mixiユーザー(id:2223977)

2015年10月24日13:30

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哲学と宗教と科学の三権分立

今の哲学は
科学的見方に依拠した哲学か
宗教的見方に依拠した哲学か
どちらかに属し
宗教と科学を
どちらからも距離を置いて批判的に捉えると
同時に
どちらへも没入して反省的に我がものとする
(つまり科学的な実証的精神も宗教的な自証的精神も
 どちらも修得して重視し得る態度。
 なので批判的といっても
 決して科学も宗教も排除しない態度。)
そのような態度を
保持しているような哲学は
稀である。

哲学が哲学である為には
科学や宗教から離れていては駄目である
と同時に
科学や宗教に呑み込まれていても哲学ではない。

哲学が哲学である為には
科学と宗教の否定(消極)的側面を批判し
科学と宗教の肯定(積極)的側面を摂取する
態度が保てなければ
哲学ではない。

そのことは
科学が科学である為の場所を
科学に保証することであり
同時に
宗教が宗教である為の場所を
宗教に保証するということ
である。

宗教と科学と哲学は
各々が
批判的且つ反省的に
それぞれの領域(Gebiet)を守りつつ
緊張関係にある時
初めて
各々の学問は
健康であり得るのであり
偏倚(偏り・仮象)から解放されるのである。

哲学も宗教も科学も
国家権力における立法・司法・行政のように
三権分立で
緊張関係の中で
併存してゆくのが
(つまり、どれか一つが
 他の二つを抑圧したり壊滅させることによって
 統率権を一手に掌握するような意志は
 仮象であり妄想であり
 いずれ壊滅させたと思っていた他の二つの勢力が
 どこからともなく涌いてきて
 自分自身の独占欲が仇(恨みを返すべき相手)と見做されて
 目の敵(かたき)にされ
 自分自身が壊滅させられることになる。)
学問としての健康を保持する為の
最適の方法的原理だろう。
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