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2016年05月03日21:31

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お題13『月』 タイトル『月とパスタとポカリスエット』

「……月が綺麗ですね、か」
 僕は大学の講義を聞きながら、全く関係のない愛の言葉を呟いた。僕には今、好きな人がいて、彼女に対してどうアプローチを取ればいいか悩んでいる所だ。
 この一文は夏目漱石という小説家が英語教師をしていた時、『I LOVE YOU』の訳し方をひっそりと変えてしまったことで有名になった愛の言葉なのだ。僕は文学少年ではなくどちらかといえば理系男子なのだけど、彼女に対する思いからロマンチストへと変貌しようとしている。
 ……とてもじゃないが、愛しているとはいえない。
 僕は自分でも驚くほどに日本人だなと思う。体型だって普通で、プールで体を鍛えているわりに華奢な方だ。彼女に対して強くアピールできるものはないし、直接告白をするなんてできるはずもない。だからこそ今、アプローチの仕方を練っている所だ。
 彼女はとても美しく大人の色気を持ったミステリアスな女性だ。髪を明るくしてパーマを掛けているが、野暮ったい感じはないし、清潔感がある。そうかと思ったら発言は結構無茶苦茶な所があり、それがまた僕の恋心を加速させていく。
 きっかけは僕がプールに通うようになって彼女のポカリスエットを飲んだことで始まった。彼女のペットボトルを通して、彼女の菌が僕の中で着実に培養されており、今に至っては恋煩いという病気が発症している所だ。
 ……彼女は一体、僕のことをどう思っているのだろう?
 僕は世界の食料問題という講義を聞いている振りをして夢想する。彼女のアプローチの仕方は本当に大胆で、その声と態度で僕は赴くままに翻弄されている。正直いって、からかわれているのか僕に興味があるのかすら今の所、わかっていない。だからこそ僕は爆発寸前のポンコツロボットのように頭をショートさせながらも、彼女への恋慕を続けているのだ。
 ……それも今日で終わりにしなければならない。
 僕は拳を強く握った。彼女とは月に一度会えたらいい方なのだが、このままだと僕の身が持たないのだ。頭が混乱している状態で日常生活がまともでいられるはずがない。だから今日は一世一代の告白をしてみようと思っているのだ。
 今日は彼女が行きたいパスタ屋へ二人で行くことになっている。彼女は何でも夜のバイトをしており、パスタを作る修行中の身らしい。一人では食べづらいとのことで急遽、僕が選ばれた。
 講義が終わった。僕も自分の気持ちに決着をつけなければならない。再び拳を握り鞄に全て荷物を入れ直した。

「美味しいね、ここのガーリックトースト」
 彼女は素手で掴んだまま一口、齧っていった。
 僕達は早速店に入ってガーリックトーストを頼んだ。何でもこの食べ物は洋食屋には必ずあるもので、これを食べれば店の料理人の感覚が掴めるらしい。
 顔立ちは上品なのに、食べ方は荒い。パンだからこそいいのだろうけど、それがまた妙な色気を醸し出している。
「ん?どうかした?」
「いえ……」
 僕は泥棒を働くねずみのようにちまちまとしか食べられずにいた。彼女とは何度会っても慣れることはなく緊張してしまうのだ。
「お、やっときたみたいだよ」
 そこに出てきたのは明太子カルボナーラというパスタだった。カルボナーラに明太子が固まりで載っており、それを混ぜて食べるものらしい。
 彼女は早速、トングでぐるぐると全体的に混ぜていった。その手際のよさになんともいえない気持ちを覚える。僕はこいつと同じだ。彼女の皿の上で適当に弄ばれている、このパスタと同じ心境だ。
「はい、どうぞ」
 取り分けて貰って一口啜ってみる。旨い、とてもじゃないが家で作って食べられるものじゃない。
 パスタなんかは冷凍食品などで手軽に作れて美味しいものが多い。なのにこれはそれを遥かに凌いでいる一品だ。自炊している僕にとってこのパスタは魔法で作ったようなものに感じた。
「うん、美味しいね。隠し味に柚子胡椒が効いてる」
 彼女は冷静にパスタを分析する。僕も彼女と出会うまでは同じようにできていただろう。今はただこれが美味しい、という形でしか理解できていない。
 この味が元々美味しいものなのか、それとも彼女と食べているから美味しいのか、すらわかっていないのだ。
「……そうですね」
 僕は彼女のパスタの食べ方に欲情していた。するっと口の中に吸い込まれていくパスタを見て彼女の口に目が奪われてしまう。僕の体もすでにパスタのように茹で上げられている、そのまま口の中に放り込まれたどうなってしまうのだろうか。
「どうしたの?」
「いえ……」
 僕の妄想は止まることなく、彼女の行動で全てが新しく塗り替えられていく。今ここで犬になれ、といわれれば、僕はチワワにだってプレーリードッグにだってなれるだろう。僕の考えられる全てを使って彼女の思いに応えてしまいそうで、自分が怖い。
「ふーん、変なの」
 そういって彼女は再びパスタに夢中になった。
 未だに僕は彼女の年すら訊けずにいる。彼女がプールの受付嬢と飲食店で働いているということは知っているのだが、それ以外の情報は全くわかっていない。訊けば答えてくれるだろう、だが僕の頭はすでに暴発寸前だ。これ以上、情報をいれなくても彼女が好きだということには変わりなく、ともかくこの気持ちをいって楽になりたい。
「あー美味しかった」彼女はそういって満足そうにお腹を擦った。「デザートはどうする?」
「……頂きます」
 僕はゆっくりと頷いた。デザートが欲しいというよりも彼女との時間を延ばすことの方が先決だ。甘いものは苦手だが、彼女の幸せそうな顔が見れれば、僕の思考も甘くなる。
「……んー、どれにしよっかな」
 そういって彼女はメニューを見て吟味する。彼女が別のものに夢中になっている時間だけが唯一、僕でいられる時間なのだ。一緒にいたいという引力が働くのに、いざ近づけば僕の体は麻痺してしまい斥力が働く。
 彼女は月のような女性だ。
 デザートが来て、僕達は一緒に食べてご馳走様をする。彼女の満足そうな顔を見れただけで、僕の心は満たされていった。
「お腹もいっぱいになったし、ちょっと散歩しようか」
 彼女は嬉しそうに笑いながら店を出てヒールの音を加速させる。この音を聞いているだけで、僕には何のBGMもいらないし、どんなアーティストの歌だって響かない。
 近くの公園に行くと、月夜に照らされたブランコが見えた。彼女は一目散に走りながら、ブランコの上をハンカチで拭いて座った。
 月夜に塗れて、彼女の水色のミニスカートと緩い上着から見える首に掛けられた水色の紐がワンピースのように繋がる。その一瞬で僕の心臓が止まったように感じた。
「ねえ、君もおいでよ」 
「……すいません、ちょっと飲み物買ってきます」
 僕は自分の心臓を心配して少し距離を置くことにした。やはり彼女は月のような女性だ。近づき過ぎるとろくなことがない。
 僕は彼女の水色のポカリと自分のロイヤルブルーのポカリを買った。これを飲めば少しは落ち着けるだろう。
 彼女の傍に座ると、彼女は満足そうに手を伸ばし水色のポカリを取った。彼女の好きな方だ。
「美味しかったですね、パスタ」
「うん。そうだけど、一つ君に嘘ついちゃった」
「何についてですか?」
 僕が尋ねると、彼女はにんまりと笑った。
「私、実はパスタ作れないの。お店でもただウェイターをしているだけ」
「え?」
 僕が考える暇もなく、彼女は一口だけポカリを飲み続けた。
「だってそうでもいわないと君は来ないでしょ」
 そんなことはない、と思っていたが、あながちそうかもしれない。僕は臆病なのだ、彼女といる時間が幸せなのに、それを彼女に悟られないように努力している。
 僕の恋心のせいではない、失いたくないのだ。彼女を。
「……僕は……」
 ここで思いを伝えてしまってもいいのだろうか。ダメなら諦めるしかなくなる。このまま彼女と連絡が取れなくなったらプールにも行けなくなるだろう。
 僕の生活はもう彼女なしでは始まらなくなってしまっている――。
「……」
 ここは我慢しなくてはいけない、でもそれもまた苦しい。彼女へ思いを伝えるためにきたのに我慢しなくてはいけないなんて、なんという拷問だろう。
「……ねえ、もう一つだけ嘘ついてもいい?」
 彼女は妖艶な瞳でこちらを見る。彼女はブランコから身を乗り出してこちらの鎖を掴んでいった。
「いいですよ。嘘だとわかっていれば、それは嘘にはなりませんから」
「そう?」彼女は微笑んだまま耳元で囁いた。「私ね、君のこと好きになっちゃったみたい」
 体中で血が滾りどうしていいかわからない。前振りをされて気構えていたのに、後ろからボールが飛んできたみたいだ。僕の反応速度では対応し切れない。
「嘘よ、嘘」
 そういって彼女は嬉しそうにブランコから降りて公園を一周し始めた。そんな嘘をつかれたって僕は反応に困る。彼女に弄ばれたパスタのように僕の思考もすでにぐちゃぐちゃだ。
「……ねえ、月が見えるね」
 彼女の指先にはおぼろげに映る月があった。
 僕は彼女と月を合わせた写真を撮りたい、と思った。三日月のようにシャープな形が彼女の体のラインに相まって幻想的な世界に入ったと錯覚させられるのだ。
 ……彼女にはきっとこの先も勝てない。
 僕はなぜかそう確信していた。僕がどんなアプローチをしようと、どんな素敵な言葉をいおうと彼女の魅力を表現することはできない。僕はただ、彼女の天使のような笑顔を見つめ、子悪魔のような仕草に誘惑され続けるのだ。
「綺麗ですね、あなたには及ばないですけど」
 僕は彼女の反応を伺わず思ったことを口にした。悔しいけど、彼女には勝てないのだ。ならば正直に思いを伝えた方がいい。
「え?何をいってるの?」
 彼女は笑いながら口を塞いでいる。きっと彼女の想像と違った反応だったのだろう。
 だが僕は思ったことを口にすると決めたのだ。
「さあ、僕にもわかりません」
 そういって僕はポカリを一口飲んだ。味はやっぱりわからない。
「ふーん、変なの」 
 彼女は一周回った後、ブランコで立ち漕ぎを始めた。スカートがふわりと浮き、僕の視線も泳いでしまう。
「ねえ、今度さ、海に行かない?」
 彼女はにやにやしなから僕の反応を伺う。だがそれくらいで僕は動じない。すでに思考は壊れているのだ。何も考えずに僕は本能の赴くまま、思ったことを口にする。
「僕はもう溺れているので、泳げないですよ」
「何それ? いつもプールで気持ちよく泳いでるじゃない」
 彼女はそういって少しだけ動揺を見せた。僕はその表情を見逃さずに続けた。
「……もしよかったらそのポカリ、飲ませて下さい」
「いいけど、間接キスになるよ?」
「だからいいんです」
 僕はそういって彼女のポカリを一気に飲んだ。彼女の口紅ごと奪うためにだ。
 彼女は再び顔を火照らしたが、それくらいで許してあげられるわけがない。僕はずっと悩みっぱなしだったのだ。少しは僕の気持ちを知っておいても損はないだろう。
「君はさ、本当はどっちのポカリが好きなの?」
 彼女は戸惑いながらも攻撃に出ようとした。僕はまっすぐに彼女を見て告げた。
「もちろん、三本とも好きですよ」
 彼女の反応を確かめて僕は再びロイヤルブルーのポカリを飲んだ。その姿を見て僕はやっとポカリスエットの味を思い出すことができた。







前編→お題2『雨』 タイトル『雨とプールとポカリスエット』
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泳ぐのが好きな大学生がプールでヒロインと出会う話です。





タイトルへ→http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1952136676&owner_id=64521149


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