「お、木原(きはら)君。いいじゃん、できるね」
土口(つちぐち)専務に花挿しを褒められ、俺は顔を綻ばせる。
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、次はこっちをやって貰おうかな」
彼は笑顔で俺を見ながらいう。
「はい、やらせて頂きます」
……ようやく俺を見てくれる人が現れた。
久しぶりに胸が高鳴る。ようやく自分を認めてくれる人が現れたのだ、嬉しくないわけがない。
職場の雰囲気が一気に和らいでいく。30人以上いる社内の厳しい視線が緩んでいき、俺はここにいていいのだと思えるようになっていく。
……ようやく花が挿せる。もっとこの人に認めて欲しい。
支社長であり、専務でもある彼に認められれば、自然と皆にも認められるはずだ。
ここできちんとやり遂げれば――。
「ありがとうございます、次も頑張ります」
東京に来て一か月。
九州の葬儀花屋に務めていた俺は、上を目指して東京の葬儀花屋に就職し研修を受けていた。東京は九州と違い、花が挿せればいいというわけではなく、全てをこなすバランスが求められた。
東京はほぼ貸し斎場で、花屋が祭壇を作らなければならないからだ。そのため幕張り、電源の確保、道具を全て自分たちで組み立てていく。今まで斎場の道具を扱ったことがない俺は葬儀屋に転職した気分でこの研修に臨んでいた。
もちろん、いきなりうまくいくはずがなく毎日必死にしがみついていっている。元々文化系に属していた俺の能力は低く、体育会系の彼らに翻弄されながら、使えない新人として見られているのも知っている。
だがようやく、ここにきて自分のスキルを発揮できる場に来たのだ。
「マムで外形を取ってと……」
スプレーマムと呼ばれる菊で輪郭を取り、形を作る。東京の供花は九州のものに比べて二回りほど小さく、今までのものに比べたら簡単に作り上げることができる。
「お、やっと本領発揮かな」
土口さんが俺を見て微笑む。彼は俺の先輩の先輩であり、彼に褒められると自然と心が浮き立っていく。俺の居場所がゆっくりと固まっていき、安らぎを覚えていく。
「いえいえ、初めて作るので要領は得ていませんが」
「大丈夫、できてるよ。気楽に作って貰っていいからね」
「ありがとうございます」
……しかし気を抜けない。
周りに目をやると、皆、作業をしながらもちらちらと俺に視線を流していく。中には舌打ちする者までいる。
……もちろん彼らの反応も理解できる。
花挿しは施工にいけるようになってから始まるからだ。現場で認められてようやく花を挿す準備が始まるのに、中途で入って現場のできない俺がいきなり花を挿すとなると、恨みを買うのも理解できる。
……だけど、俺の武器はこれしかない。
鉄鋏で洋花のカーネーションの長さを調節しながら思う。花を挿すことだけしかやってこなかった自分がそれ以上のことができるとは思えない。そこにしか情熱を掛けてこなかったのだ、なら後はこの流れに乗るしかない。
自然と手が硬直していく。鋏がやけに重たい。手首が自分のものとは思えないほど、ぎこちなく軋む。
それでもやり遂げなければならない。想定されている時間内より早く仕上げ、誰よりも美しく挿す。
今、作っているものは基本中の基本だ。これができなければその先の未来はない。
「……うーん、甘いね」
土口さんは俺が挿した供花を見て顔色を変えた。
「基本はできている。だけどまだ、抜けている部分が多いね。もっと俺が挿したものと見比べてみて。ま、練習すればできるようになるよ」
「……すみません」
……これで駄目なのか。
自分的にはできていると思った。九州の挿し方は空間を生かし、花を大きく見せるのだが、こちらでは隙間を嫌う。俺の挿し方が甘く、土口さんは手直しを施していく。
花挿しにとっての屈辱である手直しは、周りの評価を著しく下げる。他人の手を加えるということは職人として失格のレッテルを張られるのと一緒だ。
もちろん、彼のように技術レベルのある人の手直しなら、自身の価値を下げることは少ない。
だが彼の冷ややかな視線が、俺に対する色を失っていくように感じる。
「じゃあ次は戻ってきた花を片付けて貰おうか」
「……了解です」
土口さんの顔をちらりと見ると、さきほどまでの笑みはなく、再び俺の足元は一瞬にして崩れていた。
……悔しい。
ため息をつきながら職場で食後の珈琲を啜る。
甘かった。土口さんに笑顔で話し掛けて貰い、気が緩んでいた。もっと真剣な気持ちで向かっていれば、彼の笑顔を消すことはなかったのかもしれない。
……いや、それも言い訳だ。
首を振り、再び供花の練習に入る。認めて貰いたいという思いが強く、花挿しとして仕事を全うしていなかった。
職人の質は一瞬で決まる。
『できる』と思わせたらそれで完了するのだ。
そこには気持ちなど必要なく、ものを見て判断される、そんな当たり前のことを忘れて何が花屋だろうか。
前歴など関係ない、目の前のモノにただ集中するだけ。
集中、集中、ただひたすらに集中しろ……。
「お、ちゃんと練習しているね」
土口さんが再び俺に笑顔を向けてくれる。
「君は毎日、残って練習してるの?」
「ですね。体力だけしか取り柄がないので、一日一つ課題をこなそうと思っています」
「そうか、それはいい」
土口さんは外にある自販機で飲み物を買って俺に投げた。
「何をするにしても、体が資本だからね。きちんとこなせば、周りは評価してくれるよ」
「そうだといいのですが……」
俺ができるようになっても、周りはきちんと評価してくれるだろうか。余計に恨みを買いそうな気もする。
「花を挿すことで一番必要なことはなんだと思う?」
「観察力でしょうか? 目できちんと判断できなければいいものは作れないと教えて貰ってきました」
「それも大事だね」
土口さんは口元を緩ませる。
「だけどもっと大事なことがある。それは君のように、努力を惜しまないことだね。経験しか実力には結びつかないから、ともかくやることだと俺は思うよ」
……確かに彼のいう通りだ。
前の職歴でやってきたからこそ、前の癖が残っている。なら、それ以上にここで練習してその癖を超える経験をすればいいだけだ。
「君は今年で何歳になるんだっけ?」
「32歳です」
「なら、仕事とは何かわかっているね?」
「……わかっているつもりです」
「そうか。なら、できるようになるよ。君には期待しているから、そのつもりで頑張ってくれ」
「はい、ありがとうございます」
俺が頭を下げると、彼は手を振りながら会社を後にした。
……期待、か。
彼に買って貰った微糖の珈琲を啜りながら一息つく。注目されていることは痛いほどわかっている、それは期待でもありながら、注意でもあり、異質なものに対する警戒のようにも感じている。
……仕事ができるようになりたい。だが、その思いだけでは何かが足りない気がする。
新しい世界を知りたい、しかし夢を見る少年ではもういられない。年相応の活躍を見込まれているのだ、だからこそ技術だけでなく、立ち振る舞いまで見られている。
……もちろん、それがわかった所で何も変わらないが。
深呼吸をして、再び供花の練習に入る。自分自身に課せられている労力に見合うためには、一本でも多くの花を挿すことだけ。
……今は職人失格でもいい。一年後に必ず職人として復帰してみせる。
菊を取り、指で感触を確かめる。
後はこのまま、まっすぐに挿すだけ。
自分自身にも芯をいれるように、まっすぐに――。
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