岩田健太郎氏の動画が、あれこれ物議をかもしている。
俺があの動画をみて1時間後に削除されてしまって、びっくりした。ご自身で削除したと記者会見を開いていたようだけど、圧力があったかどうか、そのあたりはわからない。
その後、岩田氏がクルーズ船に乗る際に協力した人の反論というのも、高山氏という人だったっけ、読んだ。
こちらの反論というのも、冷静で岩田氏の言葉を頭から否定するのではなく、論理的にちがう立場から述べられていた。
もちろん、どちらの意見についても、いくらでも反論の余地はあるのだろう。俺にはわからないけど。
でも議論というのは本来、反論の余地があるというものであるはずだ。
感情的に否定したり、相手の人格まで否定するものではないと思う。
それじゃ反論ではなく、お互いに否定しかしようがなくなるから。
議論していくことには、体力というかエネルギーというか、根気というか、いわば知的体力が必要なのだ。
一日でけっこうまとまった文章を、それも俺のような素人が読んで理解できるくらいわかりやすく出してきた高山氏という人も、知的体力が高いのだろうなと思った。彼の方にもいろんな圧力があるだろうに。
対して、それ以外のツイッターとかで炎上している類の意見には、正直それが感じられない。のっかって、イジメているだけのようなものも多々ある。
ああいうのは見たくないし、読まない。でもそういうところに近づきたくなくて、議論そのものから目をそらすのもまずいだろうなぁ、それがねらいかもしんないし、なんてことも考えてしまう。
少し前に流行って、今は流行りではなく時代の個性になってしまったかもしれない反知性主義という言葉もあった。
冷静な議論って、その下地になる知識や教養、論理、冷静さなどなどいろんなものが必要でめんどくさい面もある。とはいえ、さまざまな立場があり、さまざまな利害もあるなかでは、そうした労を厭うては何も進まない。
知的体力をつけないとなぁ。
俺がここでこういう日記を書いているのも、知的筋トレなのかもしれない。
過疎化進んだmixiなら、多少すべったこと書いても炎上してイジメられるなんてないだろうしね。
ログインしてコメントを確認・投稿する