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2017年04月26日02:55

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そういえば卒論も修論も「健康」を基底と捉えていた

今回
飼い犬(ペキニーズとチワワの mix 犬)の
「ぽろん」の死で
「いのち」が第一である
ということを思い知り

心(こころ)第一哲学(観念論 Idealismus)だけでなく
また
物(もの)第一哲学(実在論 Realismus)だけでもなく
息(いき=生き)第一哲学(生気論 Vitalismus)がなければならない
と強く思うようになった


「健康(Gesundheit)」

大阪市立大学時代の卒論『学問大全』(1984年)でも
また
関西大学大学院修士課程時代の修論(1994年)
『哲学的に悟るということ 及び 哲学的悟りの方法に就いて』
(私家版では『永遠の真実について』)
でも
「基底(Grundlage, Basis, Unterlage, Fundament, Postament)」
と捉えて
論じていた。

1984年の卒論では
1.方法(学問の体系)
2.精神実現(精神哲学)
3.身体実現(実践哲学)
として
「身体の実現(エンテレケイア)」を
「健康の保持」と考え
その方法論として
西 勝造(1884〜1959年、75歳没)による
「西式健康法」

甲田 光雄(1924〜2008年、84歳没、大阪大学医学部卒)による
「西式甲田療法」
(西式健康法を改良した菜食(=玄米と豆腐と青汁)の少食療法)

紹介していた。

また
1994年の修論でも
主たる内容は宗教体験の内実と方法
であるが
それでも
(「宗教体験」とは一見無関係なように見える
 「身体の健康法」を「唐突」に)
遠藤 仁郎(1900〜1997年、97歳没、京都大学医学部卒)による
「芋・豆・菜っ葉」の「青汁健康法」を
最も有効で優れた健康法として
紹介していた。

卒論時代(1979〜1984年)は
マルクスの経済哲学や
ヘーゲル哲学に依拠していたので

シェリングに言わせれば消極哲学であり
(マルクスの経済哲学はヘーゲルとは逆に
 宗教の原理を欠く実在論であり)

理論哲学(学問体系)と
実践哲学(健康法)とが
有機的に結びついていなかった。
(理論哲学と実践哲学とを有機的に結び付ける方法論が無かった)

また
修論時代(1992〜1994年)は
宗教の原理を体験的に発見して
観念論(Idealismus)を窮(きわ)めたが

ここでも
実在論(Realismus)としての「健康法」との
結びつきを論じる方法論が存在しなかった。

これからは
「いのちあっての物種(ものだね)」

「物(もの)」を「質料」
「種(たね)」を「形相」
と捉えて
「いのちが繫(つな)ぐ質料と形相」
という発想で
質料論(実在論 Realismus 唯物論)

形相論(観念論 Idealismus 唯心論)
とを
「いのち(息=生命原理としてのプネウマ)」

「有機的(organisch)」に結び付け得る
「方法論(Methodologie)」

確立したい。

大阪市立大学 商学部 商学科(生産管理論専攻)時代の
「疾風怒涛(Strum und Drang)」
(神経症発症による自律性療法の自身への適用=1979年夏頃)
に始まり

学部2回生の時に初めて自分の考えを論文という形式を意識して纏め
(「人間の成長と社会主義」1980年
 論題の中の「社会主義」という表現は
 「社会科学ゼミナール」という倶楽部で
 『創造』No.2(=社会主義をめぐって=第30回銀杏祭に向けて)
 を出す為に
 倶楽部のメンバーが皆
 「社会主義」という言葉を入れて書くことになっていた
 ために入れただけで、
 私としては「人間成長論」を書くつもりだった。)

1990年11月5日の
根源体験(宗教経験)
を経て

関西大学大学院 文学研究科(倫理学及び宗教学専修)修士課程時代
での
「最初の宗教経験の叙述」
(「哲学的に悟るということ 及び 哲学的悟りの方法に就いて」1994年)
から

京都大学時代(2002年4月〜2009年3月)

2003年「心の懐中電灯」
(京都大学大学院 教育学研究科 博士後期課程 編入試験 提出用論文)
2007年「逆限定する内在超越による平衡関係復元の哲学」
(京都大学大学院 文学研究科 宗教学専修 博士後期課程 編入試験 提出用論文)
2008年「存在すべき宗教哲学」
(京都大学大学院 文学研究科 宗教学専修 博士後期課程 編入試験 提出用論文)
2009年「シェリング『啓示の哲学』展相論に於ける繋辞の論理」
(京都大学大学院 教育学研究科 修士課程 研究者養成コース 入試 提出用論文)



京都大学大学院時代(2009年4月〜)

2011年(修士課程:第一論文)
「存在以前から存在への産出 — 後期シェリングの展相論を手掛かりに — 」
2012年(修士課程:第二論文=修士論文)
『「完成せる精神」の認識過程 — 後期シェリングの展相論を手掛かりに — 』

2012年9月〜2014年11月9日迄(博士後期課程予稿)
「後期シェリング『啓示の哲学』ポテンツ論に於ける「覺」過程の論理
 — 二重存在体(Doppelwesen)としての
           「完成せる精神(vollkommener Geist)」—」

2014年4月(博士後期課程:第一論文)
『場所』第十三号、西田哲学研究会編
「カントにおける反省的判断力の自己自律原理について
  — シェリングの積極哲学および西田哲学の場所論の生成原理として — 」
2014年9月(博士後期課程:第二論文)
『プロセス思想』第十六号、日本ホワイトヘッド・プロセス学会
「ホワイトヘッドとシェリングの認識=存在論
  — 両者の立場としての双極的相依性の共通点と相違点 — 」
2015年3月(博士後期課程:第三論文)
『身心変容技法研究』第四号、京都大学こころの未来研究センター
「自律性療法(心身医学)と後期シェリングの神話と啓示の哲学」
2015年7月(博士後期課程:第四論文)
『シェリング年報』第23号、日本シェリング協会
「神話と啓示が齎(もたら)す帰結としての「Existenz」
  —「不可知」を学問する積極哲学の方法的原理 — 」
2016年4月(博士後期課程:第五論文)
『場所』第十五号、西田哲学研究会編
「純粋経験批判としてのシェリング積極哲学の方法と原理」
2016年8月(博士後期課程:第六論文)
『東西宗教研究』第十四・十五号
「哲学は科学と宗教を媒介し得るのか」
2017年5月予定(博士後期課程:第七論文)
『場所』第十六号、西田哲学研究会編
「科学と宗教を媒介し得る<自律性無底哲学>の可能性
  — 自律性療法とシェリング積極哲学に方法と原理を索(もと)めて — 」


「学術的に宗教経験を叙述する方法」

学んできた。

なので
これからは
さらに

「こころ」

「からだ」

「いのち」

繋(つな)ぐことが出来る
ような

「根源的な原理」

「学術的な方法」
を持つ
「哲学」

確立してゆきたい。

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最終更新
平成29(2017)年5月17日 午後11時17分
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