「木原(きはら)さん、今日はよろしくお願いしますね」
中瀬(なかせ)さんは1トントラックを運転しながら俺を見ていう。
「今日の現場は簡単な方です、ちゃちゃっと終わらせちゃいましょう」
「了解です、頑張ります」
俺は彼の顔色を伺いながら頷く。
俺より6つ年下でありながら、施工のプロとして信頼されている彼と一緒に行ける現場は貴重だ。
「木原さん、九州から来たんですよね。ボク、趣味が魚釣りでして、結構行くんですよ」
「そうなんですか。僕も友人に誘われて結構いきました。イカ釣りなんかは特に」
「お、いいですね。夜に光を浴びせて釣るんですよね? いいなぁ。九州はやっぱり豚骨ラーメンですか?」
「ええ、まあそうですね」
「やっぱり本場で食べたいなぁ。博多には屋台とかあるんでしょう? 行ってみたいなぁ」
……彼となら成長できそうだ。
中瀬さんは常に笑顔で、顧客に対しても信頼が厚い。人間性が高く、俺の稚拙な質問にもすぐに答えてくれる。
「木原さん、施工は何回目ですか?」
「サブでいえば、5回目ですね」
「そうですか。大体の流れは掴めました? 今日はメインでやってみます?」
「いいんですか?」
俺が驚きながら中瀬さんを見ると、彼は笑顔で頷いた。
「もちろん。新卒なら1年は掛かりますが、木原さんならすぐメインでできるようになりますよ。大丈夫です」
……よし、頑張ってみるか。
現場で使う資材を頭に詰め込みながら、動きをインプットする。
「大丈夫です。俺がサポートしますから、気楽に構えて下さい」
「あ、ありがとうございます」
……こんな人も東京にはいるんだな。
彼の笑みに安堵して、持ってきたブラックコーヒーを啜って一息つく。
こわばっていた肩の力が抜けると、腹が減っていたことを思い出した。運転している彼に配慮しながら俺は、コンビニで買ったパンをつまむことにした。
地元の九州を離れて、東京で二か月目。
未だ慣れない都会での生活も、日々の流れを追うことはできるようになった。もちろん、仕事が効率的にできるわけではなく素人のままだが、50はいる人間の顔と名前が一致するようになった。
俺の仕事は葬儀の花屋、今年で8年目だ。それでも都会のやり方に馴染めず、日々勉強の毎日を過ごしている。
それは一重に東京では貸し斎場が多く、祭壇自体から花屋で組まなければならないからだ。心機一転した俺は、転職した気分で新しい職場で奮闘している。
今日の現場は落合斎場(おちあいさいじょう)、東京博善(とうきょうはくぜん)と呼ばれる貸し斎場だ。東京都に6つある斎場で、火葬場も併設されており、施工がしやすいのが特徴だ。
「木原さん、ちょっと葬儀者さんに挨拶してきますね」
会場に到着し、中瀬さんはトラックから降りた。
……初めてのメインでの施工か。
改めて積み込み表を眺める。
施工は基本二人一組だ。この一か月、サブとして現場を回ってきており、いわれた通りに動くだけでなく、メインの動きを目で追い続けてきた。
一番始めにやらなければならないのは会場のバックスクリーンだ。博善では常時、白の幕は下がっているが、今日の施工では紫の幕を張ることになっている。
それは花祭壇が紫メインで挿してあるからだ。
……早く施工を一人でできるようになって、花を挿せるようにならなければ。
東京は時間との勝負だ。精度ももちろんだが、瞬発力を生かした対応ができなければ客がつかない。うちの会社は顧客だけでも10は超えているので常にスピードを意識しながら、効率的な段取りを組まなければならないのだ。
花を挿すためには、ここは完璧に突破しなければならない。
「木原さん、会場を使っていいみたいです。行きましょう」
「了解です」
俺は積み込み表を握り、トラックの裏に回った。
いよいよ、施工開始だ。
三脚をセットし、スクリーンをはめ込み天井へ上げる。天井を傷つけないよう、そっとだ。会場の広さでは、5つのスクリーンが必要になるが、自分たちが動くスペース・動線(どうせん)を確保するため、3つで留めておく。
「木原さん、僕が荷物をじゃんじゃん降ろしていくので、後はよろしくです」
「了解です」
……ミスは許されない。
時計を眺め、時間を意識する。15時に搬入、喪主が来るのは16時。1時間で全てを終了させなければならない。中瀬さんなら楽にできるだろうが、何もかもが初めての俺にできるだろうか。
……悩んでいる暇もない。
せっかくくれたチャンスだ。やれることは全力でやろう。
中心を見て、五尺(ごしゃく)150cmのテーブルをセットする。写真台に額と写真を同封し、再び中心を合わせる。
一番大事なのは、中心だ。中心がずれれば、全てをやり直さなければならない。これができなければ施工をメインでやることはできない。
延長コードで電線を伸ばし、写真と繋げる。他にも光玉、エコライトと電気を必要するものは多く存在するので、余裕を持って電線を確保する。
「中瀬さん、中心はここでいいでしょうか」
「大丈夫です」
確認を終え、テーブルに花を載せる。今回の花祭壇は写真前の上段と、下段の二つだ。会社で作り上げた花を載せた後、幕を張る。上段のテーブルの幕は見えないので、丁寧さよりスピードを意識する。
……幕を張るのは大分慣れたな。
松本さんとの練習が蘇る。彼との特訓で、なめらかに幕を張ることができるようになった。もちろん彼のスピードには追い付けないが、及第点だろう。
「中瀬さん、どうでしょうか?」
「……オッケーです」
……何か言い方がまずかっただろうか?
彼の浮かない顔を気にしながら施工を続ける。
供物を載せる中段のテーブルを準備していると、中瀬さんが眉間に皺を寄せながら俺を見た。
「木原さん、そろそろスピードを上げて下さいね。後が仕えてます」
……え?
俺は耳を疑った。自分的には素早く動けているように思っていたからだ。
「すいません、急ぎます」
彼の表情を見て体がこわばる。先ほどまで笑顔だった彼が無表情で俺に冷たい視線を浴びせる。
……えっと、次はどうすれば。
体が固まる。これ以上求められてもできない。次の動きが予測できず、俺の思考能力は停止していく。
「中瀬さん……」
俺は縋るように彼を見た。
俺にはまだ無理だ、これ以上スピードを上げて施工すればミスが出る。そうなればきっと顧客に対しても……。
俺の姿を見て中瀬さんはため息をつきながら、親指で外を指した。
「木原さん、変わりましょう。トラックにある荷物を全て運び出して下さい」
「……やっと終わりましたね」
施工を終えて葬儀屋に挨拶を終えた後、中瀬さんはトラックに入ると笑顔になった。
「すいません、余計な心配を掛けさせてしまって。次回はもっと要領よくやれるよう頑張ります」
「いえいえ、木原さんが悪いわけじゃないんです。」
中瀬さんは俺を見ていった。
「今日の担当者はよかったんですが……、後から来た人がいたでしょう。あれ、顧客の社長なんです」
施工の途中で来た人間がいた。俺は施工に夢中になっておりそこにまで気づかなかった。
「あの人、結構仕事ができる人でしてね、要領よくやらないと喝が飛ぶんですよ。なので、木原さんが悪いわけじゃないです」
……なるほど。
中瀬さんの笑顔を見て、ほっと吐息が漏れる。自分のせいではないのなら、よかったと安心する。
……だが気づかなかった自分も悪い。
心の中で反省する。自分自身の動きしか見えていなかった。施工は花屋だけでなく、葬儀屋と合同でするのだ。相手の動きを把握できていない時点で、それは狭く一人よがりのものになってしまう。
「木原さんに覚えていて欲しいことがあります」
中瀬さんはセブンスターに火を点けながらいった。
「僕たちはまだ、花屋として新参者です。この仕事で一番大切なのはスピードと、信頼です。実績が薄い僕らの会社ではスピードしかないんです」
「なるほど……」
俺は彼の言葉に頷いた。東京には大手の花屋はたくさんある。その中で生き抜くためには、強い武器が必要だ。
「東京では洋花園(ようかえん)がトップです、自社ビルを持つほど大きく営業利益、実績ともに優れています。だから、うちを使って貰うためには求められることが多いんです。施工だけができても駄目なんですよ」
……やはり考えが甘かった。
心の中で舌打ちをする。俺だけでなく中瀬さんもまた評価される側なのだ。
……ただ花が挿したい、その思いだけで施工に臨んでいた。
だから彼のように周りを見渡すことができなかったのだ。
「すいません、上手い誘導ができなくて。社長が来るとは思っていなかったので、あの場ではああいう方法しか思いつきませんでした」
……彼の方がプロだな。
旨そうにタバコを吸う中瀬さんを見ながら思う。
思いだけではうまくいかない。
なら、意識を変えて、変えて、変え続けていかなければ。
どうやっても花が挿したいという欲求は消えない。それは地元にいた時から思っていたことだ。なら、そうできるよう改善を重ね続けていくしかない。
自分にはこの仕事しかないのだから――。
「木原さんは花が挿せるんですよね? 羨ましい」
「いえいえ、僕はまだ花を挿せる段階ではないので……」
中瀬さんはこの職場に来て3年になる。その間、花を挿させて貰える時間はほぼなかった。それは下積みを積んできたからだ。
「現場があるので、花を挿す練習は夜20時からとかになるんです。なので中々上達しないんですよ、今度、教えて下さいね」
……彼の本心ではない。
中瀬さんの無邪気な笑みの奥に見える鋭い瞳に体が震える。
この職場に来ている新卒は皆、一から覚えてきているのだ。いきなり俺みたいな中途採用がきて、花を挿そうというのであれば、怒り狂うのも無理はない。
「教えるなんて、まだまだです。でも……花が挿したい気持ちだけは負けません」
「ですよね。木原さんからはその思いを凄く感じます。施工を見ていても、真剣で伝わりますよ。だから今のうちに取り入ろうとしているんです」
……やはり彼は人としての魅力に溢れている。
中瀬さんが信頼される理由を改めて知る。人当たりのよさ、勘のよさ、感覚が優れている。
彼が花を挿せるようになったら、俺には何も持つべき武器はない。
……それでも、花が挿したい。
改めて心の中で思う。これまで花屋しか経験してきていない自分にできることはこの仕事しかないのだ。
……もっと鋭く、もっと正確に。
人としての魅力、ただ花が挿せる人間は五万といる。なら自分の持ち味を出さなければならない。
それはきっと気の遠い道のりだろう。
だが、目標は見えないくらいがちょうどいい。そのための都会での修行なのだから。
この先、どこに行ってもできる技術を身につける。花屋として生きていけるように――。
「施工についてわからないところがあれば、いつでも答えますからね」
……彼もまた、俺を見分けようとしている。
笑顔の奥にある瞳を見て確信する。自分ができる人間になるか、ならないかを選別しているのだ。それはこの会社で生き残るためには必須だ、彼自身も見られている側なのだから。
「ありがとうございます、よろしくお願いします」
……彼とも、穏やかな日々は過ごせそうにない。
俺は心の中で意識を変え、彼をライバルと見ることにした。
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