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2012年09月21日01:08

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「道楽に徹する」動機こそを優先して選択したい!!

さてさて、行きに比べれば帰りは割合スムースな移動ではあった。ただしムンバイ空港では乗り換え時間3時間でまあ余裕があるからのんびり構えていたら、国内線から国際線ターミナルへの移動が30分掛かっただけではなく、イミグレ(出入国管理)が、


「インドから難民大量脱出か?」・・・と思いたくなるような超ウルトラ大混雑、


そして当然同じだけの人数がその先の「セキュリティ・チェック」を通過しなくてはならないわけで、どうにかこうにかこの2つを潜り抜け搭乗ゲートに辿り着いた時には既に「搭乗開始」となっていて、間もなくファイナルコールとなるような状況だったねえ。

ひょっとして毎日こんな状態なのか知らん?・・・往路ではムンバイで「あわやロストバゲージ」という場面もあったし、あんまり印象が宜しくないですなあ(笑)


帰宅してそろそろ1週間になろうとしているがなかなか「日本での日常生活モード」に戻りきれない感じ・・・というものの、今年の場合は3月から4月上旬にかけては演劇公演、5月中旬から出発直前までは母の入退院に伴う毎週の浜松往復&事務処理に忙しく、「日常生活モード」自体が結構「非日常的」だったからねえ。

当面の課題は、「臨在」サイトの新規改訂・更新作業であるのだが↓

http://www.geocities.jp/ramana_mahaananda/kousinyotei.htm

その他にもヨーガセッションの再開ということもあるし、ラマナ・ミーティングも然り・・・サイト上で「次回は10月に実施予定」と書いたら早速問い合わせを頂いたので早いうちに確定作業をしなくてはね。

母の様子も見に行く必要もあるし(出発前に完全に終了させ切れなかった事務処理&確認作業などもあるので)、
友人知人の演劇や競技ダンス大会にお誘いを受けているので、これらにも顔を出したいと考えている他、

11月中旬には再び「お伊勢さん」詣でを検討中・・というか弟子の奴が既に先行して宿を予約してあるようだ。


まったくそれら自体は大変素敵なプランだが、

「インドから帰ってみれば素寒貧」な状況の私なのであった、わははははは・・・・・!!!!!


閑話休題(因みに帰国後に外部ブログの題名を「閑話休題〜お気楽脳天気な長広舌」に変更した)、



演劇関係の友人2人(二人ともまだ20歳)が、最近1週間ほどイギリスでの演劇ワークショップに参加してきたそうだ。「アプライドドラマのワークショップ」というから多分TAICHI-KIKAKUと深い親交のあるチェスター大学のアレン教授の指導によるものなのであろう。


この話を聞いて私は、「ああ、羨ましいものだ!」と感じたのであった。


いや別に彼らが参加した事それ自体ではない、それは現在の私だって不可能事ではないからだ。

私が「羨ましいなあ・・」と感じたのは、彼らの20歳という年齢なのだ・・・その年齢にして海外へレヴェルの高い演劇ワークショップを受講しに行く!!・・という行為なのである。

もちろん「気軽に」行けるものではなかったことであろう、資金的にも総額は決してお安いものではないはずだし、基本的には「貧乏演劇青年」なのであるから(笑)金策には苦労した所もあるだろう。

だが、彼らの出かけてしまった?勇気と、それを可能にした環境・・・そのどちらも30年前の私に欠けていたものなのだ。

18歳から20代初めの頃、私も演劇青年であり「欧州」に憧れていた時期があったのだ(笑)・・特にドイツ(当時は「西ドイツ」ですなあ)に行きたかった、というのは演劇よりクラシック音楽の影響だったが(ドイツ語も真面目に勉強した時期がある・・・もちろん現在はすっかり忘れた)。


環境という点では、30年前はまだ外国に個人で出かけるには困難なところもあった・・・経済的には85年の「プラザ合意」以降になって円高が加速されたのが「個人旅行」が広まるきっかけだったし、ガイドブックなども御馴染み「地球の歩き方」は既に刊行されていたもののまだまだ知名度は低かったと思う。


当然インターネットなるものは存在せず情報収集の手段が限られていただけでなく、その手段自体にどう辿り着くか?そのものが運やら縁やらに多分に影響されていたのではないか?・・とも思う。


だがしかし「行こうと思い、実際に出かけてしまった人たち」は沢山いたのだ。


例えばラマナ関連書籍の翻訳でその筋では知らぬ人のないF氏、彼は私より1つ年上なのだが22歳の時に既にヨーロッパに渡り、その後長らく海外で生活されやがてインドへ・・92年からラクノウのシュリ・プンジャジ(通称パパジと呼ばれた稀代のジュニャーナでラマナの直弟子の一人・・現在活躍中のガンガジさんなどの師にあたる)のサットサンに参加されていた。

彼とはここ数年親しくお付き合いさせて頂いてるが、「この人には自分は到底及ばないなあ・・・」と恐れ入ってしまう人物である。


また一方で親交のあるTAICHI−KIKAKUのオーハシさんは年齢的にはほぼ同年代(モリムラさん他のメンバーの皆さんも同じであるが)、彼およびメンバー達は85年にグループ結成・88年のパリ公演以降毎年海外での公演を続けてきた・・・このオーハシさんもまた私の「憧れの人」というか、私自身が「こういう風に生きてみたかった」理想・・を体現している人なのである。


私はどうしてエフ氏やオーハシさん達のように、「出かけられなかったか?」

確かに情報量や環境の違いはあったのだが、彼らにあって私に欠けていたのは何よりも 

「飛び出してしまう勇気」なのである・・・あるいはそれは「蛮勇」に近かったのかもしれないにしても。


ではどうして私にはその「勇気」がなかったのか?


それは「不安と恐れ」が優勢だったから・・・以外の何ものでもない。先日日記で紹介したような

「道心中衣食あり」の言葉を知るのは既に30代に入ってからだったし、その言葉をリアルに実感できるようになるには更に時間を必要としたのだ。


その頃の私の「劣等感と優越感が交錯する自己顕示欲と未熟な精神」にいかように支配されていたか?・・・についてはいずれ別の機会に書きたいと思うが(こういう自己分析はもう飽きるほどやったが、だからそれで解放されたわけでもない・・今でもちょくちょく失敗をやらかす)、


さてしかし51歳にもなって今更「F氏のようにもオーハシさんたちのようにも生きられなかった」ことを悔いたり嘆いたりしてもそれは単なる愚痴になるだけで極めて「不適切行為」でしかない。


ここで「お気楽脳天気!」な視点あればこそざんすよん。

要するに、「F氏のようにもオーハシさんたちのようにも生きられなかった」からこそ、シリウス・マハナンダというユニークな個性&人生を私は日々生きているのざんすからね!!!

実際に「ラマナ=アルナーチャラの世界」と「身体詩というアート&パフォーマンスの世界」双方を二股かけて行き来しているなんてのは、なかなか面白い人生ではないか!・・・その上「元海上自衛隊の潜水艦乗務員」という珍しい経歴もあることだし(笑)


「その道での達人」という領域にはなれなかった・・・のは認めざるを得ない事実であるが、中途半端も「その中途半端であることそのもの」に徹すればユニークなリアリティを獲得し始めたりもするのだ。


皆さんは、「趣味」と「道楽」の違いをご存知だろうか?

「趣味」は自身の社会的生活・身分を守りながら、その生活に潤いをもたらす為に嗜むもの・・であるのに対し、

「道楽」は人生そのものを「ぶん投げて」、いわば「自己」を危機に陥れるのも敢えて拒まず、その道に徹しきる・・のを「道楽」というのざんすよん。

だから「趣味」は生活防衛のために必要とあらばいつでも「止める」事が可能だが、「道楽」の方はたとえ生活を破綻させても「止めるわけにはいかない」筋合いのものなのだ。


もちろん私は「道楽」者なのである、この道を歩む以上「堅気」にはなれないのだ。

だがやはり繰り返すように、「道心中衣食あり」の格言が真実である事を私は確信して止まない。


「なあに、お天道様と米の飯はいつだってついて回る」

「食う寝るところ・住むところは全部神様持ち」

なのだ、この格言こそ30年前の私に欠けていたものだ。


自分の「人生のパターン」はそれを意識して超克しない限りいつまでも巡りつづけてしまうのだが、今度また「人生の分岐点」が巡ってきたら私は、

「不安や恐れ」に対する防御という動機ではなく、「道楽に徹する」動機こそを優先して選択したい!!



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