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2019年03月17日00:57

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Roland FP-10 に想う

母が亡くなる前日に
母のために甥がグランドピアノで
3曲演奏してくれたことを契機に

4歳くらいの頃に
芦屋でピアノを習っていた記憶が蘇り
母のために大阪の家を処分する時に一緒に処分せざるを得なかったピアノの代わりに
Roland FP-10 を買って
Sharp 1-Bit Digital System SD-NX20 へ
ヘッドフォン端子から外部スピーカー出力として繋いで
SD-NX20 のスピーカーから FP-10 内蔵のスーパーナチュラル・ピアノ音源を聴く
と共に
ヘッドフォン(Roland RH-A30)で聴く時には
SD-NX20 をヘッドフォン・アンプ代わりにする
という機材構成で
FP-10 の持つポテンシャルを
FP-10 本体だけでは十分に発揮しきれていないのを
少しでも補って聴いている。

フォト

それで
2006年頃から
2008年頃の
内省的な趣のある新たな潮流の中にあって
小瀬村 晶さんの代表曲となった Light Dance を練習するうちに

小さな頃に
ピアノに触れさせてくれた父母に感謝する
と同時に
どうして父は私にスパルタ教育をして
私がピアノを続ける気持ちを奪ってしまったのだろうかと
父の教育方法に疑問を抱いた。

また
母を亡くした悲しみは未だ癒えないけれども
母が死のみを考えて生きたことと
父が生のみを考えて生きたこととを
合わせて考える時に
その両方が大事なのだと
改めて痛感する。

先日(2019年3月13日)
京都大学大学院教育学研究科の
追い出しコンパ(修士修了生3人)で
私の指導教官
(東北大学と大学院で修士課程まで文学部と文学研究科で哲学を専攻して
 それから京都大学大学院の臨床教育学専攻の修士課程に入り直して
 博士課程から博士号を取得して
 京都大学教育学部教育学講座の准教授に就任)
と話すうちに
ドイツへ先ごろ研修出張された時の話の中で
「ドイツ語や英語には日本語の甘えという言葉が無い」
ということを聞き
自分が社会不適応なのは
「甘え」ではないかということに
興味を持った。

私はそもそも
土居健郎の『甘えの構造』を
敵視していた。

「甘えるな」という言葉を
私は暴力あるいはハラスメントだと
受け止めていたからだ。

けれども
ドイツ人が
日本人に特有の「甘え」に興味を持って
ドイツ人には理解できない「甘え」を
真剣に研究していることに
つまり
真剣な研究対象として「甘え」という概念は
捉えられているということに
興味を持った。

私の社会不適応の原因が
「甘え」
だとしたら
その「甘え」の構造を論述した
土居健郎の『「甘え」の構造』は
私の社会不適応を治療する方法論として
研究する価値があると言えるかもしれない。

その指導教官によると
『甘えの構造』のドイツ語訳は
『Amae - Freiheit in Geborgenheit:
 Zur Struktur japanischer Psyche』
だが
これはかなりの意訳で
もともとドイツ語で日本語の「甘え」に相当する言葉が無いが故の
試訳だということだった。

フォト

ではなぜ
ドイツ人には「甘え」が存在し得ないのか
どうして日本人には「甘え」が存在してしまうのか。

ただ
私の「甘え」は
日本人に特有の精神構造としての「甘え」の域を
完全に越えている。

なぜならば
59歳まで
まともに働いたことがなく
60歳になってもらおうとしている
年金でさえ
「そんなの払う必要がない」とかけないまま過(すご)して来て
とうとう母が見かねて
いつのまにか平成7(1995)年2月から
掛け続けてくれていたお陰で
60歳になって年金をもらえるのだが
それは年金暮らしだった母が私のためにかけたからもらえる
のであって
私がかけたのではない。

そんな事態を「甘え」という言葉で片付けられるだろうか。
もっと「病的なもの」ではないだろうか。

普通の日本人だったら
「59歳まで働かず、年金を年金暮らしの母にかけさせる」ことなど
精神的に辛くて出来ないはずだ。

にもかかわらず
私は平気なのだ。

これを病気(異常)
と言わずして
何を病気だと言うのだろうか。

いずれにしても
私の社会不適応を治す方法が
見出されなければならないのだけれども
そのことに気づいている人間は
世界で私一人しかいない
(私の主治医も気づかない)。

だから私は
私の社会不適応を治せる方法を求めて
学位論文を書くのだ。

私の学位は
私が社会に適応できる道を求めて書くのであって
私が社会に適応できなければ
学位を取得しても無意味なのだ。

逆に
私が私を社会に適応させ得る方法を
私が見いだすことができたのであれば
学位を取得できなくても
それで良しとすべきなのだ。

学位が目的なのではなく
私の病気を私が治す事が
最優先事項なのだ。

妻が病気になった時
私は妻の主治医になろうと思った。

母が病気になった時
私は母の主治医になろうと思った。

そして今
私は私の主治医にならなければならなくなった。

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最終更新
平成31(2019)年3月17日 午前5時58分
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