図書館から借り出した朝比奈&大フィルの2度目のべートーベン交響曲全集を聴いている。
この2度目の全集というのは77年〜78年にかけてのライブ録音であるのだが、私自身にもちょいと思い入れのある演奏なのだ。
私がクラシック音楽なるものに目覚めたのは77年の秋・・・・
当時高校2年生だった私は、演劇部の活動に全精力を傾けていたのだが文化祭での公演の出来映えは理想と程遠いもので、かなりがっくりしてしまったのであった。今にしてみれば青春の挫折という奴ではある(笑)。
その頃流行った歌の歌の中に「9月の雨」というのがあった(私は当時太田裕美のファンだったのだ)・・・御存知の方も多いことだろう、何とも悲しい歌であり挫折した私の心象風景とダブってどっぷりとメランコリックな気分に浸っていたのだった・・・。
しかし、である、そんな状況下にあってある時私はとてつもない出会いを体験したのであった。
それはクラシック音楽である。私は初めてベートーヴェンの音楽というものを聴いたのであった。
それまで全然クラシック音楽には興味なく、音楽の授業なんてのは「退屈の極み」だったのだが、たまたま朝比奈隆指揮の運命交響曲のレコードを聴いてそれこそ腰が抜けるほどの驚天動地、
「世の中にこんな凄いものがあるのか!これが真の芸術というものなのか!」
・・・という具合にそれはまさしく天からの啓示といっても過言ではないほどの感激で以来すっかりのめりこむようになった次第。思春期にこういう出会いがあると人生に大きな影響を与えられるのである。
もっともコーホー先生独特の「激烈な紹介文章」、例えばエロイカには、「激情を忘れた時代に敲きつける烈炎の指揮棒!」・・・こういうコピーに挫折青年はすっかり毒されたのだが・・(笑)
(・・・というわけでなので本来その音源が収録されていて欲しいのだが、ライナーノートによると、5番は録音状態が悪くこの曲のみ82年の演奏が収録されている・・というのがかなり残念。)
そんな具合でこの全集の一部は当時もLPレコードで買い求めたものだ。
ご記憶の方もあろうが、当時LPレコードのお値段って2500円・・33年前の2500円は高校生の懐にはかなりお高いので、清水の舞台から飛び降りるような勇気?も必要だった(笑)
なかでもエロイカ(交響曲第3番)というのは、私は一時期この曲に嵌り?音源を100種類近く集めたことがある位なのだが(笑)、この時ももちろんそのLPをリアルタイムで購入した記憶がある。
その演奏を33年たった今、久々に聴いたわけだが・・・いやあ、これはこれは、
「激情を忘れた時代に敲きつける烈炎の指揮棒!」
というキャッチコピーも遜色ないほど熱くたぎる演奏ざんすねえ↓
http://blog.goo.ne.jp/lbrito/e/3e95747283cb8dc5f786e229612fdb7e
さてさて、何というか例えばこの演奏を聴いていて何か胸が高鳴ってくるような「魂のヴィジョン」とでもいうべきもの・・・いうなればそれは幼年・少年時代から私に強烈に働きかけてくる「魂の希求」ともいうべき圧倒的な力・・・なのである。
それは6歳の時の「演劇体験」から始まったのだ・・・舞台の上で全身で体験したある種の「至福」感覚・・・それが私の「生の原動力」といっても過言ではない。
ただどういうカルマなのか、それは「演劇」と言う世界に固定されなかった・・・というのが、私の人生をなんとも変てこな道筋を歩くことになってしまった。
インド他アジア各地に出かける事にもなり、その途上でヨーガやら太極拳やらのあれこれに関わる事になり、とうとうラマナ=アルナーチャラに摑まってしまって「バクティ・ヨーギ」になってしまったし・・・。
私は舞台と言うフィクションの時空間だけでなく、実生活のリアルな日常世界のなかで、それを希求し続けてそこらぢゅうあちこちで挫折を繰り返し、気が付いたら今年49歳になろうとしている・・・ということになるのかな?(笑)
でまあ年齢相応に、色々なパッションも衰えくたびれかかっている・・・のは事実だが、ちょっとここいらで「ヴィジョンへの情熱」を取りもどさなくちゃね!!
おりしも次回の土曜夜からTAICHI−KIKAKUの「身体詩ワークショップ」が始まるし、ラフターヨガのセッションにも出来るだけ参加したいと考えている・・・・
ヤマトアンナマライの「お気楽脳天気ヨーガ」は、
「激情を忘れた時代に敲きつける烈炎の?ワークショップ」
・・・・というのを目指すことにしようか?(笑)
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