さてさて、4日間5ステージの公演終了、嵐のように駆け抜けた日々だったざんすよん。(写真はTAICHIメンバーの一人tabさん撮影のもの)
私個人としては、昨年に比べて「やっていて楽しい」という感じがより強く感じられた・・・昨年の作品はややシリアスな切迫感が胸にひしひしと迫る、という印象が強かったのに比べると、今年の作品は「生と死、彼岸と輪廻」をノスタルジックに描く印象があった。
我々の出番は4つだったが、私自身が一番好きだったのはラストで舞台上の銀色の円環(身体詩劇作品では舞台上には「大道具」は一切存在せず、この銀色の円環だけがある)の上でゆっくりと歩いていくシーンざんすね。
作家としてのモリムラさんの死生観、彼岸の世界や輪廻・・・ということについては、インドの不二一元論(アドヴァイタ・ベーダンタ)の精髄であるラマナの教えとは決して一致していないし、当然ラマナ=アルナーチャラへのバクティ・ヨーギである私にとっても、完全には作品の世界観に同調できているわけではない。
しかしまあ、そんな細かいシステマチックな思想的相違でどうこう論ずるのは愚かしいことで、舞台上で今まさにそこに生起し創造されいく時空を、演技者も観客もある「想ひ」・・・特にTAICHI-KIKAKUでは「愛の想ひ」が重要視されている、を分かち合い共感していく・・・・というところにこそ「舞台芸術」の真髄はあるのだ、
人間は「システマチックな思想」をベースに生きているわけではないのざんすからね。
「システマチックな思想」の枠組みが強烈に支配する生活様式を無自覚的に続けていると、我々の魂は「不毛なる生死」の世界に迷い始める。
2番目の登場シーンで、我々は無表情な白い仮面を被るシーンがあるのだが、↓
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1346921729&owner_id=1057202
その場面のラストでは、我々は仮面を自ら剥がし取る・・・そこにたち現れるのは、個々人の魂が解放された「爆発的なまでに奇妙奇天烈な顔」なのだ!
「自ら剥がし取る」・・・これはあたかもある種の昆虫が「さなぎから脱皮していく」ような、生々しい生のエネルギーの爆発が、虚構の仮面を内側から突き破りいくような「歓喜の爆発」とも言えるだろう。
・・・私自身はそういうつもりだったので、「宇宙キノコ」食ってぶっ飛んだトリップの時の感覚を脳内にフラッシュバックさせる感じで演じていた(爆)
で、この仮面はぺらぺらの合成樹脂を型抜きして作られたものなので、かなり柔らかい・・・ということで最終公演の時は、
「脱いだ後この仮面を握り潰してやろう」と目論んでいて、それを実行しただけでなく、その場のアドリブで「足で踏み潰す」ことまでやった(笑・・・もちろん私の独断専行)、まあこの辺りは私の「思想的スタンス」の確信犯的メッセージの表明でもあるざんすね。
前述の日記に書いた「千の扉」を開けていくシーン・・・ここはメインの3人の演技が展開している最中に、
まるで「出番を間違えたのでは?」「あれ?なんだろうこの人は・・」という感じで唐突にひょっこり私がすたすたと登場してドアを開け始める・・・のがきっかけでプルミエ全員が次から次へと「乱入?」してきてドアを開け始める!!
わけなのだが、どうやら1番最初に登場するのがこの私であることが、演出的な意図でもあったらしい・・・。
これは私自身のキャラクターの持つ独特の変てこさ(笑)が、ある種の「世界を異化し始める効果」を持つらしいのだが、実はこの辺は私もある程度理解しているので、実を言うと自分の登場シーンの中では「殆ど素のまま?」で楽しくやっていたのであった。
打ち上げで飲む酒は下戸の私でもこんなに美味いものは無い!!
やはり一つの芝居をやった仲間というのは、濃密な時空間をともに生きていく体験を蓄積していくわけなので、世間のお義理で付き合う宴会とは比較にならないのざんすよん。
その席上モリムラさんから重大発表、
「来年のクリスマスの時期に再び東京芸術劇場での公演スケジュールが正式に決定!!」
というわけで来年も出演するざんすよん!・・・私の場合は俳優活動は年に一回の身体詩公演だけざんすからね(笑)
で、どうやらモリムラさんの構想としては、次回はプルミエのメンバー一人一人の個性がより際立つような作品を書く!とのこと。
さあて、今度は私はどんなことをやるのだろう?乞う、御期待!!
ログインしてコメントを確認・投稿する