mixiユーザー(id:2223977)

2021年03月11日23:59

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京都魔界脱出作戦

脱出可能なのだろうか?

詳しいことは書けない
(なぜなら、住んでいる人にとっては
 京都は憧れの地だからだ。)
けれども

次々に起きる
不思議な現象。

単なる偶然とは思えなくなった
ので
脱出することにしたのだけれども

魔界の闇に
飲み込まれてしまって
脱出する前に
息絶えてしまうかもしれない。

魔界は何も
不吉な現象ばかりではない。

何気(なにげ)ない
トラブルや

自分自身の感情の
変化も

いつもと
様子(ようす)が
違ってくるのだ。

いつもなら
仲良しであるはずの二人が
急に喧嘩別れしたり

日常が
非日常化する。

魔界は
魔界と気づかれないままに
人々を飲み込んでゆく。

最初は
妻の原因不明な
不定愁訴
(あるいは
 alexithymia=アレキシサイミア
 =自らの感情を自覚・認知したり表現することが不得意で、
  空想力・想像力に欠ける傾向のこと。
 =感情を認知することの障害)
から始まった。

原因を
いろいろなお医者さまに
検査してもらうのだけれども
ことごとく
「異常なし」
または
「直ちに処置しなければならないほどではない」。

妻の不調は
ごくごく当たり前の
更年期障害か
シックハウス症候群か
アレルギーか
胃腸障害
くらいに思っていた。

そのうち
私には
認知症様の症状が
出始めた。

もともと私は
発達症(発達障害)的なところが
多々あるので
その延長線上の症状かと
最初は思ったけれども

物忘れや
勘違いが
ひどくなってきて

「これはただごとではない」

と直観した。

魔界に気づくか
気づかないかは

「直観」次第(しだい)だ。

「偶然だ」
と考えれば
偶然で終わる。

「偶然ではない」
という直観だけが
魔界の存在を感知する。

魔界は
さまざまな不幸や
事故や
病気や
災害を
齎(もたら)す。

昔はそれを
「祟(たた)り」だと
呼んでいた。

でも
その「祟り」を
解決する方法を
持たなかった。

私は哲人として
「学力とは現実問題解決力であり
 現実問題を解決に導く判断をして行為して
 人を幸せにできることが学力だ」
と日頃から思っているので

祟りを祟りでは
済ませない。

祟りであろうと
魔界であろうと

そこから
抜け出てこそ
哲人だと
私は思う。

☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

そういえば
私に2019年度に
降って湧いた
(突然生じた)
「パワハラ」問題も

魔界の為せる仕業の
一つなのかもしれない。

先日
突如現れた
クラクション野郎も
魔界の為せる悪行の一つ
なのかもしれない。

いずれにしても
感情を乱す暴力を
私に被(こうむ)らせ

私を
怒りに支配させようと
仕向けてくる。

そういった
「倫理を逸脱する行為」
に対して
正義感を出し過ぎて
「自粛警察」のような行為に
私が出たとすれば

魔界の
「思う壺」
だ。

「倫理を逸脱する行為」

「やってはならない行為」
なので
注意してしかるべきであり
注意しなければ
悪行は正されない。

けれども
なんのために
「警察権力」
というものがあるのか。

一般人には
「人を裁(さば)いたり
 (これは裁判所の権利)
 人を逮捕したり
 (これは警察の権利)」
する権利は
無い。

腹が立っても
裁判所でないのだから
「判決」は下(くだ)せない。
(個人が下す「お前が悪い」は
 単に「個人の意見」に過ぎず
 公平性を欠く。
 裁判所の判決のみが
 判断の公平性を保証された判断であり
 裁判所の判決のみが
 判断の結果である罪に応じた刑罰の執行力を持つ。)

腹が立っても
裁判をするなり
警察や公的機関に
訴えるなりして

判断は裁判所に委(ゆだ)ね
執行は警察や行政に委ねなければならない。

私刑(lynching、lynch=リンチ)を
執行することは
却って自らの犯行となる。

☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆     ☆

人間だから
腹が立つのは
仕方がない。
(腹が立たない人も居るのかもしれないけれども
 何事にも腹が立たなさ過ぎるのは
 悪人のやりたい放題を助長するだけだから
 褒められた態度かもしれないけれども
 何か物足らなさが残る。)

問題は
腹が立った時の
対処方法だ。

すぐに暴言を吐いたり
すぐに手を出したり
するのは
悪行だ。

最も正しく
誰にも責められない
対処法は

自分が傷ついた事案を
しかるべきところへ持ち込んで
利害関係のない
公平な第三者(第三機関)の判断と執行に
自らの意見と行為を
委ねる
という方法だろう。

自分で考えて
自分で行動すると
どこまで自信があっても
「個人的な感情で行為した」
という評価しか
得られない。

パワハラ問題は
自分一人だけで判断して行為する前に
学内のハラスメント相談窓口や
学外の公的な相談窓口へ
行って
担当者(利害関係のない公平な判断が可能な第三者)と
相談して

その上で
対処の仕方を決めるのであれば

誰も反対しないだろうし
それは問題行動ではない
(ハラスメント問題に対する適切な処置方法だと言えるだろう)。

クラクション野郎の問題も
ハラスメント問題だが
これは腹が立っても
車で逃げられるので
(うまくナンバーの写真を撮れれば良いが)

結局は
クラクションを鳴らされた方の
泣き寝入りになる場合が
ほとんどだ。

ハラスメントは
(立場の優位な者や
 権力の優位な者からの
 弱者へのハラスメント(いじめ、虐待)は)
そういうケースが
ほとんどだ。

傷付けられた方(ほう)は
その傷を
癒(い)えないままに
一生抱えることになる。

悲しい問題だ。

けれども
そういう問題に
応(こた)えられなければ

本物の哲人ではない
と思っている。

いじめや
暴力行為
に対する
対処法

「究極の答え」

なければならない。

その解決法(答え)を
自分自身で見つけて
自分自身に適用したい。

それが私の
モノの見方・考え方
行動の仕方
であり
私の「哲学」だ。

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最終更新
令和3(2021)年3月12日 午前7時37分
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