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2018年11月21日21:13

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プレイヤーが持ってくる物語の種を

シナリオという物語に「する」(現場でね)、という行いが
参加者にとってどう捉えられるかなみたいな。

もっと絞ると「PCのヒロイン化問題」なんだけど、話を広くしないと議論する話にならない気がする


多分結構デリケートというか
あまり言葉に取り沙汰すと地雷感あるんだけど
あえてちょっと話題にしてみる。


土曜日はBoAR,ハルク氏GM。だってそのPCの立ち位置原作でもヒロインだもんねの巻。


お話そのものは、
GMが昔ーしTRPGキャリア半年みたいな頃にやった
アスクレピオス(ジャンプ漫画のやつ)ネタのセルフカバー。

昔のシナリオやりたくないなんて彼言うけど、

「新作」するのが基本的に苦手なところもあり
旧作回しなおして、実プレイのハードル下げて
いろんな苦手意識を下げていくのは必要だと思うのだけれど……ねえ。

さて、
アスクレピオスですので、
キリスト教社会をモデルとしたBoAにおいての
「外科医療」というのが人命救助とタブーの綱渡りをしなきゃいけないという部分がテーマで、
これをやる「お医者」「助けてほしい患者」「責め立てたい異端審問官」で挟んで
NPC3人、
これの関係者をPCで3人、やっていくわけですが


話の中心をNPCがやっているようでいて、
実に「こうした異常事態下にいる連中」によって「それ以外の人間がどう生き方を変えられてしまうか」程度の強いかかわりがあり、
そこそこに縛りが強い。

中でも原作でヒロイン格であったと思しい
「技術職を継ぐ医者一族を、守る一族」の人で
主家が時代に合わない異端技術を用いるもので、それまでの時代とは「守る」意義が変化して来ており
ありていに言って「異端をやめない主家を守って自分の父が死んだ」、半ば父を主家に殺されたような立場を継ぐところから始まる立ち位置があり、


ここにPCがあてがわれるんですが、
原作からして
主家の技術の正当性を、親子感情・社会善・救助欲求などをかなり混同した目線で測っていきつつ、
その葛藤の解消とともに自身の仕事の意味を知っていくようなヒロインが入っていたようなところで、

どう拗らせるかがPLの腕の見せ所です。


そこへ入るのが梨華さん。
勝てねえぞ!


GMのハンドアウトがかなり恣意的だったこともあり
多分嗅覚が働いたと思うんですが、
「主家が意地を張って異端技術を捨てなかったため、父を殺された」
「主家の青年は、生かすに値しないと思ったのなら、いつでもお前の手で自分を殺せと出会ったときに言ってきた」

というスタートから、
「護衛どころか治療助手までやろうとするが、自主的なモチベーションとしては”患者を助ける”気はなく、主家だけをかなり選択的に守ろうとする(危機が起きた時も、わざわざ他の人間は”助けない”)」
「助けた相手が異端の一味と思われない様、治療以外の患者とのかかわりを拒否するのだが、”助けられたら礼を言う”という当たり前の態度をいっそかなり感情的に嫌がる」


という感じのムーブに入っていきます。

それは、だんだんと「自分のしている仕事には価値がない」という無力感の吐露になっていくのですが……


これ、多分PLはほぼ自キャラの読み解きなしに「センスで作成したこじらせ感情」を痙攣的に運用している状態だと思われます。


これ、誰かがほどかないと、
「主家のお医者の仕事を身近な人が評価する話」にもちろんなりませんし、

しかし逆に、こういうのゼロで「まあいいんじゃない人助けてんだから」みたいなフワフワっとした進行してハイオシマイじゃ余りにもったいない。

というわけで「PCの葛藤」を「他の誰かがヒロインとして読み解きクリアする」、という行為が必要になります。



さて、
これを誰がやる?というのが
センシティブ。


決め打ちならば、オーソドックスなのは3パターン。
「そういうハンドアウト」だったのなら、「女房役のNPC」。つまりGMです。

そのPCが葛藤する役のシナリオなら、「シナリオ」が彼を救う可能性も高い。そういうシーンがあって、決断を迫られるでしょう。

あるいは、登場人物構造として、因縁やコネ、パスを結んだ「隣接PC」.


そうでない場合は?

そうでない場合は、そいつを助けたい、読み解きたいと思った誰かがやるでしょう。誰でもいい。

――とはいかない!!


ひどい場合。
本当にひどいことになった場合、

これがもし誰もいなかったら、
誰もやりたくも無かったら、
「自分で選んだハンドアウトでもない相手を救う作業なんてやりたくなかった」ら、

そこで葛藤しているキャラクターは救われないだけではなく、

「救われなかったこと」を演出するシーンすらただの邪魔となるか、
或いは「誰も救おうとも思わなかったものが勝手に落ちた」ことを嘲笑されるためのシーンが起きるかみたいな有様になります。


もっと行くと、
そういう連中にあてつけるために、デメリットやペナルティを撒くような「堕ち」かたをする羽目にすらなるでしょう。


あるいは、データ的なそういうものを「遺さない」というマナーのために、「後味だけ」どうにかして悪くしよう、とかね。



極端に悪い事態の一例ですが、
そんなに非現実的でもないと思います。



……じゃあ、
ハンドアウト制じゃない時代の悲劇のヒロインは、同じ立場だったのじゃないか、って?


実際そうです。
「面倒ごとに巻き込んでくる」相手としてPLが認知し、
比喩や冗談でなく「敵視」される、忌避されるヒロイン群というのが話題になることは珍しくなかった。


そういうものを、「助けるシナリオ」だから、「誰か助けないと」いけないので、「助けたい人が助ける」。

ここを、
「やって当然」と思うPC、PLおりますし、
そういうのを「任せられる」タイプの人がいて、PC1気質だなんていわれることもありますが、


なんにせよ、
ここ必ずフワフワするんですよね!


やっても良い、やらなきゃいけない、やりたい、やりたくもない、
その間をフワフワとする。
決めうちで決まったりはしない。


それでもって、
そこをテクニカルに、あるいは意識レベルで解決する方法はもちろんあり、
それは非常に「基本的な」やり取りによってでき、
そのやり取りがまた危険なために、「基礎だから」という言い訳を用いることによってそこを円滑にしている、
みたいな部分はあります。

飛ばそうと思ったけど言及しないわけにはいかないか。

つまり、「コンセンサスを取る」という作業です。
あらゆるドラマ系TRPGの様々な場において採られる作業なので、「こういう場面に効果がある」という語られ方はあまりしないですが、


「今回はこういう形で、救われてないキャラをやりたいです」
「救いが無かったらこうなるかなと思います」
といった「キャラ紹介」、

「今回はこういうシナリオで、PC1に絶望してもらいます」
「彼は救われるのか!」
「NPCからのアプローチはないです」
といった「シナリオ紹介」、

これはキャラ救済に関わらず、「自分はこんなことをしますよ」というコンセンサスを取る作業なので、他の多くの作業効果の一つにすぎず、埋もれるんですが、
こういう「〇〇してほしい」という明確なサインというのはやはり有用で、
それならばと名乗りを上げる人、自分がやろうと腹を決める人、出やすくはなります。

でも私、そこそこいろんな人と長期間セッションしてますけど、
一人しか知らないんです(ちなみに駄氏です)。
そのぐらいいない。
優れたプレイヤーはたくさんいるけど、
技術的に、はっきり意識してこれをやってるところを見たことあるのはホントに一人だけ。


他は、おそらく三つの理由をないまぜに隠して、その手の行動に出ません。
私自身も。

一つ、
「宣言までして誰も助けてくれなかったら」という、単純な告白恐怖勢。
実際、「それは自分でどうにかしたら」「それはこっちは知らないよ」という対応は多く、単なる怯懦ではなく、良し悪し含めて真っ当な理由です。

一つ、
「要救助枠のキャラがいて、”そういうキャラのいる物語”に参加しているんだから、何も言わなくても全員にやる義務がある」とくくる、やって当然だ勢。
前述の「サイン」を織り交ぜてはきますが、テクニカルにではなく総合的な作業の一部としてしかやらず、自信があるならこれが一番なんですが、他者に与える難易度も高いです。

一つ、
「自分はそういう人助けたいと全く思わないので、仮に結果論としてそういうキャラ性に走りそうになっちゃっても、単に恥だから誰にも言わない」という、そもそも救助行動をTRPGでやりたくない勢。
これはそれぞれの好みももちろんありますが、「今回はそぐわない」という場合場合の判断もあります。


場合とその人のタイプによって割合は変わりますが、
まあだいたいこんな感じで「物語として助けてほしい」は口にされません。
そして、
口にされなくても7割くらいの確率で助かることが多い。

しかし、
助からない3割というのが、数字として結構多い……!!


ええと、
閑話と言うほどじゃないんだけど
もっていきたい方向に話を戻していこう。



これ特殊な事案かっつうと、フワフワしてるだけあってかなり普遍性があります。


「面倒ごとに手を出す」こと自体が「ゲーム」として成立している、
「TRPGのシナリオに挑む」PCを作成している時点で、
「面倒ごとに手を出してしまうような精神性」のキャラクターを皆作成するわけですが、

何らかの悲劇的な過去によってその選択をするようになってしまったキャラクターは大変ザラで、

それをいまだに解決できていないですというキャラも大変ザラです。


……これを、逆に言わないまでもはっきり嫌っていて、「何でそのキャラがこのハンドアウトに?」というくらいなにも背負ってないPCを用意するPLもまたいます。
出来ないかもしれないドラマは最初から遠ざけるような。



この「PC設定」が、ある種の「PCのヒロイン化」に対して、
是なり否なり強力な関係を持っていることは間違いないんですが、

これ本当にセンシティブなので、ここまでくると本当に口には出されません。
「自分と違うプレイスタイルに対する好悪を直接言う」ことになるからです。
言う人がいたって治せないばかりか、単に「一番の楽しみ」を奪ってTRPGやるなという宣言になりかねず、
これはもう、「異なるプレイスタイル同士がお互いに一定量我慢しあう」というモラルレベルで解決するということになりがち。
フワフワやるしかない。
フワフワやるのがあらゆる場合において次善策になるでしょう。




さて、その次善策レベルにおいて、
これがTRPGとして半ば「絶対に起きる」というゲーム的コンフリクトであるとして、


先にも書きましたが、「ハンドアウトがない時代に出てくる悲劇的ヒロイン」と大差ありません。

じゃあ、「助けなくていいのか」?


それがヒロインなら、「それを助けるという困難」に挑んで、「クリアする」のが、行ってみればTRPGの「ゲーム」部分ではあるわけです。
場合によっては、はねつけていいのもまたTRPGですが、
「全面的にただやろうとしない」という選択が、ゲームに挑んでいると言えるだろうか、というマナー論はやはり存在する。


これを、ヒロイン化傾向にあるPCに当てはめた時、
彼は「ゲームを提供している」ことになりもするわけです。

やりたくもない余計なゲーム増やされて……という人は枚挙にいとまがないでしょうが
それはNPCヒロインと比べてゲーム的ボーダーが上下するだけであり、
フワフワの範疇なのですが、それも含めて、


最近のゲームでは、これをやるべしとルールブックに暗に書いてあるような文言が存在します。

「物語を全員で作る」。

FEARゲーやなんかの最終目標のように言われますが、
これほどふわふわしている文言もない。


これに輪郭を与える行為が、
「PLによる物語の追加サジェスチョン」であり、

「GMが考えただけの話」の枠を超えた物語の「追加作成」作業をPLが負っているという部分でもあり、


邪魔にもなり、醍醐味にもなる、
「腫物」の部分だとは思われるのです。


この「腫物」を、ただ食いつくのでなく、ただ忌避するのでなく、

「それを有効に使って、”物語”を調理するために消費する」、
というゲームが、
一応、全員に与えられている。

NPCヒロインでも、ヒロインPCでも、
別にヒロイン的じゃなくても、「物語の材料」を「GM以外が用意」してきたときに、
それを全員で調理して「物語にする」というゲーム。

本当にどうしようもなく橋にも棒にもかからない材料は「捨てる」勇気も要りますが、それはゲーム開始前の釘差しでされることでしょう。「君のキャラクターは活躍できないかもしれないよ」「君のやりたいことができるわけじゃないかもしれないよ」。


ただ、本当に橋にも棒にもかからないか、を判断するボーダーがまた当然フワフワしているのです。
これを蹴りすぎる人は、その人が近い立場のPCや、なんならGMとして出すNPCヒロインの救助を、自他ともにネガティブにとらえる羽目になりますし、
「そうしたものを助けてもらえる場」を保持するために、自分はそうしたものを少なくとも蹴ったりはしない、とフワっと肯定する場合も多い。
フワっとしているので実際手を出すかどうかは別問題だったりね。



でもでも、
それでも、

この「次善策」として出てきた「否定はされない程度の」、「既に参加をしている」ヒロイン化PC,

これを助けて「物語に加える」、
この難度行為を「ゲーム」と呼ぶことは、


「全員で物語を作ることに挑む」ということが明記されているゲームであれば、
「やる」「やらない」じゃなくて
ほんとに「挑む」ものとして捉えていいんじゃないかと思うし、


「そういうのを助けるキャラだからやる」
「物語的に不自然だからやらない」
というような単なる2択でなく、


「そういうのを助けないキャラで、どうやってこいつが助かる方法を作る?」
「こいつの助かるシーンを、物語の自然さを保った形でどうやって入れる?」
というゲームとして捉える。

これ、

NPCヒロインにはやっているはずです。


なんというか、

「やりたくてやっているはずです」。


これを見事にGMにやらせるPLがおり、
以前その現場を見てうなったものです。
「このPC1が助かるシーンが無かったら、クリアに向かわないよ」と公言して、

その時、おそらく「GMがPCをクリアする」という行為自体に思考が追い付かず(その時のGM若かったですから)、
GMがフリーズを起こすみたいなことがありましたが、

「全くシナリオを壊さず」「たった1シーンだけを追加して」「PC1のモチベーションを完全に確保する」クリア方法を誰の眼にもわかるように提示していたあれはすごかった。
(お懐かしい、悠氏のエンゼルギアでの手管です。
「ヒロイン化PC」というもの自体をどう処理するか、もっと表ざたに議論される種になってよかったゲームだと思う)



で、
私、これ挑んでしまうんです。挑みたい。
これはもう好き嫌いの問題。
物語としての好悪もそうですが、「そういうゲーム」に挑む、ということがね。

結局、この土曜日のシナリオでは挑んでしまいました。
女房役のNPCも、若いがゆえにヒロインPCに
それこそはれ物に触るような態度を取ってきたからこそ
こうしてこじれている、という「物語」が
「フワフワと」「自然に」できてしまっていってたので、
そこに「一石を投じて」「人間関係を変化させる」物語を通し、
そこに「患者の家族役」のPCのお言葉をまとめとして出していただいて、

結局外科医NPC自体の今後の処遇、というテーマにつないで
「物語をこうした」と宣言する種として、
ヒロインPCを据える。

(父の仕事を是としている以上、父の死を恨む必要はない、自分もこれからその仕事に就くという理解を、主家の方がむしろ”お前の父を殺してしまった”という罪悪感を第一声に堕してきたために、自分達の「仕事」より、前任の「父親個人」への価値を重視しているように聞こえて、今代の「自分」の立場と仕事の無価値さを感じたまま数年こじらせた状態、というのを亡き父へのエディプスコンプレックスという形で発露していた、という捻じれでした。彼個人の仕事への評価を、主家、周囲、自身の3方向からきちんと言葉にして成立させる、というのを軸に、今回やってきた「実際の父の仇の審問官」との戦いに参加させる、みたいな流れでこう……)


こうした、他PCまで面倒見る立ち回りを「しちゃう」「したくない」「本当に面倒だけどせざるを得ない」いろんなPLがいると思いますが、

僕はしちゃいますし(ある程度PCによる、な部分がフワフワしてて危険ですが)、


GMの時に、極力しちゃいます。


「救われてないせいでシナリオに挑めない」(特に、シナリオの内容に”響き過ぎて”、同じトラウマのNPCと一緒に落ちていくしかないとか、そのキャラ性に与えられたコンフリクトが”効きすぎて”、とか)みたいなPCに、
どうすれば「シナリオに万全に向き合える」か、
というのをGMとして探してしまう。
シーンであったり、NPCであったり、情報であったり。
「GMがPCをクリアしないと、PCがシナリオをクリアしてくれない」というと、聞こえは悪いのですが……

大体がばらまきになるので、先週書いたそれ邪魔論になるかもしれませんが……


そもそも、なんでシナリオに向き合わないPCがいるねんみたいな話もあるかもしれませんが、
(実際に、ハンドアウト選んどいてオープニングからやりたくなさそうなPCというのもいるのだけど……)

ここは逆に言うと「完全完璧にシナリオにあったPC」は呼べないと考えています。程度の問題論はあまり好きじゃないのだけど……


どんなにPLがシナリオに合わせてくれようとしても、「多人数で」「各々が物語を作ろうとする」ゲームである以上、100%の親和性を望むのはむしろ不健全というか、
そのシナリオ運営は古く「小説書いたら」と言われた方向にいき「がち」になるのじゃないかなと。

例え、PLがシナリオにそってやろうとしてくれていても、
会せてくれるために堕してくれた案が「当初の予定に沿わない」「持ってるイメージに沿わない」ことは当然というか、個人的にはむしろ醍醐味。

この部分を、
シナリオ前にとれるコンセンサスもそうですが、
ゲーム中に見えてくる、「100じゃない部分」のズレを、その場でアジャストしていくという「ゲーム」が、全く必要ない卓というのは多分存在しない。
これはGMPL双方ができる「ゲーム」でしょう。

一見必要なくなるのは「どっちかがどっちかに呑まれた」時で、
呑むほどの実力を持ったものは、「相手が呑まれて何もしない者」になったことを嘆いていたりして、ゲーム参加者としてはすれ違う一方です。


取り留めなくなってきた。そろそろまとめよう。

・TRPGの性質上、いろんな現象の次善策として発生するヒロイン化PCを
・「だれかが助ける」という物語を作る「ゲーム」が存在し
・それに「挑む」「挑ませる」「好む」「好まない」といったスタンスも存在する

・するとして、それを仕掛ける側が、「やりたいからやる」「TRPGだからやっていい」とかじゃなく
・「物語を作るゲーム、を提供し、他者にやらせている」という自覚をどう持つべきか
・仕掛けられた側が「ゲームとして認識」できるか

みたいな問題提起の話でした。
それ以上はもう「僕はこうしている」になるのであまり出しても意味はないですが……


この上で、もう一点
「GMが、PCのクリアに手を染める」時、

たんなるシナリオの難易度低下になるような手の出し方に、
つまり「GMが提供するゲームがなくなる」ようなアプローチに、
ならないようにする必要がある。

というのもまた「ゲーム」という感じがあります。

極論、「前に進むモチベーションがないPCのために情報が勝手に出てくる」みたいなことも含まれかねないので……(実際、”お、できるんならやるわ”みたいにはできてしまう)
GMがPCを(PLでなく、PCを!)助けるというなら、「それ以外の方法」、ゲーム性は担保しつつ、物語だけを作成できる方法考えないといけない。

絆すべきNPCが先にそっちから絆してくる?それで絆しが帰ってくる必要がなくなったら元の木阿弥。

場面を急展開して足を進ませる?いや、だいたい「進んでいるだけ」で物語にはおいてかれてる。

シナリオと強くは関わらない追加のNPCを出して(分岐が多いとはいえ)レールとその先の駅名、各所に行けそうな路線を明確にする?

一過言ありそうな他PCとの合流を進める?

いやいや、いやいや……。


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