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2018年12月18日22:51

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土地明渡合意書(とち あけわたし ごういしょ)の締結

平成4(1992)年11月から
地主さんから求められた新地代に関して
亡き父(濱田 耕助)が
大阪法務局に弁済供託を申し出て
平成30(2018)年12月まで
地主さんとの係争関係を
父が亡くなって(平成8=1996年1月26日)以後も、
母は続けて来ましたが
(つまり弁済供託金を地代として
 大阪法務局へ毎月
 納(おさ)め続けて来ましたが)

平成30(2018)年12月18日
午後4時半から午後5時半頃に
地主さん宅にて
私が代行人となって
(母は病の為、自分では履行出来ない為
 というよりも
 病でなくとも
 この係争問題を母では解決できない為)
借地借家人組合の事務局長さんと
司法書士さんを交えて

弁済供託の問題

母所有の家屋の
地主さんへの譲渡
に関して

地主さんとの間に

弁済供託に関しては
平成4年11月から平成30年12月までの
供託金の合計金額
612万円を
地主さんが引き出して受領することで
債権・債務関係を解消することとし
(これによって直近5年間の
 地主さんが請求していた地代との差額
 (36900ー19520=17380円)×12ヶ月×5年=104万2800円
 を支払う母の債務が免除される。)

また

母所有の家屋
に関しては
地主さんに
母が
無償で譲渡する
(これによって
 土地賃貸借契約書の
 「土地を明け渡す時には更地にすること」
 という母の債務が免除される。
 更地にするには
 建物の解体費500万円が予測されるので
 その費用が免除されることを意味する。
 その代わり
 借地権(=1千万円相当)を
 主張しなかった。)
ことで

土地の明け渡しに関する
合意が
成立しました。

これで
母方の祖父(山口 繁市=やまぐち しげいち)の代(昭和29=1954年)
から借りていた
大阪の家の地代のことを
母は
考える必要も
行動する義務(地代を毎月支払う債務)も
無くなりました。

(母方の祖父=山口 繁市は
 昭和29=1954年2月25日に
 山本ヲタネさんから
 40万円で
 庭付き木造瓦葺き平屋建ての家屋を
 購入するのですが

 其処(そこ)は借地でした。
 しかもその土地は
 地主さんの意向で買うことは出来ませんでした。

 山本ヲタネさんは
 昭和7=1932年10月から
 あるいはさらにその20年前の
 大正元年=1912年9月頃から
 その土地を地主さんから借りていたようで
 20年後の昭和27=1952年10月に
 土地賃貸借契約を更新していたようでした。

 母方の祖父は
 昭和47=1972年11月1日より
 昭和67=1992年10月31日までの
 新契約の
 更新料32万9600円を
 昭和48=1973年6月27日に
 支払って
 地主さんとの
 土地賃貸借契約を更新しました。

 こと時(昭和47=1972年)から以後は
 母方の祖父と交替して
 父が
 地主さんへ地代を支払う債務を請け負うことになりました。

 昭和47=1972年11月1日の地代は
 月々8千円でした。

 5年後の
 昭和52=1977年6月に
 地代の値上げを地主さんより求められ
 地代は月々1万5百円に成りました。

 それから12年後の
 平成元年=1989年6月に
 地代の値上げを地主さんより求められ
 地代は月々1万9千520円に成りました。

 その3年後に
 土地賃貸借契約の更新時期と成り

 地主さんは

 平成4=1992年12月1日より
 平成24=2012年11月30日までの
 再契約の場合(A)は
 更新料として
 448万5450円
 新地代として
 月々3万6900円

 土地を買い取りたい場合(B)は
 坪80万円換算で
 80万円×52.77坪=4千221万6千円で
 売却する

 地主が建物を買い取る場合(C)は
 家屋を3千万円で買い取る

 以上 A・B・Cのいずれかでお願い致します
 と要求されました。

 これに対して父は
 平成4=1992年10月までは
 通常通りに地代1万9千520円を支払い
 地主さんもその地代を受領していましたが

 平成4=1992年12月より
 これまで通りの地代を受け取らないことが明白となった為に
 平成4=1992年11月より
 大阪法務局へ
 弁済供託を申し出ました。

 この時、
 父は
 地主さんの承諾無しに
 弁済供託したのではなく

 借家人組合の方を仲介に
 私の両親と地主さん夫妻同席の下(もと)
 父が大阪法務局へ弁済供託を申し出ることを
 地主さん夫妻が了承した上で
 父は弁済供託を開始しました。

 父は平成8=1996年1月26日に亡くなりましたので
 それ以後は母が
 平成30年9月までは
 毎月法務局へ
 弁済供託金1万9千520円を
 納(おさ)める為に通(かよ)い続けていましたが

 母は
 平成30=2018年9月29日から
 平成30=2018年10月6日まで
 千船病院へ入院し
 さらに
 平成30=2018年10月15日から
 平成30=2018年10月21日まで
 千船病院へ再入院したので

 平成30=2018年10月分の
 弁済供託金の支払いが出来なくなった為に
 平成30=2018年10月以降は
 平成30=2018年11月も
 平成30=2018年12月も
 弁済供託金は
 私が代理人として
 大阪法務局へ
 1万9千520円を
 納めていました。)

また当然
大阪の母の持ち家の固定資産税のことを考える必要も無くなりました。

母の長年の懸案事項が
これで解決しました。

フォト

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(床の間と、その対照側に
 四角くて茶色いブロックが4つづつ置いてあるのは
 クラッシック音楽観賞用のスピーカーである
 1979年発売の TANNOY Arden Mk II の音質を良くする為に
 設置してあったから。
 因(ちな)みに、この家は
 1980年5月11日着工で
 1980年12月29日竣工。
 ただし、建物引渡証明書に依れば
 工事請負人又は施工者である酒井工務店の酒井祐二さんからの
 木造瓦葺二階建家屋の
 引き渡しは昭和56=1981年1月10日。

 ブロックを除去していないのは
 床の間と対照側のブロックの下側に白蟻が巣くっていて
 見栄えが非常に悪い為。)

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最終更新
平成30(2018)年12月19日 午前5時58分
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