mixiユーザー(id:8729247)

2019年03月08日09:00

528 view

本人が透析したいって言ったのに

この事件の一番の問題は
「透析中止を決めたのは確かに本人」
だが、その後「こんなに苦しいなら透析しようかな」と言っていたのに

「医師は透析再開をせず死なせた」

ことだと思う。

人間が自分の人生を左右するような選択肢の前で迷うのは当たり前だ。
透析が苦しい治療であることは知っている、医者だから。
ただ、透析を行わないで尿毒症で死亡するのはとてつもなく苦しい。
たくさんの持病をかかえてどうせあと数年しか生きられない、
じゃあ透析しないで早く死なせて、とかいう話は
ドラマだの映画だのには出てくるかもしれないが、
その結果の死は美しくもなければ周囲は「救われた」とも思わない。

この患者さんだって、実際に透析せずに苦しくなったとき
「こんなに苦しい」とはじめて実感し、これなら透析してたほうがいい、と
はじめて自分で思った可能性がある。
透析を始めるそのときは「しないと死にます」みたいな
有無を言わせない始め方かもしれないけど、
やめたらどうなるか、はやはり体験するかそうなった人を目で見ないとわからない。
医師が自殺ほう助をすることが法律的に許される外国もあるけれど、
そういう国でもぎりぎりまで本人が「やっぱり死にたくない」という権利がある。
言えばきちんとした治療がなされる、間に合わなかったとしても。

もうひとつの問題は、患者にとって一番近しい存在であろう

「夫が手術で入院している間に患者が亡くなった」

ことだと思う。
夫の携帯に「くるしいたすけて」とも読めるメールが入っていたのが
非常に気の毒だ。
どうしようもなく病気が悪化して亡くなる患者さんがいるとき、
われわれ医療者は家族に連絡する、夜中でも年末でも。
そういうときのために「非常時連絡先」のリストはあらかじめご家族に用意してもらう。
人にもよるかもしれないが、もし死ぬなら
親しい人や家族に囲まれてお礼を言ったり謝ったりしてから死にたい。
そう思う人は多いんじゃないのか?
医師も、透析をやめてからいつまでに死ぬかなんて本当に正確には予測できないが、
少なくても「だんなさまが手術から戻ってからもう一度治療中止について話し合い」を
するという方向にもっていくことは可能だったと思う。
もしこれに対して
「患者本人の治療をしているんだから家族の病気なんかしったこっちゃない」とか
いうようならそそれだけで医療者失格だ。
人間がひとりでは生きていけない、だから医療者がいるんだから、
家族だって当然、治療チームの一員なのだ。
チームのメンバーはロボットでないのだし、家族は一番大事なメンバーだから、
家族の状態を把握しておくことは医療者の義務ですらある。
特に、命に関わる選択をしなくちゃならないときは。



透析中止「判断迫るのは酷」
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=2&from=diary&id=5528567
53 7

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年03月>
     12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930
31      

最近の日記

もっと見る