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2016年01月09日06:47

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オリンピックと映画

 今年は、Olympic yearですが、以前のオリンピック憲章では、確かオリンピックは映像で記録するように定められ、オリンピックごとにドキュメンタリー映画が撮られたものでした。
 中でも、1936年のベルリン・オリンピックを記録したレニ・リーフェンシュタール監督の「オリンピア」(民族の祭典/美の祭典)はいまだにこれを凌駕する作品が現れていないとまで云われています。
民族の祭典 https://www.youtube.com/watch?v=lIX00iOzdbI

美の祭典https://www.youtube.com/watch?v=o0kNRIz9910

 リーフェンシュタールはヒトラーのお気に入りでした。ベルリン・オリンピックの前年に公開された1934年のナチス党大会を描いた映画「意志の勝利」で、ヒトラーをかっこよく演出したからです(余談ですが、後年ローリングストーンズのミック・ジャガーは、ライブにおけるパフォーマンスを高めるために何度もこの映画を見たとも云われています)
https://www.youtube.com/watch?v=GHs2coAzLJ8

 おかげで、ベルリン・オリンピック開催時にはまだ33歳だった彼女は、名だたる巨匠、老大家を飛び越えてこのオリンピックを記録する映画の監督に抜擢されました。でも、見事にそれに応えたのですから、類まれな才能に恵まれていたことは確かなようです。
 とくに、今日では当り前のようにすら感じられる移動カメラを本格的に映画の撮影に持ち込んだのは、彼女が初めてだったと云われており、当時としては極めて斬新な映像が量産されることとなりました。

 オリンピックを記録するドキュメンタリー映画といっても、彼女は事実を正確に伝えるということにはあまりこだわっていません。彼女がこだわったのは、選手たちの肉体美とそれを基にした映像美でした。上述のような斬新な撮影手法を駆使したのもそのためですし、場合によっては、多少事実を曲げてでも、映像美の方を優先させました。
 例えば、上掲の美の祭典の動画では、1時間21分を過ぎたあたりから、男子飛び込みが出てきますが、フィルムを逆回ししている例まであります。水に飛び込むのではなく、逆に飛び込み台に上がってくるわけですが、あんまり不自然さを感じないのは私だけではないだろうと思われます。
 また、競技後に選手を集めて撮りなおした映像もあり、日本では今でも友情のメダルとして語り草になっている棒高跳びなどはその典型です(上掲の民族の祭典の動画では1時間23分あたりくらいから出てきます)。
https://www.youtube.com/watch?v=uu1CcT9bhQE

 これは、競技が夜間にまで及んだため、当時の感度の悪いフィルムでは映像を残せなかったからでもあるのですが、付き合わされた選手たちもご苦労さまなことでした。
 でも、そこまでして頑張って撮ったから、今に比べればはるかに貧弱な当時の機材でもあれだけの作品を作り上げることができたのだという評価もあります。

 ただ、上述の「意志の勝利」に加え、ナチス政権下で本作を撮ったことで、彼女はナチス協力者とみなされ、戦後は事実上、映画監督としての生命を絶たれることになりました。
 実際には、ナチスには最後まで入党しておらず、非ナチ化裁判でも「ナチス同調者だが、戦争犯罪への責任はない」との判決を得て自由の身となっていたにもかかわらず、彼女を監督とする映画の話が持ち上がるたびにナチスへの協力が取り沙汰され、ほとんどの話が立ち消えになっていったからです(2本ほど、なんとか制作して公開にこぎつけた作品もあるにはありましたが、一部で高く評価されているものの、興業的には失敗しました)。
 このナチスへの協力についてはかなり執拗に追及され、95年頃に公開された「レニ」という彼女の足跡を描いたドキュメンタリー映画の中でも、そんなシーンがたびたび出てきます。
 ただ、「レニ」の若い製作者が90歳を越えたお婆さんに食い下がって、ナチスへの協力を追及する姿には、(戦争責任を深く反省することが正しいことだと頭では分かっていても)どこか馴染めないものを感じたのも事実です。むしろ、追及を受けた彼女が述べた次の言葉にはある意味共感してしまいました。

 「一体どう考えたらいいのです?どこに私の罪が?『意志の勝利』を作ったのが残念です。あの時代に生きた事も。残念です。でもどうにもならない。決して反ユダヤ的だったことはないし、だから入党もしなかった。言って下さい、どこに私の罪が?私は原爆も落とさず、誰をも排斥しなかった…」(Wikipediaより)

 まぁ、厳しく言えば、何もしなかったこと、積極的にナチスに反対しなかったこと、つまり傍観者だったことに罪があるということになるのでしょうが、でも、そうだとしたら、これに類した感慨を持つことになる人は、想像以上に多くなるのではないでしょうか。大抵の人は、事件の当事者でもないかぎり、傍観者であることの方が圧倒的に多いのですから。

 実は、今日は、1964年の東京オリンピックのマラソンで3位に輝いた円谷幸吉が、悲しい遺書を残して自殺した日です。
https://www.youtube.com/watch?v=TYWruGl8CoU

 円谷さんの自殺については語りつくされた感がありますが(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E8%B0%B7%E5%B9%B8%E5%90%89)、オリンピック絡みで、せっかくの類まれな才能の生命が絶たれたという意味では、リーフェンシュタールも同じだなとふと思ったので、こんな日記を書いてみました。
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