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2016年06月17日02:22

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残すべき思想を、残すべきままに残す為に(追補版 Ver.2)

学校教育の限界は
国家の方針を逸脱出来ない事だ。
(家庭教育や社会教育には
 学校教育のような「縛(しば)り」は無いが
 その分「学校」という「環境」は存在しない。
 なので
 家庭教育の場合は「家庭」が教育の「場所」であり
 社会教育の場合は「社会」が教育の「場所」である。)

国家の方針が
そのまま最善であるならば
問題はないが
必ずしもそうではない。

むしろ哲学の本領は
現状の問題点を克服する打開策を練る場所であり続ける
ということ
なので

現状の枠内で思考する事を余儀なくされる
学校教育では
哲学は窒息する。

カント以後
哲学者が
大学教育者(大学教授)であることが
「常識」と成っており
大学教員「ではない」
「在野の研究者」あるいは
「在野の思想家」は
相手にされなくなって久しい。

けれども
「本当に哲学し
 本当の哲学を残す」為には
「学校教育者」であることは
致命的だ。

しかし通常は
「採用」という「餌(えさ)」に釣られて
(或いはそれ以前の動機として
 生活の基盤を確保する手段の選択肢の一つとして)
「国家の教育方針」(国立大学)
或いは
「地方自治体の教育方針」(公立大学)
または
「学校組織の教育方針」(私立大学)

「遵守」させられる「教育者」へと
「仕立て上げられ」てゆく。

なので
国家からも
地方自治体からも
私的な学校組織からも
「自由」に「思惟」する「本物の哲学者」が
生まれにくくなっている。

けれども
幸か不幸か
(実際には不幸なのだが)
私は
「国家(国立大学)」からも
「地方自治体(公立大学)」からも
「私的な学校教育組織(私立大学)」からも
「排除」されてしまうような
「経歴」をもつので
(要するに「採用」にとって「致命的」な
 「8年間の社会的空白期間」を「二度」も持っている
 という「史実」が「ネック」となって。
 また「採用」の「要件」としての
 「海外留学経験」が「無い」
 という「事実」が「妨(さまた)げ)」となって。)

国立大学(母校としては京大)からも
公立大学(母校としては大阪市立大学)からも
私立大学(母校としては関西大学)からも
自由な身分で
研究を続けてゆかざるを得ない。

もちろん
「大学教員」への「道」を
「意志」することは「自由」だか
その「代償」は
余りにも「大きい」し
その「代償」を「受容」することは
私の「特異性」を「考慮に入れれば」
「不可能」であると私は「判断」する。

(「非常勤講師」という「任期有り」の「雇用」であれば
 全く「可能性皆無」というわけでもないのかもしれないが
 「現実の社会」は
 そんな「淡(あわ)い期待」に「応えてくれる」ほどの
 「余裕」を「持ってはいない」
 と判断しておく方が
 より正しく「現実」を「直視」していると考えられるし、
 その「非常勤講師」への「道」それ自体が
 「残すべき思想」を「残すべきままに残す」ことに対して
 私の場合
 「大きな障碍(しょうがい)」と成って
 立ち開(はだか)る。)

だからこそ
残すべき思想を
残すべき思想のままに
残す道を
選択せざるを得ない。

けれどもこの選択は
自分の意志というよりも
自分の特異性が導く必然性だ。

なぜならば
このような選択を好むから
このような選択を為す
のではなく
むしろ
このような選択は避けたいと思っている
にもかかわらず
このような選択肢以外の道が
自分自身のア・プリオリ(先天的)な「特異性」の為に
ことごとく必然的に消えて行くが故に
この「道」だけが
「自然」に「浮かび上がってくる」ような仕方で
現われてくるからなのだ。

なので
「自分で自分の居場所を創造する道」は

(STAP 現象
 が
 細胞が意のままに自由意志で選択した行為ではなく
 致死的な環境において選択せざるを得なくなる中で
 サバイバルに残された「唯一の道」として
 「選択しないわけにはゆかなくなって採った行為」
 であり、
 STAP 現象
 が
 「脱分化して
  分化した体細胞である「自らを否定」して
  幹細胞化し
  生まれた時には持っていた
  分化全能性(分化多能性)と
  無限増殖性を
  再び
  獲得して
  生き残る道を自ら選択する行為」
 であるように)

「この道以外に
 自分自身を生かす事の出来る道が
 無いので
 仕方がなく選ぶのであるけれども
 自分自身を生かせる唯一の道であるが故に
 その道がどれほど険しくとも
 その険しさに堪えて進むことが
 「他律的に選択させられている」という「受動」である
 と同時に
 「自律的に選んだのだ」という「能動的確信」が存在する
 ために
 「甘受」することができる
 「覚悟」が生まれる」

という
そういう選択だ。

自分で選んでいるのだけれども
そのように選ぶ以外に無い
自分以外の「力」が
(或いは
 より正確に言えば
 「原理」が)
自分の内側と
自分の外側に
存在している。

その選択を為す「時」の気持ちは
高村光太郎が
『道程』を初めて書いた
「初出」の「時」の気持ちに近い。
『道程』(初出版)1914年2月9日作
             高村光太郎

どこかに通じている大道(だいどう)を
僕は歩いているのじゃない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
道は僕のふみしだいて来た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立っている

何という曲がりくねり
迷い まよった道だろう
自堕落(じだらく)に消え
滅びかけたあの道
絶望に閉じ込められたあの道
幼い苦悩に もみつぶされたあの道

ふり返ってみると
自分の道は 戦慄(せんりつ)に値する
支離滅裂(しりめつれつ)な
また むざんなこの光景を見て
誰がこれを
生命(いのち)の道と信ずるだろう
それだのに
やっぱり
これが生命(いのち)に導く道だった

そして僕は ここまで来てしまった
このさんたんたる自分の道を見て
僕は
自然の広大ないつくしみに涙を流すのだ

あのやくざに見えた道の中から
生命(いのち)の意味を
はっきりと見せてくれたのは自然だ
僕をひき廻(まわ)しては 目をはじき
もう此処(ここ)と思うところで
さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
これこそ厳格な父の愛だ

子供になり切ったありがたさを
僕はしみじみと思った
どんな時にも
自然の手を離さなかった僕は
とうとう自分をつかまえたのだ

丁度そのとき
事態は一変した
にわかに眼前にあるものは
光を放射し
空も地面も
沸く(わく)様に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして 僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした

そしてその気魄(きはく)が
宇宙に充ちみちた
驚いている僕の魂は
いきなり「歩け」という声につらぬかれた

僕は 武者ぶるいをした
僕は 子供の使命を全身に感じた
子供の使命!

僕の肩は重くなった
そして 僕はもう たよる手が無くなった
無意識に たよっていた手が無くなった
ただ この宇宙に充ちている父を信じて
自分の全身をなげうつのだ

僕は
はじめ一歩も歩けない事を経験した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところに立ちつくして居た

僕は
心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足は
ひとりでに動き出した
不思議に僕は
ある自憑(じひょう)の境を得た
僕は
どう行こうとも思わない
どの道をとろうとも思わない

僕の前には
広漠(こうばく)とした
岩疊(がんじょう)な一面の風景がひろがっている
その間に花が咲き 水が流れている
石があり 絶壁(ぜっぺき)がある
それがみないきいきとしている
僕はただ
あの不思議な
自憑(じひょう)の督促(とくそく)のままに
歩いてゆく

しかし 四方は気味の悪いほど静かだ
恐ろしい世界の果てへ 行ってしまうのかと思うときもある
寂しさは つんぼのように苦しいものだ
僕は その時また父にいのる
父はその風景の間に
わずかながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を
僕に見せてくれる
同属を喜ぶ人間の性に 僕はふるえ立つ
声をあげて祝福を伝える
そして あの永遠の地平線を前にして
胸のすくほど深い呼吸をするのだ

僕の眼が開けるに従って
四方の風景は その部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に
小さい人間のうじゃうじゃ はいまわって居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類というものの一部分だ

しかし人類は
無駄なものを棄て(すて)腐(くさ)らしても
惜(お)しまない
人間は 鮭の卵だ
千萬人の中で百人も残れば
人類は永遠に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類のため 人間を沢山つくるのだ

腐るものは腐れ
自然に背いたものは みな腐る
僕はいまのところ 彼等にかまっていられない
もっと この風景に養(やしな)われ 育(はぐく)まれて
自分を自分らしく 伸ばさねばならぬ
子供は 父のいつくしみに報いた気を 燃やしているのだ

ああ
人類の道程は遠い
そしてその大道はない
自然の子供等が
全身の力で拓(ひら)いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出てきても 乗り越して歩け
この光り輝やく風景の中に 踏み込んでゆけ

僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、父よ
僕を一人立ちさせた父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
                      (出典

この時の高村光太郎のような気持ちが
「自分の居場所」を
(そのア・プリオリな「特異性」の為ゆえに)
「自分の力で見つけなければならなくなる者」の
気持ちを表わしている。

その「居場所」を確保する「道」こそが
一人ひとりが「生きるべき道」であり
その「道」へ「誘(いざな)う者」こそが
「本当の意味での教育者」と言えるのだと思う。

ただし
「自分自身の唯一の居場所への道」は
誰かが誰かに「与えるべき道」ではなく
また
誰かが誰かに「用意すべき道」でもなく
「一人ひとり」が
自分自身で
つまり
自律的主体的に
発見し
掴み取り
自覚すべき
「道」
なのだ。

けれども
その「道」を「教えてくれる力」

自分自身の「内側」に「実在」している。

その「実在」を
見出す事こそ
人生の「一大事(最も大切な事)」なのだ。

最後に
高村光太郎の『道程』の初出原文を
歴史的かな遣いのまま掲載してあるブログを
見つけましたので
そこから参考に原文を引用します。
道程(原形)   高村光太郎

どこかに通じてゐる大道を
僕は歩いてゐるのぢやない 
僕の前に道はない 
僕の後ろに道は出来る
 
道は
僕のふみしだいて来た足あとだ 
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
 
何という曲がりくねり迷ひまよつた道だらう 
自堕落に消え滅びかけたあの道 
絶望に閉ぢ込められたあの道 
幼い苦悩にもみつぶされたあの道
 
ふり返つてみると 
自分の道は戦慄に値ひする 

四離滅裂な 
又むざんな此の光景を見て 
誰がこれを 
生命の道と信ずるだらう 
それだのに 
やつぱり此が生命に導く道だつた 

そして僕は此処まで来てしまつた 
此のさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の廣大ないつくしみに涙を流すのだ 
あのやくざに見えた道の中から 
生命の意味をはつきり見せてくれたのは自然だ
僕を引き廻しては眼をはぢき 
もう此処と思ふところで 
さめよ、さめよと叫んだのは自然だ 
これこそ厳格な父の愛だ

子供になり切つたありがたさを
僕はしみじみと思つた 
どんな時にも自然の手を離さなかつた僕は 
たうとう自分をつかまへたのだ 

恰度その時事態は一変した 
俄かに眼前にあるものは光りを放射し 
空も地面も沸く様に動き出した 
そのまに 
自然は微笑をのこして僕の手から 
永遠の地平線へ姿をかくした 
そして其の氣魄が宇宙に充ちみちた 

驚いてゐる僕の魂は 
いきなり「歩け」といふ声につらぬかれた 
僕は武者ぶるひをした 
僕は子供の使命を全身に感じた 
子供の使命! 

僕の肩は重くなった 
そして僕はもうたよる手が無くなつた 
無意識にたよってゐた手が無くなつた 
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて 
自分の全身をなげうつのだ
 
僕ははじめ一歩も歩けない事を経験した 
かなり長い間 
冷たい油の汗を流しながら 
一つのところに立ちつくして居た
 
僕は心を集めて父の胸にふれた 
すると 
僕の足はひとりでに動き出した 
不思議に僕は或る自憑の境を得た
 
僕はどう行かうとも思はない 
どの道をとらうとも思はない
 
僕の前には
廣漠とした岩畳な一面の風景がひろがつてゐる 
その間に花が咲き水が流れてゐる 
石があり絶壁がある 
それがみないきいきとしてゐる
 
僕はただ
あの不思議な自憑の督促のまま歩いてゆく 
しかし四方は氣味の悪い程静かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまふのかと思ふ時もある 
寂しさはつんぼのやうに苦しいものだ 

僕は其の時又父にいのる
父は
其の風景の間に
僅しながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を
僕に見せてくれる 
同属を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ
声をあげて祝福を伝へる 
そしてあの永遠の地平線を前にして
胸のすく程深い呼吸をするのだ 

僕の眼が開けるに従って
四方の風景は
其の部分を明らかに僕に示す 

生育のいい草の陰に
小さい人間のうぢやうぢや匍いまわつて居るのも見える
彼等も僕も 
大きな人類といふものの一部分だ
 
しかし
人間は
無駄なものを棄て腐らしても惜しまない 
人間は
鮭の卵だ
千万人の中で
百人も残れば 
人類は
永久に絶えやしない
 
棄て腐らすのを見越して 
自然は
人類の為め
人間を沢山つくるのだ

腐るものは腐れ 
自然に背いたものはみな腐る
 
僕は今のところ
彼等にかまつてゐられない 
もっと此の風景に育まれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ 

子供は
父のいつくしみに
報いたい氣を燃やしてゐるのだ 
ああ 
人類の道程は遠い
そして其の大道はない 

自然は
子供達が全身の力で
拓いて行かねばならないのだ
 
歩け、歩け
どんなものが出て来ても
乗り越して歩け 
この光り輝やく風景の中に
踏み込んでゆけ 

僕の前に道はない 
僕の後ろに道は出来る 

ああ父よ 
僕を一人立ちにさせた父よ 
僕から目を離さないで守る事をせよ 
常に父の氣魄を僕に充たせよ
 
この遠い道程の為め

1914(大正3)年2月9日 
             「美の廃墟」3月号に発表
                       (出典

高村光太郎が
『道程』の初出の原文詩の中で言っている
「父」や「子供」
或いは「子供の使命」は
キリスト教における
「父なる神」や「神の子イエス」
あるいは
「イエスのキリスト(救世主)としての使命」と
どこか通じるものがある。

けれども高村光太郎にとって
「父」とは「自然」のことであり
「神」ではない。
「父なる自然」なのだ。

この自然が
自分の「外部に存在し自分自身を包み込む自然」だけを
高村光太郎は歌っているようにも思えるが
けれども『道程』は
「生命の道」(或いは「生命に導く道」)
を歌ったものだから
自分の「内部に存在し、自分自身を終始導く自然」をも
意味しているのでなければならない。

このような意味での
「自分自身を包み込む外部の(父なる)自然と
 自分自身を終始導く内部の(子なる)自然の
 双方(両方)」を
同時に
しかも
根源を等しくするものとして
自覚することが
人生の一大事なのだ。

(「一大事」とは仏教語としては
 「仏が此の世に出現する目的である
  一切衆生を救済すること」
 を意味する。
 けれどもここでは
 「自分の一大事(子なる自然の自由意志)」が同時に
 「人類の一大事(父なる自然の自由意志)」でもあること
 を自覚して
 「その内外の自然の意志のままに
  行為することを決意すること」が肝要だ。)

フォト
                  (出典

ただ
高村光太郎が『道程』を初めて書いた
1914年2月は
高村光太郎が
洋画家の長沼智恵子と出逢い

フォト
                 (出典

同棲を始める(1914年12月)直前であるが

フォト
       (1911年の高村光太郎:出典

後に智恵子に
統合失調症の最初の兆しが現われ(1931年8月)
翌(1932)年7月に自殺未遂を起し
1933年8月に高村光太郎と入籍し
1938年10月に亡くなり
1941年に高村光太郎が『智恵子抄』を発表する
というような
「未来」は
「予測」出来ない頃の
詩であることは
念頭に置かれるべきであろう。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

<追補>

今し方(いましがた)
(2016年6月18日 午前3時16分)
気付いたんだが

高村光太郎は
父なる自然を悟り
自然の子である自分の使命を自覚していた
にもかかわらず
妻智恵子の「内なる自然」に気付き得ず
智恵子の統合失調症の発症を防ぐ事が出来なかった。
また
智恵子の統合失調症を治癒出来なかった。

つまり
『道程』は
「単に観念的な自覚」に過ぎなかった
ということを
図(はか)らずも
実証してしまった。

哲学も文学も音楽も
「観念的な自覚(陶酔)」にまでは至れるのだが
「実在的な変革(治癒)」には無力である。

けれども
「実在的な変革(治癒)」を進展させ得るような
「実用的な方法(処方)」によって
「具体的な行為(治療)」を遂行することができない
のであれば
その哲学も文学も音楽も
単に「観念の遊戯」に過ぎないのでは
ないだろうか。

一般的に言えば
「現実の問題」を
「解決」し得る
「方法」を持っている
のでなければ
その「自覚」は
「無力」だと
「批判」されても
「反論」できない
ということだ。

その意味で
「科学」は
「実際問題の解決」に向けた
「具体的な技法」を
「解明」することを
そもそも「目的」とし
しかも
その「技法」の「正しさ」を
「実証」することを
「義務付けている」
という点で

科学は
哲学や
宗教に
優(まさ)っている。

にもかかわらず
科学が
哲学や
宗教から
「批判」される
最大の理由は

科学が
厳密で正確である
けれども
人間の
「悩み」

「心の問題」

「現実的な解決」

「無関心」である
という点が
最大だ。

もちろん
科学者も人間である限り
こころも病むし
心痛も感じるだろうけれども

科学が
人間の心の問題に関して
「実際的な解決」を「提示」するような
「目的」を
はっきりと持って進んできたとは
言い難い。

それゆえ
これまでのところ
哲学と
宗教が
科学の「弱点」を
「補填(補完)」する「代替物」として
機能してきている。

けれども
これからの時代は
「心の問題」に関しても
「科学」が
「有効な技法」を「提示」できるように
進展して行けるような
「方向性」を
哲学や
宗教が
示し得るのでなければならない。

☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆  ☆

追補2

けれども
哲学が科学である必要も
宗教が哲学である必要も
根源が宗教である必要も
ない。

つまり
哲学と科学と宗教とは
それぞれの「役割」を「遂行」することに専念し
「哲学」は「論証」する方法と原理を担い
「科学」は「実証」する方法と原理を担当し
「宗教」は「自証」する方法と原理を伝えることで
学術(学問と、その応用を含めた総称)の
「三領域」の「力関係」が
「均衡する」と考えるのが
「三権分立」の思想だ。

ただ
「全体を俯瞰する」機能は
哲学が担当すべきではなかろうか。

そもそも「哲学」とは
「学術」の意味でもあるわけだし
何等かの問題を考えて解決に導く
「そもそもの方法と原理」を考えるのは
哲学以外に存在しないからだ。

その上で
「実際的な技法」等に関しては
哲学と雖(いえど)も
科学や
宗教に
譲らざるを得ない。

たとえば
「心を癒す技術」

「自律性療法」

「坐禅」

譲らざるを得ないし

統合失調症や
双極性障害等の
「治療技法」は
「精神医学」に
譲らざるを得ない。

また
譲る「べき」なのだ。

ただ
哲学や
宗教が
「知っていること」

科学が
「知らないこと」

科学を進歩させ得るような智恵や叡智は
科学に伝えるべきなのだが

科学は
その「実証性」という「篩(ふるい)」で
「智恵」も「叡智」も
「濾過(ろか)」の「障碍」で
「堰(せ)き止められてしまい」
科学の領域に
(智恵も叡智も)
入って行けないのが
科学の限界だ。

なので
「三権(或いは三領域)」

ただ単に「分立する(分ける)」だけでは
駄目で
やはり
三権(三領域)」を
「統合」する
「媒介者(目的因ないしは形相因)」が
在った方が
良いと思う。

それは
形式的には「規則」とか「道徳」とか「戒律」
という「法律(律法)」と成ってしまうのだけれども
その「根源」は
「自然に内在している形相」でなければならない。

「自然(質料)に内在している形相」

「離れて(逸脱して)」
人間が
「頭(意識、思惟)」で考えだした「規則」を
「自然(質料)に内在している形相」よりも
「優位」に立てて
「自然(質料)に内在している形相」を
「支配」しようとして来た
人間の歴史が
そもそも間違っていたのだ。

============================
最終更新
平成28(2016)年6月18日 午後6時12分
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