mixiユーザー(id:1057202)

2012年08月27日21:52

75 view

20年後の「格言申し送り」?

新しい日本人訪問者がやってきた・・30歳のヨーガ修行中の青年ざんす。彼もまた年齢的に「堅気の生活か、好きな道を歩き続けるか?」で悩んでいたので、例によってあれこれと長広舌をふるったざんす。もちろん「好きな道を歩き続ける」を全面的に支持!!

そして私が良く引用する格言も説明した・・・・曰く

「道心中に衣食(いじき)あり、衣食中に道心なし」

今頃になって出所を調べたらどうやら伝教大師(最澄さん)の御遺誡第4項にある言葉らしい。


ご存知の方も多かろうが敢えて意味を説明すると、

「仏道を求めようと心第一に過ごせば衣食は自動的について回る。その逆は無い」

まあ実際には仏道と狭く解釈せず、

「自分が本当に希求しているもの」それ自体を自分が生きていくことにおいて最優先としている限り、生活に必要なあれこれ(もちろんお金も含めて)はどうとでもなる(・・というか自動的に付いて回る)。しかし「生活への不安」への対処を優先する行動をメインに据えていたら、「希求しているもの」には巡り合えないだろう。

・・・という風に解釈して構わないだろうと私自身は確信している。

さてさて、ところで私自身はどうしてこの言葉を知ったのか?・・というと、私もまた彼とほぼ同じ年齢の頃だったのだなあ。

>>>>

それは1992年5月だった・・・当時31歳の私は3度目のインド旅の途上にあり(まだラマナアシュラムへやってくる以前の話)、酷暑季の北インド・リシケシにてヨーガの師匠のもとで「カルマ・ヨーガ(セルフレス・サーヴィス・・又の名を「ただ働き!」という・・笑)に励んでいた。

というと大嘘で出来るだけ修行をサボりながら殺人的暑さに耐えていたのが真実(笑)

この時リシケシにたむろしていた日本人の中に、一人の坊さん(天台宗僧侶)がいた。

この方は出家前は極道者・・・つまりヤクザだった(中学生の頃から少年院、長じては各地の刑務所にお世話になったそうな)、小指は欠損してるし背中には見事な彫物があって、

「暑くてガンガーで水浴びしてると、インド人がたくさん集まってきて背中の絵を眺めるので困る・・・」

などと苦笑していたが、私が「今後の人生への不安」を漏らした際に、「鈴木さん、こういう言葉があるんですよ」と教えて下さったのが、この「道心中に衣食(いじき)あり、衣食中に道心なし」だったのだ(そうか、天台宗僧侶だから最澄さんの言葉だったわけか・・今頃になって納得)。

以来私はこの言葉を座右の銘に加えることにしたのだが、なるほどこれは真実である・・と、特にアルナーチャラに出向くようになってからはリアルに確信出来るようになったわけざんす。

この坊さんの「出家の理由」というのはかなりドラマチックなのだが(以前どこかで日記に書いた筈だが今ちょっと思い出せない・・機会があったらまた紹介するざんす)、このインドへの旅は僧侶としてかなりのインパクトであったようで、帰国後少しばかり連絡を取り合ったりしたが、ある日電話で

「わしはまた托鉢からやり直します!」と宣言され、音信不通となった。

<<<<


それから20年、今頃どこでどうされているのであろうか?(帰国したら今度こそフェイスブック始めるが、こういう「過去に音信不通になった」知人と再会出来たら嬉しいのだが!!)

そしてまた多分その当時その坊さんは今の私と同じ位の年代だっただろう・・・と思われるわけで、今度は私の方が、「かってその言葉を教えてもらった年齢」と同じ位の青年に、それを伝授しているわけなのですなあ(笑)


この青年に限らず演劇関係で若い人たちと交流することもあるが、やはり皆それぞれに「自分の夢を追い求め続ける」事と「将来の生活への不安」との間で揺れている・・・のが良く分かる。

そんな彼らに私は「堅気になりなさい!」とは決して説教しないざんすよん!!

そもそも現在の日本社会は「普通の堅気の人」ですら就職が困難だ・・というご時勢にあって、「特異な道を歩む者」が全うな定職を得ようとすること自体不適切ではないだろうか?・・一人ドロップアウトすればその分「定職への競争率」が減るわけだし(笑)

というわけで悩める青少年諸君(および私を含む一部の中高年も)、この格言を信じて「為すべき行為」に専心するべし!!

「道心中に衣食(いじき)あり、衣食中に道心なし」ざんすよん!!!!!!
8 6

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する