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2016年06月19日11:01

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「FAKE」「64−ロクヨン−」、日本映画にも続々いいのが出てきた。

6月15日(水)

 ユーロスペース
「FAKE」(森達也)
現代のベートーベンと絶賛されながら、ゴーストライダー騒動でバッシングされ社会的に葬られただけでなく、障害者詐称まで疑われ人格的にも否定されつくした佐村河内守を、「A」「A2」でオウムを追った森達也が追う。全マスコミ・社会が糾弾する者に対して「社会全体が安易な二極化をもとめている兆候」を危惧する森達也の視線は、ここでも冴えわたる。佐村河内は、それほど人非人なのか。この映画を観る限り、共同作業で作曲活動を続けていたが、何らかのことで亀裂が入り、話題の人となったゴーストライターが、名を挙げただけにも見える。もちろん、森達也は「真相はこれだ!」と声高に叫ぶこともないし、いや、この映画自体が自分の視点が創りだした「FAKE」かもしれないとの、謙虚さも見せる。ドキュメンタリー・報道というものに、多くを考えさせる傑作である。(よかった。ベストテン級)

 定年退職・年金生活者である私は、時間はタップリあるので、ちょっと前に小保方晴子研究員のSTAP細胞スキャンダルに関する記者会見をズッと見続けていたことがある。結局、最後まで放送した地上波はなく、NHKが打ち切った後、日テレのミヤネ屋が追い続けたが、それも時間切れとなった。

 通して見た後の感覚と、その後のニュース報道が、全くちがう印象なのにはやや驚いた。結局、これは専門家以外にはチンプンカンプンの世界だなというのが、長時間つきあった私の印象だった。しかし、ニュース報道のほとんどは小保方研究員の胡散臭さを強調するようなまとめが多かった。

 私は、報道やドキュメンタリーは、完全なフィクションであることをこの時に痛感した。

 よく国会答弁の閣僚の一言が大問題になる。あれも、本当にそうなのだろうか。国会中継をジックリ見ている人は、私も含めてほとんどいない。全部を見ていれば、流れの中のそんなに不自然な発言ではないのかもしれない。でも、ニュースはその「一部」だけをブローアップして、何度も放映する。

 事業仕分けの時に蓮舫議員が「世界一になる理由は何があるんでしょうか?2位じゃダメなんでしょうか?」という発言が、何度も何度も揶揄的に放映された。これが象徴的に扱われ、仕分けなんて意味がない、とのムードを醸し出し、最後は民主党政権崩壊の一つの引き金にもなる。

 仕分けの場は、一般公開されている。私の古い「映画友の会」の友人で、熱心にその場に傍聴に通っていた人を知っている。私は、当然そんなことはしていない。蓮舫議員の発言は、全体を通しで聞いていれば、そんなに奇異なものでもなかったかもしれない。しかし、ニュース映像などの断片だけで、ほとんどの人が仕分けの意義を判断している。これもフィクションなのだろう。

 かつて(今も)原発反対派は非現実的空論をヒステリックに声高に叫んだ。しかし、冷静な国民はエネルギー問題の奥深さを知っているから、簡単に同調するわけもなく、運動は拡がることもなかった。それが、福島の事故と「社会全体が安易な二極化をもとめている兆候」と不気味に連動した。そして非現実的空論が主導権を取って暴走を開始している。そこに、エネルギー問題を真摯に考える視点はない。森達也の指摘は限りなく深く重い。

 最近では、舛添要一(当時)都知事の、政治資金に関する第3者報告の記者会見を通しで見た。こちらの方は、後の報道で「違法ではないが不適切」と要約されていたが、全部を見た印象と全く変わらなかった。ま、延々たる記者会見の目的も、そこにしかなかったという底の浅さということかもしれない。

 しかし、「不適切なのに合法」というのが許されるならば、政治資金規正法そのものが問題なのではないか。そこに誰も視点を延ばしていかないのが、私は不思議でしょうがない。「せこい」と言われた舛添氏のこの会見の目的は、実はそこにあったのではなかろうか。政治資金規正法のいい加減さに目を向けさせて、「俺だけじゃないよ」と言いたかったのかもしれない。でも、その「せこい」目論見は外れたが、世論もマスコミも、舛添下ろしだけに夢中になればいいというものでもない。ここでも「社会全体が安易な二極化をもとめている兆候」のおぞましさを感じた。

 そもそも、私は、もう政党助成金は廃止すべきだと思っている。このスタートをみなさん覚えていますか。自民党政権を崩壊させた政治改革です。選挙に金がかかるから、腐敗が起こる。だから、金のかからない小選挙区制を採用する。公営選挙を徹底するために、政党助成金を交付して賄う。で、金のかからない選挙は実現しましたか?何も変わっていない。しかも、金は政治活動以外でも使い放題で合法。こんなものに我々の税金を裂くことはないのだ。

 ちょっと熱くなったかな?いずれにしても、報道もドキュメンタリーも、自分の眼で見据えようよとの、森達也の視点は刺激的だった。


上野オークラ劇場

「溺れるふたり ふやけるほど愛して」(荒木太郎)
黒澤明「生きる」のピンク版リメーク。天下りで工場に着任した無気力男が、末期癌を宣告される。家作狙いの弟夫婦から邪険に扱われ、かつての女工がデリヘル嬢で活き活きと再生しているのを見て、生きる気力を取り戻し、でもそれはブランコ建設ではなく、全財産をつぎ込んで、その女に翻弄されることだった。愛唱歌は「ゴンドラの唄」ならぬ「庭の千草」とまあ、キーワードは出揃っているけれど、ピンク化した狙いは、あまりピンとこなかった。(あまりよくなかった)

「熟女ヘルパー 癒しの手ざわり」(浜野佐知)
下半身も面倒みる介護ヘルパーを中心に、機械的に時間でこなすのではなく男の満足を目指すフリー自営ソープ嬢に、視る・視られる関係の性的興奮追求のため、個人ヌード撮影会を主催する女研究者と、相変わらず山崎邦紀流のブッ飛び脚本だ。そこに、マイノリティ万歳のアナーキーな浜野左知演出が加わり、ヒーヒーアヘアヘ絶叫3Pも交えて、いかにもの浜野作品だった。(まあまあ)

 なお、併映の「人妻Gスポット たまらない快感」は「愛染恭子VS菊池エリ ダブルGスポット」の新版再映。


6月16日(木)  立川シネマシティ

「64−ロクヨン−後編−」(瀬々敬久)
山本薩夫以来ともいえるオールスター大型社会派映画の完結編。もちろん、すべて自民党・右翼・保守反動が悪いのよという単細胞ではなく、右で警察の隠蔽体質を糾弾し、左でマスコミの傲慢さをバッサリ斬る瀬々演出はますます快調。警察の隠蔽体質は、刑事部と警務部の対立から、警察庁と県警の対立まで巻き込んでさらにスケールアップ。マスコミ側も本社と支局の面子の張り合いというおぞましさに拡大する。ミステリーなので細かいネタについてはいっさい控えるが、昭和64年〜平成14年という時間の重みに説得力を持たせたのはお見事。前編は主人公の誠意と真心が突破口となるが、今度は愚直な刑事魂が権力にトドメを刺す突破口となる。ただ、それは恫喝・狂言まがいの人の心をズタズタにするものであった苦さも、脳天気でなく凄い。(よかった。ベストテン級)

 前に「64−ロクヨン−」をベストワン候補かも?と前に述べたが、悪くないけどそこまではいかない。前編終了後の期待値が、私は高すぎた。むしろ本命ではないが「FAKE」がベストワン候補の一本だろう。

「マネーモンスター」(ジョディ・フォスター)
財テクTV番組が、全財産を投資で失った男にジャックされる。凶悪犯にも関わらず、同じような被害にあった大衆の中に、序々に支持の輪を拡げていく。実時間と映画内時間を一致させたサスペンスフルな構成だ。人質を取って立て籠もった銀行強盗犯がマイノリティの支持を拡大するシドニー・ルメットの傑作「狼たちの午後」を思い出した。ただ、マイノリティの怨念に対し、今作の方は所詮財テクで人の褌で相撲を取った結果の人間の自業自得とも言えるので、少しスッキリしない。(まあまあ)

 ここまでで、今年のスクリーン初見観賞作品は135本。

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