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2016年05月20日15:14

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お題21『花屋』 タイトル『マグロ生花店』

「あ〜、中トロが食いてえなぁ」
 俺は客の注文を作りながら思った。今、作っているのは向日葵がメインのアレンジだ。5月になると夏の季節花を注文で取り寄せることができるのだ。
「今日も残業かぁ、ちくしょう。寿司じゃなくてもいいから、まともなもんが食いてえな」
 俺はカレンダーを見ながら自分の休みを確認する。もう一週間以上休んでいない。明日行ってやっと久しぶりの休息が取れるのだ。それも全て、バイトが一人逃げたからに他ならない。
「ああ、くそ、夜なのにくそ熱い。北海道の夏が懐かしいぜ」
 俺は一人、シャッターを半分下ろした店の中で、大学時代を思い返していた。俺は北海道出身で、大学時代の夏休みにマグロ漁に出かけたこともある。それがきっかけで漁師だった頃もあったが、彼女に子供ができたため、彼女の実家である福岡の花屋に勤めることになったのだ。
「絶対休みに寿司食いに行ってやるからな。中トロといわずにたっぷりと山葵(わさび)の効いた大トロが食いてえな。スシローでいいから、腹一杯食いたいぜ」
 バイトの男を恨みながらアレンジ箱に花を挿していく。彼は非常に優秀で真面目に働いていたため、正社員の条件を提示すると、その条件を見た二日後、突如失踪したのだ。
 やはりこの職業、やった分の労力は報われない。
「中トロの前にジュースでもいいから、飲みてえ……」
 俺はすぐ近くにある街灯に照らされた自動販売機を見ながら思った。駅前の花屋のため、すぐに客が入ってくる可能性がある。そのため俺には5分の休憩も許されていないのだ。
 ともかく目の前の仕事をやり遂げなければ、トイレに行くことすらできない。
「こんばんは、お久しぶりです」
 再び客が来たかと思い、俺は顔を上げた。すると前にバイトしていた男が店の中に入ってきた。
「急に来てすいません。店長、元気してますか?」
「おお、お前か。元気だよ、久しぶりだな」俺は向日葵をフローリストナイフで切りながらいった。
「この間は仲介ありがとうございました。とても助かりました」
「そうか、それで椿はあったのかい?」
「はい、なんとか」彼は笑顔で答えた。「今の時期、どこを探してもなかったのでとても助かりました。やっぱり店長の人脈には敵わないですね」
 この男は今、別の花屋に勤めているのだが、赤の椿が欲しいがために俺に電話をしてきたのだ。わざわざ顔を出して感謝してくるとは気が利くようになったものだ。
「でも遠かっただろう? 田川にあるといっていたから、ここから車で一時間以上は掛かっただろう」
「そうですね、車で一時間、山登りに一時間掛けました」彼は笑いながら平然という。
「そうか、でも何でそんなに椿が必要だったんだい?」
「それは……生け花の先生が必要だといわれまして」
「ふうん、それは季節感のない先生だな」
「ええ、そうなんです」
 彼は煮え切らない言葉でいった。
「それでお礼の言葉をいいにきたのですが」
「言葉はいいから、飲み物をくれ」俺はのどを指差していった。「休憩に行く暇も人もいなくてな。朝からほとんど休憩を取ってないんだ」
「そうですか、じゃあ何か飲み物を買ってきますね」
 そういって彼は店を出て全力で走っていった。何も注文していないのだ。こういう所は相変わらずだと俺は溜息をついた。
 ……まあ、飲めれば何でもいいか。
 俺はそう思いながら、目の前のアレンジに没頭した。

 彼と初めて出会ったのは8年前の8月だ。福岡の花屋ではお盆が大盛況であり、お盆の日に花を飾る習慣がある。だからその時期、花が大量に売れるのだ。
 俺の店のような小売だけの花屋でも一日で100万以上売れ、三日間で300万売り上げることができる。そのため、深夜残業は当たり前で、朝から夜まで売りに徹して、夜から朝まで売る花を作るという過酷な労働条件にある。そのため、その時期は一人でも多くのバイトが必要だった。
 彼はその一人で、バイトを三人雇っていたのだが、最後まで残ったのは彼だけだった。そして彼には花屋になりたいという熱意があったため、一ヶ月延長して働いてもらったのだ。9月の彼岸の日も花が売れるためである。
 花屋は時期によって忙しく、時期を外れれば一人でも暇になる。彼は正社員にしてくれと要望したが、その時は空きがなかったので丁重にお断りした。
「で、今は安田生花店にいるんだよな?」
「いえ、今は無職です」
「え、でも生け花の先生っていうのは……」
「僕が習っている先生に恩があったので……その方にお渡ししたくて探しにいったんです」
「ふうん」
 俺は彼が買ってきたアイスカフェラテを飲みながら頷いた。缶コーヒーではなくきちんと豆から挽いたものを買ってきてくれたのだ。
「店長、シロップもありますけど」
「お前も気が利くようになったじゃないか。缶コーヒーでもよかったのに」
 俺はお世辞をいうようにいった。今、無職ならバイトとして引き止めたいという欲が働いたからだ。
「いえ、僕が飲みたかっただけです」
 そういって彼も同じものをストローで飲んだ。
 ……やっぱり気が利かねえやつだな。
 こいつはこういう奴なのだ。一言頷けばいいだけなのに、敢えて自分を主張して躊躇なく空気を壊す。
 やっぱり年月が経っても不器用な所は変わらない。
「しかし懐かしいな。お前も花屋になって8年か。どうだ、自分の店を持つ気になったのか?」
 こいつの目標は自分の店を持つことだ。はじめうちの店に来た時、5年で自分の店を持つといって色々な花屋に修行しに行ったのだ。
「いえ……それが僕、関東に行くことになったんです」
「関東? 関東に店を持つのかい?」
「いえ、関東の葬儀の花屋に行こうと思っています」
「ええ? それはまた、どうして?」
「最初、僕は一人で自分の店を持ちたいと思っていました。それが一人前の定義だと思っていたのです。でもそうじゃないって思いました、僕はチームワークで大きな祭壇を挿したくなったんです」
 全く意味がわからない。俺が催促すると、彼はゆっくりと続けた。
「花屋は誰でもできるじゃないですか。でも僕は祭壇施工の技術に惚れ込んだんです。これは誰にでもできることじゃないし、関東のような大きい場面では一人じゃなくて協力して挿すんです。その中で大きな祭壇を挿したいという夢ができたんです」
「でも、お前、関東に行ったってお前には技術ないだろう?」
「実は店長にいってなかったのですが、安田だけでなく他の花屋にも行っていたのです」
 彼はそういって今までの経歴を話し始め、彼の挿した祭壇の写真を見た。
「……うめえじゃねえか。どこで習った?」
「ありがとうございます。実はミサキさんで店長をしていた方に教えて貰っていたのです」
「何? ミサキ!?」
 ミサキといえば福岡支部で有名な葬儀業界の花屋だ。市場でもNO.3に入るほど花を買うことで有名な所の人に習うとは贅沢な奴だ。
「じゃあ関東にはミサキの花屋に行くのかい?」
「いえ、それがビューティー花壇に行くんです」
「な、何? ビューティー花壇だと!?」
 福岡でもNO.1ともいわれる葬儀業界の花屋だ。今はミサキと拮抗していて、どちらが上かといわれれば微妙な立ち居地だが、どちらから見てもライバル会社だ。
「どうやったらそんな経歴を歩めるんだよ……。変わってるなとは思っていたが、まさかそこまでとはねぇ」
「それが僕にもわかってないんです。思うように進んでいたら、いつの間にかこうなっていて……」
「まあ、いいさ。行く所まで行けばいいよ」俺はそういってこいつをうちの店に誘うのを止めることにした。きっとこいつには何をいっても無駄だと気づいてしまったからだ。「俺にもそういう時期があったな……」
 俺はそういって漁師だった頃を思い出した。あの頃は本能のままに生きてマグロを収穫することに生き甲斐を感じていた。一攫千金といえばそれまでだが、マグロと出会うまでにはドラマがあるのだ。
 普通マグロと聞けば、固まった冷凍マグロを想像するだろう。だがマグロは常に動いていないと酸素を取り込めずに死んでしまうのだ。だからこそ俺は解体ショーのマグロを見ても何とも思わない。
 生きたマグロと出会うドラマこそ俺にとっては宝だし、誰にでもできる経験ではなかったのだ。きっとこいつもマグロに出会うためのドラマを探しているのだろう。
「そうなんですね。ところで……時計草ってここにあります?」
「って俺の話、聞かないのかよ」
「お仕事中みたいなので、また別の日に。それで時計草は?」
「ああ、あるけど、何に使うんだい?」
「それも生け花の先生が……」
 彼はそういって目を伏せた。何か事情があるのだろう。彼は本当に不器用なのだ、平気で嘘をつけない所も変わっていない。
 椿に関しても何か別の用事に使ったに違いない。
「まあ、いいさ。関東に行く餞別だ。ただであげるよ」
「え、いいんですか?」
「ああ、その代わり、その生け花が出来上がったら、俺にも見せてくれよ」
「それは、必ず。ありがとうございます」
 そういって彼は満面の笑みを見せた。態度がでかく要領が悪いくせに純粋だからこそ、応援したくなる。こういった所は初めて出会った時から変わっていない。
「お、客がきたみたいだ」
「じゃあ、すいません。僕はこれで」
 そういって彼は客に挨拶しながら店を出ていった。
 客に注文のアレンジを渡して、俺は再び彼を思い返した。
 何だかよくわからない奴だが、あいつはまたひょっこりとこっちに帰ってくる気がする。
 きっと三年もすれば、また自分の花屋を持ちたいと言い出してこっちで花屋でも出すだろう。
 ……あいつの花屋はそうだな……、マグロ生花店って所かな。
 俺はそう思いながら閉店の準備を始めたが、再び溜息をついた。
 前言撤回だ。あいつは30分以内に帰ってくるだろう。なぜならあいつが必要な時計草はここにあるからだ。







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