我を通すばかりでは生きていけない。
それぞれの意見が合って、譲り合わなきゃいけないのだから。
でも、自分を殺すなんて悲しいことだと思う。
譲れるものは譲ればいい。そのぐらいの“我”なら殺すなんて表現ではないんだと思う。
本当に譲れないものを押し殺す時に使うのだと思う。
そういう自分は譲っちゃいけないんだと思う。
それでも、そんな自分の部分を表に出してもうまくいかない時もあるわけで。
それ以上に、表にすら出せない時もあるわけで。。
なんていうか。
そんな自分が一番悲しいと、自分を取り戻した時に気付いたのです。
なのに、今もまたそういう自分に戻りつつある気がする。
ログインしてコメントを確認・投稿する