資本主義社会に適応する者は
マルクスの経済哲学を知る
僕にとっては
資本主義社会に服従する者以外の何ものでもない
ようにしか感じられない。
けれどもその考えがある以上
社会に適応することは出来ない。
けれども
社会に適応することが
そんなに良い事なのだろうか。
もしも自分に命令する者が
悪人だったら
その悪人の言う事に従う事が
人間の為すべき事(当為)と
言えるのだろうか。
そうではなかろう。
自分に命令する者が
悪人であれば
そしてその悪人がどれだけ腕力が強かろうと
「それは違う」と従わないのが
人間が為すべき判断(当為)だ。
その「自分に命令する悪人」が「社会」だと思える場合
「そんなこと言っても逆らえないのだから従うしかない」
と判断して服従すれば
暴力や恐怖に屈して
悪人の言いなりになる「奴隷道徳(Sklavenmoral)」という
ニーチェが君主道徳(Herrenmoral)に対置した概念に従う
判断となるだろう。
ニーチェ(Nietzsche)は
奴隷道徳を否定したのではなく
奴隷道徳の中の精神力を学ぶ価値もある
と主張しているのだから
社会適応者を
そのまま「服従者」と断罪するのは早計だけれども
自我が強く気が弱い人間は
「言いなりになる」ことには
耐え難い。
(むしろ「苛(いじ)められた経験のトラウマ」で
「苛(いじ)められている」と感じると
拒絶反応が自動的に生じるようになっている。)
なので
そういう「トラウマ(自動反応回路)」を持つ者にとって
その「トラウマ」を解く方法を知ることが出来ない
のであれば
その「トラウマ」の「意志」の「意味」を理解して
その「トラウマ」が「発動」しないような「環境」を
自分で探すか創造して
自分の「居場所(棲み処=すみか)」を確保すべきだ。
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