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2024年05月17日15:37

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「トップガン マーヴェリック」に様々なことを想う。

 5月11日(土)に昨年2023年7月公開の外国映画「江南ゾンビ」を観る。

「江南ゾンビ」(イ・スソン)
「新感染」を筆頭としてゾンビ映画でも「Kゾンビ」なるジャンルを確立したタフな韓流でこれもその一篇だが、B級テイストをしっかり散りばめて楽しい物に仕上げてくれた。コロナ禍が一応は収束した後の世界に登場した新ウイルスという機を見るに敏のタイムリーな視点が良く、コウモリ発祥説のコロナを受けて、今度の感染源は猫である。封鎖したビル内でゾンビが蔓延するというゾンビ映画の王道を踏まえ、そのビルの女財閥オーナーが不動産価値を貶めたくないために、外部への通報を遮断するなどの横暴さや、借主の配信会社の社長が公共性よりもアクセス数を増やす映像だけが興味の的とか、最近の韓国の時流をしっかり押さえた背景で危機が増大する。ヒーロー役はドラマ人気スターのチ・イルジュ、ヒロインはアイドルグループのジヨンと、それなりの面子を揃え、イルジュは韓国テコンドー国家代表団の元メンバーという役柄で、猛特訓してキレキレのアクションでゾンビをなぎ倒す。最後に奮戦空しくゾンビの牙にかかり、ゾンビ化に至る前にジヨンとの切ない別れを決意するが、駄洒落みたいなオチ(でも言わない方がイイヨネ)でハッピーに終わるが、世界の方は完全ハッピーとはいかず、ウイルス蔓延を予感させる余韻を残す。これだけB級テイストを盛り込んで81分のコンパクトさ、かねてから語りがくどく尺が長過ぎるのが韓流の弱点と思っていたが、その意味でも本作はお見事だった。特集「カリコレ2023」内での細々した上映のようだが、こういう物をこまめに紹介してくれるのはうれしい。(まあまあ)

 5月13日(月)に一昨年2022年9月公開の外国映画「ブレット・トレイン」を観る。

「ブレット・トレイン」(デヴィッド・リーチ)
伊坂幸太郎・原作「マリアビートル」のハリウッド映画化で、舞台は日本で真田広之や何人かは日本人を起用しているが、ブラピを中心に殆どはハリウッドスターに置き換えられている。そして、創りは無国籍アクションに近く、殺し屋がなぜか続々と集結する舞台の超高速列車も、新幹線を模しているが完全に架空空間の趣きだ。東京で乗車してスーツケースを盗み、品川で下車してそれを渡すとの簡単な依頼を受けただけのブラピが、何故か次々と乗り込んだ殺し屋群とトラブルに巻き込まれ、ロシアンマフィアと日本ヤクザが絡み死体が続出する中で、終点の京都までアクションに次ぐアクションの連打となる。いや京都から先でも「大陸横断超特急」もかくやの列車暴走スペクタクルのおまけもある。いくら無国籍アクション風でも、日本はここまで無政府状態じゃないよなぁと感じていたが、最後まで観るとそれなりの辻褄合わせができていたあたりは大いによろしい。(まあまあ)

 5月14日(火)に昨年の令和5年11月公開キネ旬ベストテン日本映画の第8位「ゴジラ−1.0」を観る。

「ゴジラ−1.0」(山崎 貴)
ハリウッドの同種作品をなぎ倒し、予算枠の小ささにめげず見事アカデミー視覚効果賞を勝ち取り国民映画と化した傑作である。確かにそのVFXは眼を瞠るばかりで、山崎貴VFXは元々「三丁目の夕日」「永遠の0」など、ファンタジーよりもリアリズムの世界でより見事さを発揮するが、今作では浮世離れした存在のゴジラを徹底したリアリズムで活写したのは凄い!凄すぎる!!さて、問題はドラマの方だが、これは賛否両論が別れるだろう。山崎貴は、自身が生きていた以前の時代を、「三丁目の夕日」では善人ばかりで埋め尽くし、「永遠の0」では現代的ヒューマニズム感覚の人間を過去の時代に嵌めこむなど、必要以上に美化する傾向にある。今回も自死の特攻精神が生き残りの祖国防衛に簡単に敷衍され、空襲で肉親を喪った男女と赤ん坊が助け合って何年も生活を共にするなど、ひたすら善人集団のオンパレードだ。男と女は寝てなんぼの荒井晴彦さんあたりに言わせれば、これでヤラないなんてリアリズム欠如も甚だしいとなろう。しかし、全てをそのような善意の人間描写に基づきハッピーエンドに収めていくドラマ部分の山崎演出も私はこれで良いと思うし、映画という物はこういうことで良いと思う。(よかった。ベストテン級)

 同日14日(火)に2021年11月公開の外国映画「ディア・エヴァン・ハンセン」を観る。

「ディア・エヴァン・ハンセン」(スティーヴン・チョボスキー)
トミー賞・グラミー賞・エミー賞を受賞したブロードウェイ・ミュージカルの映画化だけのことはあり、構成がしっかりしている。精神疾患で治療中の友達のいない高校生が主人公で、舞台と同じベン・プラットが演じているとのことだ。やはり、薬物依存症治療中で友人がいないクラスメートのコルトン・ライアンが自殺するが、ふとしたことで彼の母親に親友だったと誤解されてしまう。プラットは心遣いから親友だったことを演じてしまうが、それに感動したクラスリーダー格の女子生徒が、目標を掲げたクラウドファンディングを始め話題が大きく広まるも、例によってひょんなことでマイナス面が明るみに出ると、手のひら返しでSNS上のバッシングの嵐に至る。実はこのリーダーも鬱病で努めて明るくふるまっていただけであり、このSNS騒動を巡って、コルトンの両親は罵声を浴びせ合い、プラトットも母に恨みをぶつける結果になる。プラットの嘘も単なる善意ではなく、ライアンの妹への想い・暖かい家庭への憧れへの下心があり…と、どこまで根暗話なのとウンザリしてくるが、そうならないのはミュージカルナンバーの歌が、周囲の情景から毒を消し浄化していくからだろう。ミュージカルナンバーがストーリーを中断するので、その分2時間20分弱の長尺となるも、冗長感は全く無いし、最後は素直に自分の心に従うことの大切さを謳いあげアンハッピーにはなっていないのも後味が良い。ブラットの母をジュリアン・ムーア、コルトンの母をエイミー・アダムスが演じており、いずれもそんななんな年代になったんだなあとの思いと共に,年相応の好演を見せており感慨深かった。(よかった。ベストテン級)

 5月15日(水)に一昨年2022年5月公開キネ旬の外国映画の第2位「トップガン マーヴェリック」を観る。

「トップガン マーヴェリック」(ジョセフ・コシンスキー)
トム・クルーズ大ヒット作の36年ぶりの続編である。伝説となったパイロットの腕は抜群だが、問題児で階級は未だに大佐のままで、今回は困難なミッションの指揮を任される。敵対国の峡谷地下にある核施設の殲滅だが、まずレーダーに関知されぬ超低空飛行で突入し、ピンポイントの地上爆撃で施設上に穴を空ける「第一の奇跡」を実現した後、後続機がその穴に的確に爆弾投下する「第二の奇跡」を遂行しなければならない。しかもミッション完遂後には、峡谷から急上昇で脱出し敵のミサイル網を振り切って母艦帰還まで、気の遠くなる危険の連続だ。さらに援護は近隣の敵空港の爆撃で戦闘機離陸不能に陥らせ、一時出撃を遅らせるるだけだから時間的制約もあり、その時に空にいる戦闘機とは対決しなければならない。この顛末を、まずリアルな訓練描写でタップリ堪能させた後、本番のスリリングなミッション遂行・ミサイルを避け敵戦闘機との銃撃戦を経てクルーズの搭乗機は撃墜されパラシュートで脱出、敵基地の戦闘機(これが旧型でここでも母艦帰還までのサスペンスが醸成される)を奪い、無事に脱出完了まで、これらをCG合成の不使用で映像化する迫力は圧倒的であった。もちろん劇映画であるから、前作にあった過去のいきさつを誤解している同僚の息子との確執や、ジェニファー・コネリーとのラブロマンスなどのドラマもあるが、付けたりに過ぎない。そもそも前作の創りも似たり寄ったりなので、ドラマ部分は殆ど忘れてしまっている。そう言えば、この敵対国とはどこなんだろう。イラン?北朝鮮?風景・敵兵器・軍服etcで、そこも意識的にボカしている。しかし、そんな物は全て繋ぎに過ぎす、航空アクションの見せ場が全てで、そこだけが魅惑の2時間越え活動大寫真として楽しめは良いと思う。(よかった)

 私は、この映画を「Prime video」配信でパソコン画面で観た。「活動大寫真」部分はヴィスタサイズで、繋ぎのドラマ部分がワイドサイズだった。こうしてくれると「活動大寫真」部分がパソコン画面いっぱいに拡がるので、あまり理想的観賞環境とは言えない中で大いに嬉しかったが、劇場公開時もこんな感じの上映だったのだろうか。かつてワイドスクリーン上映時にスタンドードサイズの上下が縮んで上映され、横にスルスル拡がる解放感の魅力が全く無視されて呆れた経験があるが、この映画でこれがオリジナル上映ならば作品効果に十分に見合っている。

 そもそもフィルム時代の映画は35mmフィルムの物理的制約があり、その中でどうスクリーンを拡大できるかが悲願だった。35mmを縦に3台連写して横長上映するシネラマがあったり、最も普及したのが35mmフィルムにアナモフィックスレンズで縦長の映写データを詰め込み、横長で復元して拡大上映するワイドスクリーン方式だった。

 今の映画の主流はディジタルであるから、縦横比サイズは自由自在で、「Mommy」のような縦横比1:1の映画まで出現している。もし「トップガン マーヴェリック」の劇場上映が、こんなワイドとヴィスタサイズの使い分けをしていたとしたら、新しい試みといえよう。

 「トップガン マーヴェリック」がキネ旬ベストテン入りしたのにはビックリした。しかもあわやのベストワンかという第2位である。以前も「マッドマックス 怒りのデスロード」ベストワン獲得にビックリした。確かにそれぞれの過去作もそれなりに面白いアクション映画であり、それが現代映像技術でブローアップされているとはいえ、ベストテンなんてタイプの映画じゃないだろう。そこでハタと気が付いた。過去作の時から大きく時を経て、選者の顔ぶれがかなり様変わりしているのである。早い話が過去作にリアルタイムで熱狂していたファンが、プロ選者の主流になったということだ。

 私は西部劇ベストワンといえば永遠不動で「荒野の決闘」だと信じていたが、最近のベストワンで「ワイルドバンチ」がワンになったことに(私がこの映画をガサツな70mm演出にしか見えず評価しないこともあるが)仰天した。これも、「ワイルドバンチ」の熱狂ファン信者がプロの主流になったことの証左だろう。

 西部劇ベストワンにしても、淀川長治さん等の大先輩によれば『「駅馬車」ですネ。それ以外考えられませんネ』となるかもしれない。「荒野の決闘」が永遠不動のベストワンだったのは、戦後の一時期の現象だったようだ。映画評価なんて、時代の変遷による選者の入れ替えで変わるものなのであふる。

 5月16日(木)に一昨年の令和4年5月公開の日本映画「シン・ウルトラマン」を観る。

「シン・ウルトラマン」(樋口真嗣)
架空の巨大な存在をリアル世界として表現する庵野秀明・脚本=樋口真嗣・監督コンビの「シン・ゴジラ」に次ぐ「シン」シリーズだ。今回は外星人ウルトラマンの世界だから、ゴジラ以上にリアルに徹するのは難しくSFロジックを駆使しなければならないが、一応の成功を見せた。環境破壊で禍威獣(かいじゅう)を続出させ、国家単位では角突き合わせている人類。このどうしようもない存在を、生物兵器として活用を目論む外星人や、宇宙に禍根を残さないために抹殺しようとする外星人が暗躍する。これを偵察員として「光の国」から来訪した「ウルトラマン」が、自らの命を賭して子供の命を護ろうとした無償の行為に接し、そこに人類の可能性を見て、自分を犠牲にし本星の決定に逆らい人類存続に尽力する姿が描かれる。SFとしてはさしてユニークな視点ではなく、禍特対(かとくたい)や公安に人的拡がりが乏しい弱点もあるがドラマ構築上の許容範囲で、優れた庵野脚本にSFXで形を与える樋口演出の絶妙コンビはここでも魅せた。(よかった)

 前回日記から5月16日(木)までに観た映画は次の8本。

「江南ゾンビ」「ブレット・トレイン」「シネマ歌舞伎 阿古屋」「ゴジラ−1.0」
「ディア・エヴァン・ハンセン」「トップガン マーヴェリック」
「サラリーマン目白三平 亭主のためいきの巻」「シン・ウルトラマン」

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