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2021年10月28日09:49

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川俣シルクはすごかった!

江戸末期から明治時代にかけて、日本の田舎では養蚕が盛んに行われた。福島県では現在の川俣町から二本松市にかけての盆地の西斜面が湿度を保つ敵地で、大きな養蚕農家があちこちに現存している。それでも妻の実家がある群馬県に比べれば、立派な民家が多いわけではない。

つい最近、約10年ぶりに川俣町を取材したのだが、川俣シルクの機織りは細々と受け継がれていた。この地域で江戸末期から盛んになったのは薄い絹織物「軽目羽二重」の生産で、国内の高級着物の裏地に留まらず、スカーフやシルクハットなどの材料として大量の輸出されていた。横浜港と川俣を結ぶため、大正から昭和にかけて東北本線の松川駅まで鉄道が引かれたほど。どれだけの川俣シルクが世界へ売られていったのか、想像すらできない。

朝ドラ「エール」でのちに大作曲家となる古関裕而が勤めた川俣銀行が登場したが、実は川俣町は仙台よりも先に東北初の日銀の店舗も置かれた地域。東北の金融の中心になったほどなのだ。今の川俣は軍鶏のほうが有名だが、これも裕福な人々の間で闘鶏用として飼われていたのがルーツ。川俣の歴史を辿っていくと、ほとんどがシルクにたどり着く。現代に活かされていない部分はあるものの、偉大な文化遺産を持った町であることは間違いない。

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