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2017年05月26日23:11

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まだ存在していない差別について

丹菊さんが相手をしことにさんがまとめたアイヌに対する哲学的差別言説をもとに考えたこと。

元まとめ→https://togetter.com/li/1114201



僕は生まれ育った取手市が茨城にめんめんと内服してきた差別の噴出し勝ちな町だと思っていて、首吊りだの通り魔だのたびたびプラットホームの下から出てくる変死体だの(いわゆる「ああ、また取手ネタか」と謂われるアレら様々な事象)は、たまたま競輪ですったりたまたま電車の終点だったりしたことによるのじゃなくて、一本刀土俵入や斬られの仙太で描かれるヤケクソとしか思えないケンカや反乱、坂口安吾が呆然と眺めた人心の荒みっぷりなどが傍証になる、ある種の気質が顕れたものだと思ってる。

取手がなんでそんなパワースポットになったかっていうと利根舟運と水戸街道の交点になって賭場が栄え、食い詰めた中田百姓たちの流入先になったアブク銭に沸く町だったからだと思うんだが、ここんとこムリヤリにアートで町興しみたいな勇断をしてるみたいなので、自分は関わらないけど静観しておくつもりでいる。

中学生のころだったか、絵描きだった祖父が「口訳常陸国風土記」という本の装丁の仕事をして、僕も一冊もらったのだかただポンと置いてあったのだか忘れたが、見えるとこにいつもあったのでパラパラ見てて、そして、東方異民族の血に目覚めたのです。(^^);

ちょうど父も英語劇の会社をやめて賢治劇一本に絞ろうとしてた頃で、うちでは宮沢清六氏の朗唱する原体剣舞連のソノシートがヘビロテしてた時でもあった。天狗党の残り香とか、近所に日高見とか江蔵地などの地名があることを知るのはもう数年後だったけども、なにしろ、関東というもの茨城というものが「言わないけど腹に抱えてる」過去のモヤモヤは、厨二の精神形成に大きく寄与したわけです。自然堤防の高台に竪穴住居を建てて野外劇の拠点にしたのは二十歳の時。そこは集落の鎮守でバカマチと謂われる霜月祭りが行われたり少年の柳田国男が唸った布川のつく舞いが残存してる、地面全体が遺跡みたいなところだった。

で、目覚めたのはそれとして、そのことを人に言うか、という問題が残った。

言えばそれは新しいナショナリズムの始まりだが、同時に隠されていた差別の顕在化でもあるからだ。言わずにおれば、地元の人々も通り魔やホームの死体が「なんらかの被害者」であるなどと、それが階級的民族的問題の結果だとしたら自分にも降りかかる運命であるかも知れないなどと、気づかずに過ごせるだろう。まだ気づかれずにいる差別をわざわざ世に知らしめることに僕は責任を取れるんだろうか。すでにその町に住んでさえいないのに。

結論から言うと僕は、取手の固有の差別(階級)問題については、1999年の「ハメルンのうわさ」以降いちども作品化していない。現在住んでる埼玉の宮代町にはこの芝居を書くために引っ越してきたのだが、現在の「地元」で新住民として、「ネイティヴになりすぎない立場で」、固有のではなく土地勘と階級と差別一般のありようについて書くにとどめてきた。それは個人のありよう作家のありようとしては卑怯だったと言えるが、容赦なく故郷の社会構造を暴くことがどう地元民の幸せに繋がるかの回路が見つけられずにいる以上、書いちゃいけないことがある、と考えざるを得ない。

どんなに抽象化しようとしても差別は現場では具体である。

まとめに戻ると、この作家志望らしい哲学君は虚無論をぶってるわけだけれども、ざっくり言うとコレ、釈迦哲学の引き写しでありつつ、釈迦が階級制への傷みと済民思想に基づいてこそ「権力も不幸も同様に存在しない」との認識に至ったことがスッポリ抜け落ちている。抜け落ちれば虚無論は権力のおもちゃにしかならない。差別の具体性・身体性を生きないからだ。

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