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2016年08月28日20:15

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わしは托鉢からやり直します!

ここ数日は曇り基調で温度が下がり、27日夜半〜未明には待望の「まとまった雨」が降ってようやく情緒的に安定?した感じである・・・とはいっても今日は午前中からまた快晴なのであるが(笑)


閑居していて退屈していたはずなのだが、これも単に一つの事象に過ぎず「やる気の正弦曲線」はひょんなことから上昇局面に転じ、急にあれこれと「やること」が出来してきてしまった・・・。

その「ひょんなこと」についてはいずれまた後日詳細を書くとして、とりあえず続き物?の完結を謀らねばなるまい。

というわけで、元極道者の坊さんのお話の続きざんす。


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生まれて初めて母親の「無償の愛」に撃たれ、しかも思ってもみなかった「他者(しかも敵である)への慈悲」という知見が突如もたらされ、ヤクザ・渡世人としての自分を形成していた世界観までが一気に崩壊してしまった・・・・彼が、そのまま同じ人生を続けられるわけはあるまい。


子分たちを前にして、決行直前に迫っていた「襲撃」を中止を宣言し、彼は姿を消してしまったのである。

「個人的事情」で襲撃を中止してしまう・・というのは当然身内に対する不義理でもあるわけで、敵味方双方の追求からの緊急避難としてのエスケープだったのであろうか?


ここら辺の話の内容は現在ではちょっと朧気になってしまったのだが、彼は「関西地方の山の中に潜伏して彷徨していた・・・」そうである。


それで山中に鎮座していたあるお社の社務所に匿ってもらうことになり、宮司さんに「事の経緯」を話して、これから「自分はどう生きていくべきか?」を相談したら、その宮司さんからは、

「ここにいれば神様の話はいくらでもしてあげるが、それよりも貴方は『仏門』に入った方が良いのではないか?」

と「出家」を勧められ、関係のある「お寺さん」を紹介してくれた・・そうである。


その言葉を聞いた彼がどの程度それについて熟考したのかは定かではないが、勧められるままにその「お寺さん」に赴き「得度」して天台宗の僧侶となった・・・のであった。


おそらくその後自分の親分筋に詫びを入れ、正式に足を洗って組を抜けたのであろうし、極道の世界も「出家」者には手を出せない?・・・的な風潮が昔からあるらしい。


その後彼がどのような仏道修行の日々を送り、僧侶としての生活を送っていたのかは詳しくは聞かなかったが、極道の世界では「法事」というのは大変重要な儀式=ステータスでもあるわけで、

以降はそれらの儀式の執行に呼ばれたりしてお布施を頂いていた・・そうな(笑)、まあ確かに「ヤクザ関係の法事に関わる」にはそれ相応の胆力も必要であろうから、彼にはうってつけだった・・のでもあろうし。



そして歳月が経過したある時、彼の兄弟子筋の僧侶がインド巡礼を思い立った際に、彼も同行を志願したのだそうだ・・・曰く、

「独りでもインドに行ってみたいとは思っていたけど、なんせ中学の頃から勉強嫌いで不良になっちゃったから、英語が全然解らないので・・」

とのことで、英語も堪能な兄弟子に頼み込んで連れて行ってもらうことにしたらしい(蛇足ながら旅費は、「法事でつき合いのある親分衆」たちが寄付してくれたそうな・・笑)。


僧侶であるからもちろん「仏跡巡礼」がメインだが、この兄弟子僧侶がなかなかの傑物かつ英語も堪能なので、ありがちな「業者によるお仕着せの豪華な巡礼旅」とは違ってどこかバックパッカー的なところもある旅で、それ故にリシケシやカルカッタでも「安宿」に近いホテルに泊まり、ヒンドゥの聖地も巡ったそうである。


・・・・という具合で92年5月のリシケシ、及び6月のカルカッタで私はこのお坊さんとしばらく一緒だった次第であり、先日紹介した格言を教えていただいたのであった。

因みに「禅の言葉だろう」などと知ったかぶりをしたが、ある方から「最澄さん」の言葉ですよ・・という指摘を頂いたざんす(ご指摘感謝!)、考えてみれば天台宗の坊さんからの訓戒なのだからねえ。



酷暑季だっただけにこの坊さんは毎日ガンガーで沐浴していて、

「鈴木さん、インド人たちがわしの『背中を眺めに沢山集まってくる』ので恥ずかしくて困りますよ」

・・などとぼやいていたが、

そりゃあねえ、インド人も入れ墨をしている人が多いがワンポイントのものばかりであって、あんな見事な倶利伽羅紋紋の絵が背中に彫られてりゃあ皆さん興味津々で見物に来ますわな。

(日本では「スーパー銭湯」に入場できない・・のがとても残念で、「厚生省あたりが『この人はもうヤクザではありません!』みたいな証明書を出してくれないもんですかねえ?」などとギャグを飛ばしていた。)


確かに英語はさっぱり出来なかったがあれこれの「教養」がある人で、旅人たちが集まって「これまでに読んだ書籍」の話になり、ドストエフスキーの「カラマゾフの兄弟」をいつ・どこで読んだか?・・・の展開になって、

私が「潜水艦の中で読んだ(事実ざんすよん)」と言って「笑いのトリを取った」つもりになっていたら、この坊さん曰く・・

「わしは刑務所の中で読みました」

で一気に持って行かれてしまったざんす・・多分「罪と罰」もそうであろうが(笑)



この一連のインド巡礼の旅はこの坊さんには鮮烈な印象(特にサドゥさんたちの・・)をもたらしたようで、帰国してからある程度電話でやりとりなどもしていたのだが、ある時・・

「鈴木さん、わしは托鉢からやり直します!」

という宣言を最後に、以来音信不通となってしまった・・・・。



それからもう24年、私も折に触れてこの坊さんから教わった「座右の銘」を悩める人に教示したりもする・・ようになったわけだが、さてさて今頃どこでどうしていらっしゃるのだろう?


もしいつの日かこの坊さんが「ラマナ=アルナーチャラ」に関心を持ち、再びインドへ行こう!!・・・ということになったら、是非ともご案内したいものである。

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