができるようになった。もちろん彼のスピードには追い付けないが、今のものでも及第点だろう。

「中瀬さん、どうでしょうか?」

「…………」


 急激に中瀬さんの顔が曇る。だが止まることは許されない、何かが悪いのかはわからないが、やり続けなければならない。

 供物を載せる中段のテーブルを準備していると、中瀬さんが眉間に皺を寄せながら俺を見た。

「木原さん、そろそろスピードを上げて下さいね。後が仕えてます」

「すいません、急ぎます!」

 彼の表情を見て体がこわばる。先ほどまで笑顔だった彼が無表情で俺に冷たい視線を浴びせてくる。


 ……えっと、次はどうすれば。


 体が急速に固まっていく。これ以上求められてもできるはずがない。次の動きが予測できず、俺の思考能力は停止していく。

 縋るように中瀬さんを見ると、中瀬さんはため息をつきながら、親指で外を指した。

「木原さん、変わりましょう。トラックにある荷物を全て運び出して下さい」


 ◆◆◆


「……やっと終わりましたね」

 施工を終えて葬儀屋に挨拶を終えた後、中瀬さんはトラックに入ると笑顔に戻った。

「突然すいません、メインでさせてあげようと思ったのですが、アクシデントがありまして……」

「アクシデント?」

「担当者の横にいた人、あれ、社長なんです。あの方の前では要領よくやらないと喝が飛ぶんですよ。なので、木原さんが悪いわけじゃないです」


 ……なるほど、そういうことだったのか。


 中瀬さんの笑顔を見て、ほっと吐息が漏れる。自分のせいではないのなら、よかったと安心する。


 ……だが気づかなかった自分も悪い。


 心の中で反省する。自分自身の動きしか見えていなかった。施工は花屋だけでなく、葬儀屋と合同でするのだ。相手の動きを把握できていない時点で、それは一人よがりのものになってしまう。

「すいません、上手い誘導ができなくて。社長が来るとは思っていなかったので、あの場ではああするしか思いつきませんでした」


 ……彼の方がプロだな。


 旨そうにタバコを吸う中瀬さんを見ながら思う。早く施行を終了させて花を挿したいという思いから臨んでいた。こんな俺じゃ、いつまでもプロにはなれない。

「木原さんは花が挿せるんですよね? 羨ましい、僕は全然なので現場しかできません」

「いえいえ、俺はまだ花を挿せる段階にもありません……」

 中瀬さんはこの職場に来て3年になる。その間、花を挿させて貰える時間はほぼなかった。それは下積みを積んできたからだ。

「現場があるので、花を挿す練習は夜20時からとかになるんです。なので中々上達しないんですよ、今度、教えて下さいね」


 ……彼の本心ではない。


 中瀬さんの無邪気な笑みの奥に見える鋭い瞳に体が震える。

 この職場に来ている新卒は皆、一から覚えてきているのだ。いきなり俺みたいな中途採用がきて、花を挿そうというのであれば、怒り狂うのも無理はない。

「教えるなんて、まだまだです。でも……花が挿したい気持ちだけは負けません」

「ですよね。木原さんからはその思いを凄く感じます。だから今のうちに取り入ろうとしているんです」


 ……やはり彼には人としての魅力に溢れている。


 中瀬さんが信頼されている理由を改めて知る。人当たりのよさ、勘のよさ、感覚、バランスが優れているのだ。

 彼が花を挿せるようになったら、俺には何も持つべき武器はない。


 ……負けられない、彼にも自分にも。


 中瀬さんの笑顔の奥にある瞳を眺めながら珈琲を啜る。必ず現場もできるようになってから花挿しになってやろう。その思いを胸に缶を飲み干した。


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