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2015年11月14日05:23

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familiar な過去、familiar な現在、familiar な未来

我々の「過去(past)」は
我々が生まれた時から始まった
わけではない。

我々の過去は
我々が生まれるずっと前
しかもその過去は
どこまでも辿る事が
理論的には可能である。

けれども
missing link(失われた環=系列完成上、欠けているもの)

missing(失われたもの)ではなく
そもそも存在しなかったのであれば

我々は
「或る時」
突如として
現れた事になり
「その或る時」が
我々の原始だ。

そして
その「突然変異」によって
生じた「原始」から
現在までの時間経験が
我々の「リアルで familiar な」過去だ。
(つまり我々の祖先が辿ってきた実際の歴史的事実だ)

そして
我々の「現在(present)」は
我々が生まれてからこれまでの
経験の総(すべ)てだ。
(したがってそれは我々にとって familiar な
 親しみ深い歴史事実的で経験的な想い出だ。)

また
我々の「未来(future)」は
我々自身のインプットされた過去に規定されつつ
インプットしてきた現在を踏まえて
インプットするであろう未来として
我々自身に規定されつつ存在している。
(なので、そういう未来は
 我々にとって familiar な未来であると言える。)

我々は
我々の環境から影響を受けつつも
我々自身
島国のように
完結していて
相対的な独立性を保っている。

その相対的な独自性を自覚して
その相対的な独自性を生きる事が
我々の生きる目的であり

社会が求める事に応えるとか
時代の欲求に応えるとかが
我々の人生の目的
なのではない。

なぜなら
社会や時代の欲求に応えることは
どこまでも他律であり
自律ではない
からだ。

自律とは
自分自身の責任に於いて
自分自身で決断して行為することであり
けれどもそれが
独り善がり(ひとりよがり)である事から
解放され
独我論から自由である
為には
自分自身の独自の
familiar な過去

familiar な現在

familiar な未来

指し示している運動方向性を
「自覚する」
ことでしかありえない。

或る人の自律

他の人の自律

対立するのは

時間軸が現在へ振れるほど
多様性が増す
からで

或る人の現在

他の人の現在

異質であっても
彼らの過去は
過去へ遡るほどに
重複する可能性が
高まるのだ。

もちろんそこには
突然変異(Mutation)が
分断(Scheidung)を形成するだろう。

突然変異が無ければ
現世人類の多様性は
単一系統が多様化したもの
として
説明がつく。

けれども
突然変異が生起した過去の時点で
それ以前と
それ以後では
時間の空白が存在することになり
連続性は途切れる事になる。

なので
人類に関しては
現世人類は
単一系統なので
多様な人種が居るかのように
見えるけれども
みんな同じ系統の種族だ。

それゆえ
「種族(race)」
という概念が
そもそも不要なのだ。

なぜなら
現世人類は総て
アフリカから
拡散した単一系統なので
アフリカ人がアダムとイブであり
ヨーロッパ人も
インド人も
中国人も
日本人も
北アメリカ人も
南アメリカ人も
オーストラリア人も
みんな
アフリカのアダムとイブを祖先に持つ
子孫なのだ。

ただ
人類以外の動物に関しては
哺乳類としての括(くく)りの中でも
突然変異によって
祖先の歴史は非連続であろうし

ましてや
爬虫類や
昆虫類や
魚類や
菌類

人類
とは
何度もの突然変異を経て
異質化したであろう。

この
「突然変異(mutation)」
或いは
「化生(metaplasia)」

理性の予測を越えた変化を
齎(もたら)す。

つまり
突然変異や化生の
創造者(the Creator, der Schöpfer)は
理性の推理(予測能力)を越えた能力を持っている。

その突然変異や化生が
その生物が生息する環境にとって
他の生物よりも優勢であれば
その突然変異は
「前進突然変異(forward mutation)」
ないしは
「進行性化生(progressive metaplasia)」
として
突然変異しない種や既存の生物を
淘汰する(weeding out)。

けれども
突然変異や化生は
時に
異形(いぎょう)の種を生成することがある。
この場合は
退行性化生(regressive metaplasia)
として
腫瘍(tumor)であったり
癌腫(cancer, carcinoma)であったりする。

腫瘍や癌は
生命体にとって
存在すべきではないもの(das nicht sein Sollende)
であり
そのような突然変異体(mutant)を
排除する為に免疫(immunity)機能が働く。

いずれにせよ
突然変異は
必然的に生じる現象であるというよりも
偶然に発生する現象であるので
突然変異を制御するのは
簡単ではない。

悟りや啓示も
突然変異に近い。

ただし
悟りも啓示も
前進突然変異(forward mutation)
或いは
進行性化生(progressive metaplasia)
なので
悟りや啓示の現象を
制御できるに越した事はない。

けれども
突然変異も化生も
偶然の出来事であるので
進行性の化生が起きるか
退行性の化生が生起するかを
予測する事は出来ないし
進行性の化生だけを
選択的に生起するように制御するのは
簡単ではないだろう。

だが
悟りも啓示も
人類社会の改善に役立つ限りは
人間が教育や医療や立法に
応用出来る様に
その方法論を確立するべく
努力が為されるのでなければならない。

これまで
神話も宗教も
持たない種族や国が
存在しなかったにもかかわらず
宗教が
国家の繁栄に
また
国民の福祉に
役に立っているとは
言い難い。

科学や技術にも
限界が在る事は
現代では
誰もが知る事実である。

もちろん
宗教が危険性を孕む事も
誰もが知る事実である。

また
現行の哲学が
生活の役に立たない事も
周知の事実である。

そして
現代の社会が
そのままでは
みんなの幸せを保証しないことも
皆が実感する事である。

ただ
皆が納得し得る
次の社会を
誰も描けないでいる
だけだ。

資本主義社会は
いつかは
斃(たお)れる時が来る。

けれども
資本主義の次に来る社会が
何であるかを
また
何であるべきかを
言い当てる人は
いまのところ出ていない。

社会は自律的に
また
突然変異的に
変化するだろう。

その変化は
人類が自分で選ぶ未来である
というよりは
成るべくして成る未来であり

それゆえ
人々の予測を越えている筈であるから
皆が望んだ未来社会であるとは
限らない。

つまり
現行の支配階級にとっては
望まない社会であろうし
現行の抑圧階級にとっては
望むべき社会であろうが
その社会が
果たして
現行の抑圧階級にとって
期待していたどうりの社会として実現するかどうかは
誰にも予測出来ない。

なので
それを
神の仕業(しわざ)を
思う人も居るかもしれないが

未来の社会は
いずれにせよ
我々の予測を越えて
或る時
突如として
突然変化して
現れるだろう。

それを共産主義だと考えたマルクスは
資本主義社会で甘い蜜を吸っている支配階級に
嫌われたが

マルクスはいつでも
貧乏人の目線
差別される側の目線
被害者の目線で
来るべき未来の社会を
描こうとしたのではないだろうか。

マルクスを悪く言う人は
今の社会が変わって欲しくない人に
違いない。

今の社会に満足出来ないで
社会が良くなる事を望んでいる人は
マルクスの描く未来に満足出来ないのであれば
マルクスを越える社会観、歴史観を
生み出さねばならないだろう。

資本主義社会を
質量共に凌駕し得る
未来社会を描ける人間が
今の世界に
居るのだろうか。

そして
嘗てのレーニンのように
そのような社会を建設しようと
命を賭ける事が出来る人間は
現在の世界に
居ないのだろうか。
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