人間がそこに存在するのに、その存在を否定し又はあたかも居ないかなのように扱うことを人格否定と言うことは周知の通りである。
では、我々人間界において、その人格否定をしてしまった!という経験の無い者は皆無である!とは言えないだろうか?
俗に言う「あんな奴消えてしまえばいいのに!」一度は誰しもが考えた事象であろう。
認めたくはないが…。
今回はそうした「人格否定」のもたらす結果や、恐ろしさについて触れていこう。
一言で「人格否定」と言っても多様であるが、今回は俗に言う「嫌がらせ」によって為される人格否定を取りあえげよう。
「嫌がらせ」つまり、その者の存在が疎ましく消えてしまえばいい!と激しい感情を抱く、それは時としてその行動に影響を及ぼすのだ!
その行動の現れの一つが「嫌がらせ」なのである!
では「嫌がらせ」を実行してしまった場合、相手は?それに気づいた場合どのように、対象はそれを受け止めるであろうか?
まさかそれに対して「ありがとう」という感情を抱く者は皆無であ「ろう。
では、実際に「嫌がらせ」を受けた対象者の心情は如何であろうか?
言わずもがな、自身の存在価値について言及しすることであろう。
「果たして自身が存在していて良いのだろうか?」そんな感情にも苛まれ、やがて自己否定へとそれは波及していくことであろう。
しかし!そこに留まる勿れ!
筆者は声を大にして言いたい!
その「嫌がらせ」の対象者は?実に「意義深い存在」なのである!
何故?そう言えるのか?それは、「嫌がらせ」をしてでも無くしてしまいたいまでに存在意義が十分である証拠だからである!
然り!裏を返せば、「存在価値」が有りすぎる故にその存在は「疎ましい」のだ!
如何なものであろうか?
そう言われれば?とお気づきであろうか?
然り!その「嫌がらせ」の対象者の存在は否定されているかのようであり、実は多大なる肯定なのだ!
そうである!その存在価値があまりに眩しく輝いている故に「消してしまいたい」のだ!
故にだ!「嫌がらせ」を受けている者よ!
大いに自信をもってこう言おうではないか!
「私の存在価値は十分である!」と!
然り!その存在はあまりに眩しくもあり、尊いのだ!
貴方の価値は大きい!
生きよ!
消えてほしい=生きるのを止めようではない!
消えてほしい程に眩しい存在なのである!
その貴方は!なんと大きく!なんと麗しいことであろうか?
「人格否定」はそこまでせねばならない程、貴方の存在が眩しいのだ!
これを胸に堂々と生きようではないか!
貴方の存在はそれ程尊いのだ!
生きよ!
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