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2020年03月17日20:33

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祥子分

祥子 あんたはどこかな? はぁザクセンか、ザクセンかな、そうかなァ、ニーダーザクセン人はこのあたりへはえっときておった。ザクセン人は昔からよう稼いだもんじゃ。このあたりへは木挽や大工で働きに来ておった。大工は腕利きで、みなええ仕事をしておった。
(ここはルーマニアの山中、バリネシュティ村。この老人の住居はまったくの乞食小屋である。天井もむしろで張ってある。天井の上は橋。つまり橋の下に小屋掛しているのである)
あんたもよっぱど酔狂者じゃ。八十にもなってのう、八十じじいの話をききたいといってやって来る人にあうとは思わだった。わしは八十年何もしておらん。人をだますことと、おなごをかまう事ですぎてしもうた。
河原の石ころのことくらいはなせるだろうといいなさるか? 石ころか…。もうたいがい見飽きたがのう。
そう。ある時の、日本のある美術家のセンセイからこのスチャヴァの田舎くんだりまで、書留で「石」が送られてきた。そうさなこぶしほどの石を、細い針金でくくって荷札をつけて。別段特殊な石には見えなんだ、そこのシレト川の河原にもいくらもありそうなごろた石じゃった。が、わざわざ送ってくれたもんじゃ、わしゃ否応なしにそいつをまざまざ見渡したり、送り主の意図をいろいろ思いめぐらすことになった。じゃが結局のところそいつはどこまでもただの石ころで、ただ送り主の観念の凝固物としてだけ、ほかの石から切り分けられておったことに気づいたのよ。ほうしての――、これはどうも、よくないことじゃあないかと思ったことでな。
話に聞けばそのタカマツジロウという美術家は、日本の多摩川の、川辺に無数にころがっている石の世界に入りこみ、石ころに定められた数字をペンキで書き標していたそうじゃ。そうやって番号を振られると、石は石ほんらいの姿や表情を抑えられて、なんや整頓された「数字」の顔になる。考えてみんさい。河原には無数の石、そして無数の人もおるじゃろ。そのお人らはどれも、あんたも、あんたも、生活を負った具体的なお人じゃ。人に番号は振り切れんよ。国民番号? あっは! わしはとうに登録からこぼたれ落ちた爺いじゃて、そうさの配給所の待ち合い札のほかに番号なんぞとは縁がないがの。じゃがそれが人の本来ぞね。こうして午後の河原に立てば、誰が誰やら、たそがれかはたれ、人の数だけ小っさな歴史があろうじゃないかえ。たかが小石といいなさるな。たかが小石に番号を振れば、やがてその社会は、たかが庶民に番号を振るのじゃ。おう、そうじゃ。どうですい、足元の石を拾ってごらんなされ。どうぞ皆さん。なあ、冷たいかえ、あったかいかえ。ちょっとこうほこりを払ってな、どう、ほっぺたに当ててごらんせえ。どうじゃ、あんたは謂わば今、その石じゃ。その石をまじまじ見て、もしじゃよ、そこに番号が振られていたらどうですい。どうもイヤァな気がしましょうがな。あんた方がこのあとそれぞれの家に帰る幸せ、それはあんた方のだいじなもんじゃ。ならば河原の石も河原に帰るのが幸せじゃろうて。うん? そうか、時の流れ、時の流れに身を投じるなら、あんた、その石、このシレトに投げ込んでみましょうかいの。よろしいかな? 構えて。わしも投げる。わしゃあ河原の河原もんじゃあ! よいか、いっせのせで投げますぞ。いっせの、せ!
(川に入っていき)こうやっての、もしかしたら今わしらは、わしらと石とが入れ替わって、この川をくだる歴史にも、身を置いたのかも知れん。うん。夢じゃ! じんせい八十年、うかうか生きて何もかもなくしたが、わしらなぞ時の浅瀬に寄りついた流れ木くらいのもの、のう、あんた、わしゃあちょっと彼岸にいってみたくなった。橋の下のむしろがけ、そんな暮らしも悪くはないが、ふだらくじょうど、よろぉりぃ、よろりぃとぉ、こぉぎぃいいだぁしぃ、きかみたけびぃてえ、あしずりのぉ、ちりりぃちりりぃとおちゆぅけぇばぁ、あしとぉ、こいしぃのぉ、むこうぎぃしぃ。ちぬもぉ、うないもぉ、ともづれのぉ、ゆくえぇしられぇぬぅ、さんどぉがぁさぁ、とくらあ。(ザブザブと遠ざかる)
さや 祥子さぁーーーん!
祥子 ああ?(遠い)
司馬懿 魏王(との)! なぜあなたは、玉座につこうとなさらぬのですか?
曹操 万民から愛おしまれる存在に祭り上げられながら、社稷を祭る祭祀をすっぽかしては四海をうろつき、野に草をかじり、市にて猪を捌く。名もなき人に交じっては酒を酌み、箸で皿を打ち音曲を奏で、気の赴くままいたる所に現れては、ただ心情のままに言葉を放つ。そんな天子を戴いてみろ。天下万民は不安のどん底だ。それとも司馬懿。
司馬懿 (ごくッ…)
曹操 俺が人間であることを、誰かがやめさせると言うのか?! ハハハハハ!(去る)

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