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2017年02月16日05:00

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人を軽んじると?

ある者は、ある人間を軽視しその結果がもたらす悲惨さを考えずそれを実行する。そもそも何故?人間は人間を軽視したり、蔑視したりするのか?
例によって筆者の見解を述べよう。
結論からすれば「的外れな自己実現」のために人は人を軽視するのだ!
では、何故?そこまでして自己実現をしようとするのか?それは、それが実に自身に都合が良く、実に居心地が良いからである!
では、その居心地の良い状態はいつまで続くであろうか?はたまた、そこからどれだけの物が得られるのだろうか?それについて深く掘り下げよう。
人間居心地の良い気分がする行為は残念ながら「悪習慣」となり、それがあたかも当たり前かのように振る舞い、結果的に人を軽視するのである。すなわち軽んずるのだ!
では、軽んじられた側の心情について考察しよう。
人は軽んじられた!と感じた時、抱く感情は如何な物であろうか?それは例の如く、「反感」
「不信」ではないだろうか?
例を以って示そう。
会社で一人の後輩が、ある上司に対しては謙遜に振る舞い、ある「先輩」に対しては、どうせあんな先輩と軽んじたとしよう。
また、人に何かを依頼して、それに応答が有った時に、相応しく応答せず、礼節を重んじず、それに対して、「軽視」という形で返したとしよう。
当然そこから生まれるのは「反感」であり、上司ではないため評価対象と出来なかったかもしれないが、その人は「軽んじられた」という不快を生じ、決してそこから生まれるのは「好感」などではないのだ!
では、そのような場合、何が起きるのか?
それは、その後輩に対する「不信」「怒り」であり、それは即ち争いの素とはなろうが、繰り返すがそこに「平安」はないのだ!
では、そのような場合どうするべきなのか?
それは、やはり、その先輩はぐっと堪えてその時を過ごすため非常なストレスを伴うが、後になってそれは、やがてその軽視の対象であった者に報われるかのように、あの人は!
と上司の耳にも入り、後になって自身の評価を下げるのだ!
そうなっては時すでに遅し!
やはり、会社なりではどのような仕事をしていようとも、先輩や上司は尊敬の念を持ち、へりくだり、「教えてください。」という低姿勢が必要なのではないだろうか?
仮にもその先輩は何年かでも、先に仕事をしているため、蓄積された知識はすくなからず新人よりは豊富なのである。
であるならば!尚のことその先輩を敬い、尊敬の念を抱き、「教えてください」を実行しようではないか!
言葉は悪いがゆとり世代は兎角このような事が苦手である!
しかし!その代償は!あまりに大きいのだ!
今!変わろう!
貴方が!軽んじている相手は!決して軽んじるべきではなく!
尊敬の対象なのだ!
是非悔い改め!見直そう!
その「軽視」やめませんか?
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