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2017年07月20日00:20

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『アレトゥーサの銀貨』第2話

『アレトゥーサの銀貨』第2話

 ヴラヘロナ島は、ジュリアンが言ったように、「ブドウ畑とオリーブ畑と漁村だけ」の、小さな島だった。半日もあれば島の周囲をぐるっと一回りして歩ける様な大きさだ。それでもジュリアン一行を乗せた自家用クルーザーが島の港につくと、島民たちはジュリアンを大歓迎してくれた。島全体がソロ家の私有地というヴラヘロナ島の住民たちにとっては、ジュリアンは「古くからの御領主様」のような存在なのだ。島で取れる葡萄酒やオリーブ油も、買い取ってくれているのは、ソロ家の関連会社である。
 海に面して建てられたソロ家の別荘は木造で、やはり大きくはない。だが静けさと、美しく青い海と、広い空と、他に誰もいない白砂のプライベートビーチには不自由せず、都会の喧騒を離れてのんびりできる、隠れ家的な場所だった。交通手段が限られていることも、ソロ家の当主にとっては警護の面で安心できるのだろう。
 別荘には海に張り出したテラスがついており、そこから海に直接飛び込むことも可能なようになっていた。水着姿に薄手のシャツを羽織ったカノンは、テラスの上でデッキチェアに寝そべり、パラソルの影に入って、海に飛び込んで泳ぐジュリアンとソレントの二人をプールの監視員のような視線で眺めていた。
「カノン!気持ちいいですよ!あなたも泳いだら?」
 海からテラスに上がってきたジュリアンがカノンの側に小走りに駆けよって勧めた。タオルで海水を拭きながら、カノンの脇に置かれたテーブルに用意されたシードル(リンゴ酒)を飲む。成人のカノンは真昼間から冷えたビールで一杯やっていたが、未成年のジュリアンとソレントは飲酒するというわけにはいかず、彼らのためにノンアルコールのシードルが用意されていた。
「まぁ、そのうちな」
 ぐびーっと遠慮なくビールをあおりながらカノンが答える。
 正直、今の日差しはカノンにはきつすぎた。色素の薄いカノンの肌は、日光を浴びても日焼けして黒くなることがない代わりに、火傷のように赤くなってしまうのだ。
「カノン、知ってました?この島には秘密があるんですって」
 ソレントも海から上がって来て、ジュリアンと同じようにシードルを飲みながらカノンに話しかけた。
「海賊の財宝でも隠されてるのか?」
「…え、何で分かったんです?」
 ソレントの返事に、カノンはぶっと勢いよくビールを吹き出した。
「いやいやいや!ベタすぎだろう!?嘘だろ!?」
「あっはははは、まあ、そういう伝説です。『赤ひげ(バルバロッサ)』ハイレッディンの隠し財宝だとか色々と尾ひれがついてますけどね。もっとも真面目に探した人は誰もいませんけど」
 ジュリアンがシードルを片手に笑う。
 「赤ひげ(バルバロッサ)」と呼ばれたハイレッディンは十六世紀、オスマン帝国の海賊だ。当時はオスマン帝国領だったギリシャの生まれで、船乗りとなった後に兄弟とともに北アフリカを拠点とし、キリスト教圏への海賊行為で一大勢力を築いた海賊の首領だ。さらには当時のオスマン皇帝スレイマン一世によってオスマン海軍の大提督にも抜擢され、「プレヴェザの海戦」と呼ばれるスペイン王国との海戦で大勝利を挙げて栄光のうちに没した、オスマン帝国の最盛期を代表する人物である。
「でもエーゲ海は昔から沈没船の多いところですから、海底を探したら、難破船からこぼれた金貨の一枚くらいは見つかるかもしれませんよ」
 にこやかに言ったジュリアンに、ソレントが続ける。
「ねぇ、カノン、お宝探しをしてみませんか?」
 カノンの顔をのぞきこんでソレントが言う。
「何をそんな馬鹿な…子供騙しみたいな話…」
「でもせっかくのバカンスですし、楽しまないと」
 ジュリアンもソレントに調子を合わせ、カノンの腕を引っ張って立たせた。
「ほら、カノン」
「さあ、さあ」
 ソレントがカノンの背を押し、ジュリアンと二人で力を合わせてカノンを海の方向に歩かせる。
「おい、こら…」
「そうれ!」
 そして二人は掛け声とともに、カノンの背を力一杯に押して彼を海に突き落とした。
「うわぁ…!」
 こうしてカノンはテラスから海中へと強制的にダイビングを余儀なくされた。
『あのガキどもが…後で仕返してやる』
 重力に従って海中に沈みながら、カノンは二人のいたずらに軽く腹を立てた。水面ごしに日光がきらきらと乱反射する。水をかき、体勢を整えて浮上しようとしたカノンだが。
『…え?』
 途端にぐいっと下に向かって体が引かれた。海流が突然に沸き起こり、カノンの体を巻き込んで海底へと押し流していく。
「うわぁぁぁ…っ!」
 いきなりカノンの周囲から海水が消えた。そのまま空中を落下していく。
「くっ…」
 カノンは体をねじった。とん、と足元から着地する。さすがの反射神経というべきだった。
「ここは…?」
 無事に地面に降りたったカノンが周囲を見渡す。足元は、岩と石畳が半々になっている感じだった。海底のはずなのに空気があり、頭上を見上げるとそこには水面が揺れていた。
「海底神殿…か…?」
 アテナとの戦いで崩壊したポセイドンの大神殿があった海底神殿よりは、頭上の海面も低く、こじんまりとした感じがするが、雰囲気は似ていた。人の気配はなく、崩れかけた建物や柱も遠くに見え、はるか昔に放棄された小神殿といった趣きだ。
 その時、カノンの頭上の海面からずぼっと下向きに水柱が立った。
「どうやら無事に着いたようだな」
 水柱の中から現れたのは、ジュリアンとソレントの二人だった。二人とも水着の上にシャツを羽織り、サンダルを履いた軽装だ。
「ジュリアン…いえ、ポセイドン様」
 降り立ってきたのがすでに「ジュリアン」ではないことにカノンは気付いていた。小宇宙は抑えているが、神の威厳が彼の周囲に漂っている。
「これはどういうことでございましょう」
 一応は主君である相手に礼を示しつつ、カノンが尋ねる。
「宝探しをするのだ、シードラゴン」
 胸を張って答えたポセイドンに、カノンは唖然となった。
「…は?」
「宝探しは男のロマンであろう?これをせずして、何とする」
「……」
 自慢気な海皇の様子に、カノンは軽い頭痛を覚えた。
「あの…ヴラヘロナ島に本当に海賊の財宝が…?」
「そのようなもの、あの島にあるわけがなかろう。だがここの海底神殿には財宝があった…と思う」
 かなり怪し気なポセイドンの回答に、カノンの頭痛はさらに大きくなった。
「うろ覚えであるが、記憶を頼りに地図を描いてみた。見るが良い」
 ポセイドンの手の上に一枚の紙が現れる。カノンが受け取ってみると、下っ手くそな絵図とギリシャ語の注釈が描かれていた。ポセイドンが机に向かって手ずからこれをしこしこと描いている様を想像すると、ありがたいのやら滑稽なのやら、評価に苦しむ。
「なぜ、いきなり宝探しなど…」
「お前は夏の日差しが苦手なのであろう?だがここなら日光は弱いゆえにお前でも楽しめると思ってな」
「……」
 カノンにとっては実にありがた迷惑な海皇の心づかいであった。
「ひと夏の思い出を作るのだ。さあ、行くぞ、シードラゴン!」
 えいえいおー、と、ポセイドンが片手を上げ、先に立って歩き始めた。全てを知った上ですました顔をしていたであろうソレントを思いっ切りにらみつけてから、カノンはとぼとぼと海皇の後ろに従ったのであった。

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