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2022年12月26日12:06

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20世紀の映画遺産、今年4月に本邦初公開されたシャンタル・アケルマン1974年の処女作「私、あなた、彼、彼女」の衝撃。

 後の多くの映画作家に影響を与えたと言われるベルギー出身の女性監督シャンタル・アケルマンの1974年作品「私、あなた、彼、彼女」が、今年2022年4月にヒューマントラストシネマ「シャンタル・アケルマン映画祭」で本邦初公開されたようである。これがCSのザ・シネマ「ザ・シネマメンバーズ」枠の特集で放映されたので、12月21日(水)に録画観賞した。レア映画を多く上映してくれるこの特集の存在は嬉しき限りである。

「私、あなた、彼、彼女」(シャンタル・アケルマン)
「後の多くの映画作家に影響を与えたと言われるベルギー出身の女性監督シャンタル・アケルマン」とネット紹介されていたが、不明ながら私はこの映画作家に全く無知であった。しかし、多くのことを映画について考えさせてくれた刺激的な86分であった。

 映画は約30分×3の三部構成だ。第1部は一人の女性(監督自演)が部屋から何十日も出ず、家具を動かしたり手紙を書いたり、砂糖だけを口にして過ごし、時に全裸の自分の姿をながめたりと、淡々とした行為が延々と長回しで(このタッチは全編に亘る)綴られる。

 この単調さにイライラしてくると、逆にアンディ・ウォーホル映画「SLEEP」「エンパイア」(私は短縮版しか観ていないが)に感じたような別の関心が芽生えてくる。ずっと眠る人間やエンパイアステートビルを、8〜10時間フィックスで延々と撮り続けたこの2作品を見ていると、その単調な映像の連続から、最後は「ちょっとした寝相の変化」とか「窓の灯りの点滅」とか、何の変哲も無い映像の変化に異様な興味が湧いてくるのである。映画とは飽かせないように映像変化を与え続けるものとの、既成概念が完全に覆されるのだ。

「私、あなた、彼、彼女」にも同様の映像的関心が高まってくる。外の窓に何気なく通り過ぎる通行人という第三者の登場が、極めて刺激的に観えてきたりするのだ。ウォーホル映画とも異なるもう一つの映画的魅惑もあった。モノローグが長々と続くのだが、それが行為に先行していることが、次第に判明してくる。「全裸の自分の身体を眺めた」なんてモノローグが流れると、「早く脱げ脱げ!」と卑俗で卑猥な興味をかきたてられたりするのだ。ヌード自体はボカシが入って、そんなにエロティックな物でもないが。

 これは完全に映画館鑑賞用の作品だろう。外部から遮断された劇場空間だからこそ観続けられる映画で、自宅のモニターでは時間が持たず、何分も経たずに見るのを止めてしまうと思う。ただ、私は最初の映像経験が映画館の映画である世代だから、モニターで観ていても、映画館のスクリーンにスイッチして観る慣習があり、観続けていられるのだ。

 約30分経過後に、その女性は建物の外に出る。たったそれだけで大変な解放感が出てくるから、映画感覚とは不思議なものだ。彼女はトラックを拾い、ヒッチハイクでどこかに向かうようである。

 この後、サイレント映画の趣きで、彼女と運転手が親しさを増していく描写が巧みに簡潔に綴られる。これも映像表現である映画の魅惑の原点の一つと言えよう。そして、男にスペシャルサービスをしてやる程の仲になる。これを、直接描写することなく、手コキから射精までを、男のアップのみで表現する。

 この後は、やはり男のアップで独白が延々と続く。夫婦生活のことから、果ては親類などの体験談に至るが、やはり直接描写はいっさい無い。しかし、それだけで人生という物の深味が、直接描写が無いからこそ浮き彫りになるのが映画の妙(勿論、優れた演出力あってこそなのだが)だ。

 女は、目的地の友人の家に着く。ここからが第3部、女はレズ相手だった。ここからのレズ描写が凄まじい。3カットで10分以上、ノーセリフで二人の営みがいつ果てるともなく描き尽くされる。この濡れ場が一味ちがう。従来の濡れ場は、男目線が多いせいか、優しい前戯→激しい愛撫→射精を伴う絶頂と流れていくのだが、この映画のレズシーンは永遠の如く、身体のまさぐり合い、相互愛撫がホントにいつ果てるともなく(確かに女同士の性感だとこうなるのかもしれない)、延々と続くのだ。則物的な記録に大きな意味がある映画の原点が、強烈に叩きつけられる。(ボカシがあるのが残念なんて、次元の低いことは言うまい)

 映画のリズムのあり方・想像力に働きかける間接描写・即物的映像記録の鮮烈さと、映画の魅惑(ウォーホル流のアンチシネマ的な部分も含めて)の原点を網羅しつくしたシャンタル・アケルマンに舌を巻いた。20世紀映画の(「サタンタンゴ」同様に)古典的遺産というべきだろうが、今年初公開ということならベストテンにランクしたい。(よかった。ベストテン級)

 同じ日の21日(水)に昨年2021年5月公開の外国映画「5月の花嫁学校」を自宅観賞する。

「5月の花嫁学校」(マルタン・プロヴォ)
1968年の仏”5月革命”を背景にした良妻賢母教育の花嫁学校の経営をしているジュリエット・ビノシュ主演の、コメディタッチの一篇。夫の急死・彼が賭博につぎ込んでいて経営破綻の危機・元彼との再会・生徒の一人の親が勝手に決めた婚約に反発しての自殺未遂を経て、教師も生徒も女の人権意識に目覚めるとの、ありきたりのパターンだが、良妻賢母なるものが今や「時代劇」にしか見えぬあたりが、日本と同様で興味深いところ。それにしても、動乱のパリに展示会参加に向かう途中で、突如ミュージカルタッチに豹変して女達が目覚めるのは、”5月革命”を象徴的に扱ったにせよ、楽しいといえば楽しいが、唐突感も否めない。(まあまあ)

 今年2022年4月の「シャンタル・アケルマン映画祭」で本邦初公開された「囚われの女」が、「私、あなた、彼、彼女」に続いてCSのザ・シネマ「ザ・シネマメンバーズ」枠の特集で放映されたので、12月24日(土)に録画観賞した。

「囚われの女」(シャンタル・アケルマン)
「私、あなた、彼、彼女」で映画の原点の魅惑を多彩に確認させてくれたアケルマンの、2000年作品とのことだ。今回は長回しに特徴があるとはいえ、技法的に際立った物はなく、レズ(というよりバイか)の女を愛してしまった男の悶々が、ジックリと綴られる。味わいがあると言えばあるが、私にはどうでもいい世界。こう見ると男ってヤツは、ストーカー的に女の行動を追い廻したり、愛する女同士との関係はどうなのかと徹底的に探りを入れたり、些細な嘘を問い詰めたり、別れ話を切り出すも未練が残らないように2度と会わないようにしようと未練がましく言い出したり、やっぱり別れるのはよそうと優柔不断になったり、ホントに女々しいなと思わせる。それが結構、男としての自分の感性にピッタリくるあたりが辛い。それに対して、女は男との関係も女との関係も自然体で受け入れ、男との関係をよりよくするならちいさな嘘も戸惑わないとか、実におおらかだ。これが、女流監督の目線と思うと、興味深い部分も無いでは無いが、まあ私にとってはどうでもいい感じだ。(あまりよくなかった)

 前作と同じ流れで続いて12月24日(土)今年2022年4月に本邦初公開されたアケルマンの2011年作品「オルメイヤーの阿房宮」を観る。

「オルメイヤーの阿房宮」(シャンタル・アケルマン)
本作も長回しが目立つので、これがアケルマンの個性と見た。マレーで金鉱の利権狙いで、愛情なく現地人妻を娶り、でも娘は溺愛して白人教育を施すが、娘は反発して現地の男と恋に落ちる。何もかもが愚かな男・父親にしか見えず、前に観た「囚われの女」以上に私には関心外の世界のせいか、今回は長回しも効果的と思えず、思わせぶりにしか観えなかった。男の愚かさを凝視するのがアケルマンのテーマなのだろうか。(あまりよくなかった)

 これでアケルマン映画を3本観た。処女作「私、あなた、彼、彼女」の衝撃で大期待したのだが、後2本はどうにもパッとしなかった。今回のザ・シネマ放映特集で「アンナの出会い」だけ録画し損なったが、ま、機会があったらチェックしてとりあえず録画観賞してみるか。

 前回日記から12月25日(日)までに観た自宅観賞作品は次の9本。

「スパイ・レジェンド」「どてらい男」「私、あなた、彼、彼女」「5月の花嫁学校」
「無気味なものの肌に触れる」「血とダイヤモンド」「囚われの女」
「オルメイヤーの阿房宮」「エンドレス・ウォー」

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