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2017年09月13日17:02

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閑談、雑談、駄弁リング 

 昨日は、久しぶりに京都市内に出向き、昼の部閑談と夜の部雑談の二件を楽しんだ。いずれも齢70歳半ばのいずれ劣らぬワルジイさんの集い。まあ、旧交を温めようやという訳。

 明け方の結構激しい雷雨の余韻の残るなか(実際近鉄京都線はダイヤ混乱中だった)、かなり早い目に家を出て、寺町二条のフレンチ・レストランへ。ランチ・ミーティングと称して4人が集って、それぞれ勝手なプレートをオーダーしてオシャベリ。
「前回は鴨川堤防を歩いてギョーザ屋に入った、それ以来だから五か月ぶりか」と誰かが言った。「いやなあ、祇園祭の最中の人ごみの中をウロつくのは嫌だし、その後も暑かったからなあ」と私奴は言い訳めいたセリフを吐く。実のところ祇園祭前に集う予定だったが、今回の招集役たる私奴のズボラとメンバーの都合が重なって延び延びになっていたのだ。

 しばらくナイフ・フォークをガチャガチャさせデザートをたいらげた後、二三軒横隣の珈琲店に席を移し、オシャベリ続行。北朝鮮ミサイルだの議員の不倫疑惑などと云った特段の話題はない、多分四老人ともに「そんな事をゴチャゴチャ言ってもツマランわい」と思っていたに違いない。他愛もない閑談が続いた。ひとり8月中ドイツに語学勉強に行っていたのがいたので、「なんでまた、ドイツ語勉強や?」などなどその男に話題が集まった。それが唯一の話題らしい話題だった。
一時間強も雑談したか、「では、この辺りでオヒラキに」となった。


 夕刻、祇園石段下でチャリダー男と落ち合って、近くの小料理屋へ。先日、湖北の宿に居た時、FBに「今、チャリンコで琵琶湖周遊中。竹生島訪問を終えた」なんて写真レポがあった。「おや、当方も湖北彷徨中。近々どこかで一献やろう」と書き込んで置いたら、後日「おやそうでしたか、湖北でニアミスしていたんですね、是非飲みましょう」との返信が来ていたのだ。

 杯を交わしながら近況を訊くと、「スペインでサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を走ってきました」という。「ありゃあ、四国お遍路と同じですねえ、仏教とカトリックの違いはありますがね」と言い、あれやこれやと話が弾んだ。
この男、高知のイゴッソウで当然ながらお遍路にも詳しいし、空海に惚れ込んでいるから、彼我の細部を取り上げての比較話が面白く続いた。

 ひとしきりスペインの話が終ると、「今回の琵琶湖周回は竹生島の観音堂が一番のお目当て」と。「ふぅ〜ん、そんな趣味を持っていたっけ?」と訊くと、「実は亡くした女房と昔、西国三十三所ヵ寺を巡っていたんですが、半分程度で終わっていた。今回、意を決して残りを回り出し始めたんです。今日も昼間、清水寺と革堂へ行ってきました」と。
10年ほど前に女房さんを亡くして以来、一人身の気楽さでチャリンコで国内外を走り回り、「気楽な野郎だ」と思っていたが、案外そうでもないことが良く分かった。
「西国巡りに乾杯しようぜ!」と、またまた、杯を掲げた。

 かなり酔いが回った頃、ヤツメが怪気炎を上げた。「やっぱ、さすが空海さんは最高です。身口意の三業と言いますが、私に言わせば、道元さんは(身)、法然さんは(口)、親鸞さんは(意)。そこへいくと空海さんは(身・口・意)の三つ全てですなあ」と。
なるほど、「道元は只管打坐だと(身)、法然は南無阿弥陀仏と唱えと(口)、親鸞は本願を信じろと(意)。空海は手に印を結び(身)、真言を唱え(口)、菩提心をおこせと(意)」ということか、旨いこと言うなあと感心した。

 別れ際道元の言葉をもじって、「わたしゃ、只管打漕 か只管打走!」だと。
どうやら、死ぬまでひたすらチャリンコを漕ぎ、ひたすら走ると。
酔ってはいるが顔は結構マジだった、見上げたチャリダー精神だと思った。 
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