mixiユーザー(id:2223977)

2016年10月07日12:36

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社会適応じゃなく世界適応

Adaptation to one's own community
(或る人が所属している共同体への適応)
ではなく
Adaptation to the world where everything is
(総(すべ)てのものが存在している世界への適応)
であるべきだ。

この
「the world where everything is
 = 総てのものが存在している世界」

「総てのもの(everything)」
の中には
人間だけではなく
動物や植物も含まれているし
自然存在(物質的なものも含めて)の
総(すべ)てが含まれている。

また
人間に限っても
自分が属していると思っている民族だけを意味している
わけでは勿論なく
総ての地球上の民族を指している。

「社会に適応する」
という言葉は
「自分が属している国や民族や地域に適応する」
ということだけを指すのであっては
完全な概念ではないと思う。

もう少し視野を広げて
少なくとも地球全体まで視野を広げて
(なぜなら宇宙全体にまで視野を広げても
 自分自身が生きてゆける環境ではないので
 現実的ではないからだ)

地球環境を共有している
総(すべ)ての生きとし生けるものを含めて
そういう
everything(生物だけじゃなく自然存在も)
にとっての
「共有環境」に
「adaptation(適応)」する
という
「視座(view and stand point)」
を持つべきだ
と言われれば

素直に
「ハイ、そうします(Yes, I will do)」

言いやすい。

通常の
「社会適応」だと
「おまえが属している限定された社会の方針に従え」
と「聞える」ので
抵抗が有るけど
(少なくともマルクスの経済哲学を知る者にとっては)

「全世界の人々や
 総ての生きとし生けるものが暮らす
 この地球環境に適合せよ」
だったら
納得できる。

その意味で
語学学習も

「世界の現在生きている人々
 のみならず
 これまで地球上で生きてきた
 世界の総ての人々の
 言葉(言語)に
 適合しよう」

と言う意味ならば
納得できる。

でも
全世界の言葉を
総てマスターすることは
現実的ではないので

自分が知りたい智慧を授けてくれそうな
言語に絞って
修得を目指したい。

例えば

哲学では

(1)ドイツ語(ドイツ古典哲学・大陸合理論)
(2)ギリシア語(ギリシア哲学)
(3)ラテン語(中世哲学)
(4)フランス語(フランス哲学)
(5)英語(イギリス経験論)

宗教では

(6)サンスクリット(仏教)
(7)ヘブライ語(キリスト教)

などだ。

日本語に関しては

(8)明治期文語文(森鴎外など)

を読めるようにしたいものだ。
(書けるようになればさらに良いが。)

仏教に関しては
サンスクリットだけでは不十分で
バーリー語や
チベット語に
中国語(漢語)も
知らなければ十分ではない。

キリスト教に関しても
ヘブライ語だけでは不十分で
アラビア語等も必要だと思う。

けれども
それらの総てを修得しようとする事は
肝心な事(私にとっては哲学的な原理と方法)が
判らなくなってしまうので

以上の中から

現代語としては

(1)ドイツ語
(2)英語
(3)フランス語

古典語としては

(4)ギリシア語
(5)サンスクリット
(6)ラテン語

に限定して
修得を目指す事を

「世界適応」

だと捉えて

SST(Social Skills Training)
ならぬ
WST(World Skills Training)
として
目標としたい。

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